たとえ間違いだったとしても、私は私を否定することをやめないだろう。
まず間違いという定義がなんなのかと言う話だが、まぁ抽象的な表現になってしまうけれど普通と悪い方向にズレたものだと思って欲しい。
私を否定するのは「他者嫌悪」を「自己嫌悪」に変える行為だ。
私は人のことを嫌いになりやすいのだ。
そして人への許容できる範囲が超えて、収集をつけようとなった時に自分という身近で否定しやすい存在に頼る。
あの子を否定している私の方が性格が悪い、なんで人の否定しかできないのかと。
私は自分のことを否定することによって他者との関係を保ってきて、自分を否定することによって精神を保ち続けていたのだ。
私を否定をするのは、私を守る行為である。
私は私を大切にするために否定をし続ける。
その行為が間違いだったとしても、それ以外どうにもならないのだ。
それすらもままならなくなってきて、とうとう行き場を失った憤りが、口から漏れてきた。
私のことをもっと嫌いにならなくては。
神様へ、
もし神様という存在がいるのなら、僕の心に耐え切れないぐらいの嫌な経験を与えて欲しいのです。
僕は、自己の破滅を望んでいるのです。
これまでの嫌なこと全てを忘れてしまうような、一時の最悪が欲しいのです。
今の僕は強欲にも生での救いを求めてしまいます。
死ぬ覚悟が、欲しいのです。
本当はこんなこと、望みたくないのです。
陽の光が、痛い
攻撃的なものから、逃げ場がなくなる。
こんな天気の日に寝てたら怒られてしまうから、逃げるように家から出た。
でも、私の逃げ場を奪うように外は陽の光が満ちている。
みんな敵意に満ちている。
私に逃げ場などないのだ。
酷く孤独が浮き彫りになる。そんな陽だ
遠くの空へ思いを馳せていた。
どうやら私は自分から遠いものに惹かれるらしい。
ずっと追い求めていたいのだ。
私という存在と交わらないで欲しい空
私のいないあっちの景色は綺麗だ。
ああ、いい空だな
ずっと私の遠くにあってくれ。
誰よりも、ずっと自分のことがわかりません。
誰かを否定することでしか生きられないのです。
ずっと自分と他者を否定してきました。
否定したところでその人が裁かれることを望んでいるわけでも無く、否定だけしているのです。
鏡に映った自分の姿が、毎日違う人間に見えます。
何を望んで行動をしているのかがわかりません。
自分が何者なのかすらわかりません。
自分の名前、所属、識別できる情報は認識しているのです。でもそれは一つの私にすぎません。
私は誰なのでしょうか。