もしも、もしもね。
私が時を止めることのできる力を持っていて、
貴方といる今この時を永遠に出来るとして。
永遠に一緒にいてくれる貴方が
永遠を誓いたい相手は私じゃないのよね。
私は幸せになるなら二人でがいいし、
時を止める力なんて何の役に立たないわ。
キューピットの矢でもあればよかったのにね。
ああ、でも、私に撃ち抜く力は無いし、
きっと貴方が射止めるのはあの人ね。
ああもう、また不毛なことばかり考えてしまうの。
はやく夜が来てくれないかしら。
/時を止めて
祖母の葬式が終わった。
祖母を取り囲んでいた供花は、
花束になって私の家へと帰ってきた。
まだうまく働かない頭では、
目の前の花を見つめることしか出来ない。
長らく使っていなかった花瓶を引っ張りだし、
適当に水を入れて花を挿した。
祖母が好きな花ばかりだ。とても可憐で美しい。
私の少しの動きで花の香りも揺れる。
当分悲しみからは立ち直れないだろう。
それでも、今はひとりぼっちじゃない。
またふわりと、甘い香りが私の鼻先をくすぐった。
目を閉じればすぐそこに、祖母がいるように感じた。
/花の香りと共に
大好きな父だった。父の、大きな大きな手のひらで、
力いっぱいに抱きしめてくれるのが大好きだった。
私の父はよく親しまれていた。近所どころではない。
国民に愛されていた。父は国民的俳優だった。
私は知らなかった。戸籍上、父はまだ未婚で、
子どもがいないことを。
私が荒れに荒れ狂った末、
耐え切れなくなった母が話した。
父にとって私の存在は障害になるらしい。
その言葉を吐いたのは、父でも、母でも無く、
父のマネージャーらしかった。
父は、最終的にその意見を飲んだ。
最初に意見を出したのが誰であれ、
最後に決めたのは父だ。
父は私を捨てた。
もう幼い頃の気持ちのまま、
テレビに写り続ける父を見ることは出来ない。
嫌でも耳に入ってくるおばさんの話し声の中で、
父がまた、賞を受賞したらしい。
あの頃の父が遠のいてゆく。
そのまま何処へでも行ってしまえばいい。
父は負けてしまった。己の承認欲求に。
家族よりも名声を取った。
あの人は負けてしまったのだ。
負けてしまった彼の手は、もう届かない。
/遠く…
“人間は時代と共に変化する。” なんて言うけれど、愚かな死に方をした人間に対し、”愚かな遺伝子を後世に残さないことで人類の進化に貢献した”として授与される賞も存在するくらいだ。人間は進化に飢えている。
涙だってそうだ。青に黄色に緑に紫、若者を中心に涙を各々の好みに変色させる治療が流行している。海外の有名インフルエンサーの投稿から、水の波紋のように広がった。中には違法な処置をしている場もあり、禁止とされている赤色の涙を流すことも可能らしい。
こうも変わったのだ。そのうち味だって変幻自在になるだろう。涙の次は涎か鼻水か、血の色だって変えられるかもしれない。透き通った美しさは失われてしまった。
/透明な涙
冬が来る度に思い出す。笑うと目が虹のようになり、向日葵を思わせるそばかすを携えたあの子の笑顔は、日差しに照らされた白い雪よりも眩しかった。
ー
「今年もたくさん取れたよ!」とダンボールいっぱいの
みかんを家の玄関まで持って来てくれた叔母さんの横に、女の子がいた。自分と同じ歳くらいの女の子が。鼻を真っ赤にして、叔母さんの服の裾を掴みながら、こちらの様子を窺っている。
出戻りしたという叔母さんは、女の子を連れてきた。
僕と同い年で、寒いのは苦手で、みかんが好き。冬になると、彼女の手はいつも黄色かった。外に出た時の指先はほっぺと同じくらい赤くて、繋いだ時の掌は温かかった。
家族旅行での店先で見つけた虹と向日葵のポストカードは、まるで彼女のようで、初めて自分のお小遣いで買い物をした。初めて見るホログラム加工で光るポストカードを前に、彼女はとびきりの笑顔を見せた。
ー
今年も叔母さんからみかんが送られてきた。実家を出て
上京した今も、叔母さんは毎年採れたてのみかんを送ってくれる。冬のみかんが何よりも美味しいことを知っている僕は、叔母さんに頭が上がらない。この先もずっと。
あの時のポストカードは少し色褪せてしまったが、額縁の中で今も日に当たりながら僅かに光を放っている。
暖かいこたつの中、黄色い手で美味しそうにみかんを
食べる彼女の笑顔は、今も変わらない。
/みかん