“人間は時代と共に変化する。” なんて言うけれど、愚かな死に方をした人間に対し、”愚かな遺伝子を後世に残さないことで人類の進化に貢献した”として授与される賞も存在するくらいだ。人間は進化に飢えている。
涙だってそうだ。青に黄色に緑に紫、若者を中心に涙を各々の好みに変色させる治療が流行している。海外の有名インフルエンサーの投稿から、水の波紋のように広がった。中には違法な処置をしている場もあり、禁止とされている赤色の涙を流すことも可能らしい。
こうも変わったのだ。そのうち味だって変幻自在になるだろう。涙の次は涎か鼻水か、血の色だって変えられるかもしれない。透き通った美しさは失われてしまった。
/透明な涙
冬が来る度に思い出す。笑うと目が虹のようになり、向日葵を思わせるそばかすを携えたあの子の笑顔は、日差しに照らされた白い雪よりも眩しかった。
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「今年もたくさん取れたよ!」とダンボールいっぱいの
みかんを家の玄関まで持って来てくれた叔母さんの横に、女の子がいた。自分と同じ歳くらいの女の子が。鼻を真っ赤にして、叔母さんの服の裾を掴みながら、こちらの様子を窺っている。
出戻りしたという叔母さんは、女の子を連れてきた。
僕と同い年で、寒いのは苦手で、みかんが好き。冬になると、彼女の手はいつも黄色かった。外に出た時の指先はほっぺと同じくらい赤くて、繋いだ時の掌は温かかった。
家族旅行での店先で見つけた虹と向日葵のポストカードは、まるで彼女のようで、初めて自分のお小遣いで買い物をした。初めて見るホログラム加工で光るポストカードを前に、彼女はとびきりの笑顔を見せた。
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今年も叔母さんからみかんが送られてきた。実家を出て
上京した今も、叔母さんは毎年採れたてのみかんを送ってくれる。冬のみかんが何よりも美味しいことを知っている僕は、叔母さんに頭が上がらない。この先もずっと。
あの時のポストカードは少し色褪せてしまったが、額縁の中で今も日に当たりながら僅かに光を放っている。
暖かいこたつの中、黄色い手で美味しそうにみかんを
食べる彼女の笑顔は、今も変わらない。
/みかん
約束のひとつでもしておけば良かった。スマホの画面を適当にスクロールしながら、また今日もベッドから出ることの無いまま一日を終えようとしている。
あの子はストーリーも投稿もほとんどしないから、
冬休みをどう過ごしているのか、さっぱり分からない。
誰も興味無いだろうから、なんて、前回の投稿から
数ヶ月間更新が止まっている。僕は君の投稿に興味が
ある!!なんて、もちろん言えるはずもなく……。
あの子に少しの承認欲求でもあれば良かったのに。
目の前にいたら簡単なのに、メッセージになった途端
恥ずかしくなるのは何故だろうか。自分からお誘いのメッセージ♡なんて書いたことは無い。それどころか、相手から誘われるばかりで誘う側の気持ちなんて考えたことがなかった。途中まで書いてみた自分のメッセージを読み返してみる。取って付けたような”笑”に、申し訳程度の絵文字。自分の下心を隠すのに必死だ。裏目に出ている気さえする。これじゃあ送れない。なんだ。お誘いのメッセージを書くのって、こんなに大変なのか。
たった一言、遊びに行きませんか、と言えばいいだけ
なのに、ストレートに言うのは気恥しかった。
とりあえず姉の助言の通り、絵文字は最低限にし、感じが悪くならないように、気を付けながら”笑”をつける。
もう、何が正解かなんて分からない。彼女に、行ってもいいかな って思って貰えたなら及第点だ。どうか合格出来ますように。緊張しながら送信を押した。
/冬休み
「バカみたいよ」
箸が落ちた。叩かれた手が痛む。
何が間違っていたのか分からないが、
怒られたのだからなにかしてしまったのだろう。
「まともに箸も持てないの?」
成程。箸の持ち方を間違えていたらしい。
今初めて知った。箸の持ち方が間違えていることを。
友人より何より、長く付き合ってきたのは
家族でもなく、教材と机だった。
最低限の出席日数を取り、残りは家で家庭教師と缶詰。
努力が結果になったとて、満足してもらえたことは
一度もなく、学年があがるにつれ、数字だけでなく
アルファベットの質も求められるようになった。
食事よりも睡眠よりも勉強。
一に勉強、二に勉強。とにかく勉強。
身体を崩しても翌日には勉強。
机を齧り続け、大学は名の知れた所に入学できた。
合格通知が届いた時、母は嬉しそうに笑っていた。
母の笑顔なんて久しぶりに見た。嬉しかった。
お祝いを称した食事会が今だ。叩かれた手は
さっきよりも赤くなっていて、ジンジンと痛む。
頭の中の辞書をめくる。やっぱり専門外だ。
箸の持ち方は載っていなかった。
家庭教師に箸の持ち方は聞かないし、
家庭教師も教えてはくれなかった。
勉強不足だ。
こんなにやっても足りないのか。
今は解雇された元 家庭教師は、隙間時間に
ぽつぽつと自身の話をしていた。
自分と同じ様に勉強を強いられていて、
部活は1年しかさせて貰えなかったこと。
クラス会には一度も参加したことがないこと。
長期休みが終わり、友達から旅行の土産をもらうが、
自分は一度も返せなかったこと。
毎週金曜日の夕食だけは必ず家族で食べること。
あの人は自身と自分を重ねるように語ったが、
自分は今でもそうは思えない。
あの人はきっと、
箸の正しい持ち方が分かっているだろうから。
ああ、ほんと、
/バカみたい
孤影悄然は放っておけない。
一人ぼっちが二人になったところで、孤独は拭えない。
趣味の話題も、喜怒哀楽も、相手にぶつけたとて、
同じ様に返ってくるものでは無い。
自分の知人の一人を例としよう。
自分が怒っている時、こいつは哀しんでたり、
自分が哀しんでいる時、こいつは楽しんでたりする。
自分たちは以心伝心が出来る訳では無い。ただ、
人より人の目を気にする分、相手の変化に気付き、
近づいたり離れたりをしている。
元より、友人はそれなりにいた。一緒に酒を飲む仲間。
気が緩んで、沢山飲んで、酔って暴れて相手にあたる。
次の日からメッセージの既読がつかなくなる。
その繰り返し。
こいつは、自分が酔って暴れても、あたっても、
翌日には何事も無かったかのように振舞う。朝飯まで。
こいつの心配をしているか?
俺を軽蔑しているか?
こいつは自分以上に悪酔をする人間だ。
もう言わなくても分かるだろう。
互い以上に最適な相手が居ないから、一緒にいる。
一人ぼっちが二人になったところで、孤独は拭えない。
孤影悄然は放っておけない。
/二人ぼっち