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9/7/2024, 3:38:58 PM

踊る時を告げる

「私が踊る時」を告げる黄泉の帝王

飛ぶがいい かもめよ

誰?あなた

嵐の夜も傍にいよう

私はもう一人で飛べるわ
自由になるのよ

俺だけが自由を 与えることが出来る

あなたが 自由を
やっと 歩き出した
私だけの道を 邪魔しないで

どんなに強く 拒んでみせても
いつか俺を求める

手を取って 俺と踊るんだ
俺が望む時に 好きな音楽で

踊るなら 命果てるその時でも
一人舞う あなたの前で

お前には俺が必要なんだ

歩いて行けるは 一人でも
もうすぐ歩み出す人生を
愛し始めたの人生を

踊るなら 選んだ相手と
踊りたい時に好きな音楽で

踊るなら この世終るその時でも
ただ一人 愛する人と

踊るなら 全てはこの 私(俺) が選ぶ、、

ご存知「エリザベート」の一節 
死神も皇后エリザベートもなんと言う身勝手さと高慢さで笑う、と言うか死神の根拠のない自信は何処から?と想うが、死神は皇后エリザベートその人なのであると分からなければならない、でなければこの物語はドラマチックではない。常に自由を心の解放を求め続けた孤高の皇后エリザベートの最後のダンスの相手は鏡の中の皇后自身、湖面に映った自分の姿に恋したギリシャ神話のナルシスのように、自由を求めた孤高の皇后は鏡の間でその艷やかな髪を何時間もかけ結わせ鏡の中の自身に孤独の癒しを求めた。

踊る時を その時を告げるのは
魂の解放と自由を求め続けた孤高の皇后最後の時でなければならないのだ。

死神よ死ぬ時は 一人舞うなのだ。

高慢で身勝手でだからこそ美しく人を引き付けてやまない、悪魔のような主人公たち。

だからこそ物語なのである
だからこそドラマチックなのだ。

満点のそつのない生き方の
優等生は物語には不必要
それが、物語の読み方だ。

ぼくらは 欠片を探してる
足りない 欠片を探してる

足りない 欠片は面白く
足りない 欠片は美しく 

そして、足りない欠片は優しい…。

物語は いつも足りない欠片を探してる。

それに気づくと物語は楽しく優しいく
読むことが出来る。

読書力という 物語と踊る時 その時を告げる
秘密の秘訣だ。

令和6年9月6.7日

                心幸       














9/5/2024, 5:44:16 PM

貝殻

丘の斜面から海を見おろす
夏の忘れもの
日焼けの跡と
白い貝殻を耳に当て
ふと、あなたの声が聞こえた
遠い、深海の奥深くから
低い夕日が、届くかしら
あなたの 眠る海の底まで
真っ暗ではありませんか?
孤独で寂しくありませんか?
遠い遠い異国の海の奥深く
舞って散ったあなたを想います
白い貝殻を耳にあて

丘の斜面にはコスモスが揺れて
秋の訪れ
日焼けの跡は
暑かった夏の焼け跡
ふと、最後に見た街を思い出す
遠い、荒野の彼方から
低い夕日が、赤く差すから
あなたの 眠る大陸まで
真っ赤に染めて行くから
苦しくはありませんか?
遠い遠い異国の彼方に響く
地響き怒号の中に散ったあなたを想います
白い貝殻を耳にあて

ここに静かに眠りたまえ
君の清らかな御霊を
私たちは忘れてはならない
この、自由も平和も
可愛らしい貝殻も
あなたの、永遠の悲しみが
遺し与えてくれたものだと
若い英兵たちの眠る
海よ大地よあなたの悲しみを忘れない
当たり前は当たり前ではないことを
決して忘れないと誓います
白い貝殻を耳にあて

来年は昭和100年、戦後80年
二十歳で海に散ったあなたは100歳に
守られた彼女も100歳に
彼女とあなたのあなたが抱けなかった
息子が83歳になりあなた達の元に逝きました
その息子の息子が還暦になり息子の息子の息子は親になりました
全部全部、二十歳のあなたが守ってくれたものです

あなたの生きたかった明日を忘れない
白い貝殻を耳にあて
戦がやって来た遠い海を想い
今の平和に感謝します
有り難う あなた
あなたのことを 忘れません
この小さな貝殻と共に


令和6年9月5日

                心幸  





9/4/2024, 12:16:29 PM

些細なことでも、きらめき

ギラギラ太陽が 燃えるように
はげしぬ火をふいて 恋する心…♪

あなたの一挙手一投足が
些細なことでも きらめいて
溢れる言葉は 宝石のよう

じりじりと暑い夏に
ギラギラときらめいた
じれったいじれったい

つめたくされて
秋風かんじて 風は秋風
みんな、真夏の夜の夢
ゆらゆら ゆれて消えるの

なぜ、なぜ 素知らぬ顔
いつ、いつ なぜ、なぜ…

あなたの嘘など聞き飽きた
いかないでと言うかわりに
深呼吸ひとつして
夕立の中走り出すわ

些細なことでも きらめいた
あなたとの時間が消えてゆく
些細なことで 疑心暗鬼になり
きらめきは 消え去った

輝くものは輝きのままにとどまらず


令和6年9月3.4 

                心幸





9/2/2024, 11:34:53 AM

心の灯火

「心の灯火」

暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。

カトリックか!?ラジオ放送か!?✞

心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の心に響かない、、愛って大事。アーメン
愛は必ず最後に勝つ。

心の灯火はカトリック教会の朝のラジオ放送でした。

とかく最近の若い日本人は核家族化が進み家族に、じーちゃんもばーちゃんも居らず、仏壇も無い家が多く先祖の墓参りも年寄の仕事と高をくくっている為に宗教と聞くと壺売りや洗脳という言葉しか思いつけない人がいらっしゃるが、本来宗教とは、もっと身近で、それこそ心の灯火で拠り所でありアイデンティティの故郷先祖との交わりであるはずである。

日本人にとってはお祀りするのは先祖なのである。阿弥陀様の元に居られるご先祖様を祀るのが日本の宗教であるが、カトリックはキリスト教なので神様が我々兄弟姉妹の家を用意していてくださるので死とは現世の人生を終え、その天の父の元に帰天し永遠の安らぎを得るということのようだ。

まあ、言ってること一緒と言えば一緒だが、仏教はこの世もあの世も徳を積む為のもので、キリスト教はこの世で頑張ったら神様の近くご近所に住めるぅーって感じなのであろう。

暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう、、仏教なら独生独死、独去独来この世に来たのが一人なら去るのも一人だ、他者に依存しない影響されない揺るぎない自分を持てということか。

暗い嫌だ嫌いだと不平を言うよりも自ら灯りをともし輝きを見つけなさいであるのだろう。

宗教心とは、誰でも心に持っている祖先や家族との繋がりや価値観の基本みたいなものでこれを軽んじる人は何かしら薄っぺらい気がする、かと言って宗教心に縛られると中世カトリックや生臭坊主や聖地の奪い合いになってしまうのである、、何事も過ぎたるは及ばざるが如しなのであろう。


令和6年9月2日

                 心幸

9/1/2024, 12:59:03 PM

開けないLINE

一番最後は去年の夏。
「お誕生日おめでとうと」
夫と舅と私の三人でお義母さんの為に準備したケーキを囲んで写メを撮った。

その、写メをお義母さんのLINEに送りました。

既読は、いつまで持ってもつきません。
もう、お義母さんはLINEを開けないから。

その丁度半年前のお正月、実家の花壇の水撒き様のホースを直したお礼が来ていたね。

「じーちゃんに何度も頼んでいたのに、してくれなくて、兄ちゃんに何年越しやろかに直してもらいました有り難う」そう言って喜んでLINEをくれたお義母さんでした。

その、じーちゃんもお義母さんが大急ぎで逝ってしまってから、1年も待たずに、丁度お義母さんが余命宣告を受けた日から1年目の今年の春にお義母さんのところに逝きました。

お義父さんお義母さんあなた達の息子さん(お兄ちゃん)は、1年間の間に続けて二親を亡くして辛そうです。私よりもナイーブとは心得ていましたが、かなり、まいっています。

今、開けなくなったLINE。
アイコンがなくなったお義父さんお義母さんのLINEの名前を指で撫でながら、見守ってあげてくださいね、お願いしますと願っています。
去年のあなた達の、いえ、私が来た頃のままのあなた達の姿を想いながら。

録画音声メッセージからは、孫たちと楽しそうに話す明るい声が聞こえて来ます。

私も夫もあなた達が居なくなったなんて思えなくて、困るとお義母さんに頼んでみたらと相談してみたらと言ってしまう、しっかり者の義母(母)と、無口だけれど優しい義父(父)でした。

いつも、いつまでも、あなた達の前だけでは心配かけるお兄ちゃんでいさせてあげてください。

開けないLINEを見つめながら想っています。

令和6年9月1日

                 心幸


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