海へ
海へ行っては危険です、台風来てます。
高波にご注意ください!
と、言われても行きたくなる嵐の海へ
嵐の海が見たくなる、それが若さ。
喫茶店で椅子蹴飛ばすな!
人を馬鹿にしたい批判したいだけの
正義の味方気取りの正義中毒が石を投げる
集団で。
集団での言葉の暴力は正義の制裁だからOKか? 言い返して来ないと分かっている対象に
吐く吐きかける暴力のような名前ナシ、カオナシの無責任な落書き正論は、喫茶店で椅子蹴り飛ばすのより下衆と気付けない心は大丈夫か?
自分に言われた言葉には火病みたいに泣き叫ぶくせに、他人様にぶつける言葉は言葉を選ばない単純さ。
「嫌い」「バカなの」「イライラするぅ」
だから、何度も言うけど
他人様は、世の中は、オマエをイライラさせない為に存在なんかしないんです!
他人の心を支配しようとするな!
たかが、好きか嫌いかってだけのことで
裁く権利なんてない、ただの外野が!
っていう ひとり言を
嵐の海に捨てに行きたくなるねぇ
・・・親の顔が見たいわ(笑)
喫茶店で椅子蹴飛ばすな
台風の来ている時は
海へは
山へは行くな
これは、駄目でしょ
あれも、駄目でしょ
それは、常識一般論
それを、越えてしまうのが人の心
それを、救えるのが人の情け
令和6年8月23日
心幸
裏返し
「裏の裏は表」
「清と濁は併せて呑み」
「嘘つきはロマンチストで」
「悪者はセンチメンタル」
「善人は気弱な悪人で」
「正義の味方の手は誰の手よりも血で汚れている」
「信じろと言う人を信じてはいけない」
「ついて来いと言う人について行ってはいけない」
「真実も正義もひとつではない」
「正義の反対は、もうひとつの正義」
人生の十戎
これに「バカの壁」でも立てて自分の方が正しいとか言うアホにはなりたくない、あんたに好かれなくて結構幸せな訳であるからして、
🤣🤣
令和6年8月22日
心幸
さよならを言う前に
鳥のように
あなたの空を飛びたい
あなた達の空を飛びたい
鳶のように天高くから
燕のように霞むような速さで
あなたの空を飛びたい
永遠のさよならを言う前に
直ぐ側を羽ばたくように
やがて 遠くに
あの 雁のように
夕焼けに消えて逝くまで…
令和6年8月20.21日
心幸
空模様
雨が降った、最近日がずっと短くなって、この雨が初秋を連れて来たように駆け足で夏が過ぎてゆく、暑かった夏の名残りは何年ぶりかの日焼けのあとだろうか…、日焼けもせずに青白い顔でいるから、自分の店も他人の店も分からなくなるのか?そもそもここはお前の店か?お前の我の通るお前の法律が通るお前の店か?よーく考えろ? 世の中はお前をイライラさせない為に存在なんかしていないんだよ笑笑
自分に耳障りの良い言葉だけを良い言葉だなんて知ったこと言うな。意味の分からない言葉はシャット・アウトなんだから仕方がない。
「バカの壁」って知っているか? 下町の商店街のおばちゃんの言葉だと文句つけるけど東大卒の学者先生の言葉ならどうだ、「バカの壁」人間は自分の価値観や立場意見の反対にはバカの壁って壁をつくるらしい、例えば右は左を馬鹿だと言い左は右を馬鹿だと言う、年寄と若者の間にも東と西の間にも共産主義と自由主義の間にも独裁主義と民主社会の間にもバカの壁が有るから話は永遠に通じない。まず、そのことに気づけと言う、それが大事なのだと学者は言う、つまり正義の反対はもうひとつの正義ってことだ、それ分かんなきゃ永遠に自分の反対は馬鹿でイライラしかしないから聞くのも観るのもやめた方が良いが、他人様に消えろはいくらなんでも独裁主義だと気づかなきゃならない、仮にも表現の自由の保障された自由主義の国だ、ここはお前の店でもお前が法律の世界でもない。
空模様は明日の天気は我々に決められないのと同じで、お前の都合で世の中は色を方向を変えないと理解する力を持て笑笑
令和6年8月19日
心幸
鏡
君の心はひび割れたビー玉のようだ、覗き込めばこの世が逆さまに映り君は欲しいものを渇望を否定し批判することで自分を守っているね、あれだね、ムーミン谷のお寂し山に住むというオロオロ、心が冷えていて愛だとか情けだとかそういうものが近寄るとその炎を消してしまうというやつだ。
そしてまた山に引きこもって独りが良いさと独り善がりに嘯いて、正義の味方気取りで裁いて石を投げるね投げた石は鏡に当たって鏡が割れる、そこに映る君の顔は歪んでいる。
根っ子まで冷え冷えと凍てつきボロボロと砕け散ってしまうのかい? 君はね、自分がブーメランを投げて自分に刺しているよ、君が批判して割れた鏡に映っているのは君だよ、名前無しカオナシさん。
名前無しのカオナシの気安さで無責任な正義の味方気取りで、他人の一生懸命や他人の好きに唾吐きかけていたら、ブーメランじゃなくて、君自身が閻魔様の前で舌を抜かれる気をつけたまえ。正しく優しく有りたいのだろう?
僕はね、君のように正しく有りたいとも優しく有りたいともあまり強く思はないんだよ、それよりもっと大切なことが有ると知っているから。
お寂し山のオロオロは、自らが自分を寂しい奴だ、つまらない奴だと知ることで知りすぎることで、ムーミンが、たった一人見せた彼への温かな言葉に心の氷を溶かすことが出来たんだ、ようは受け取り方受け取る心なんだよ、言葉も物語も文章もドラマも…好き嫌いは人間だもの有るけど、そう思うこと大事だよね。
親はいないから愛情不足になるのではない、親が居たって愛を受け取れない子は愛不足だそんなことも判らない? 親が居なくても代わりになる愛に恵まれた子は愛情を受け取るコツを覚えるが、親が居たって愛情を受け取れない子はいつまでも愛情不足だって泣くんだよ。受け取るのは、自分自身だ。
ここに昔のドラマの話を書こう
ある青年は、母親に捨てられたその母親は、まだ乳飲み子のその子を兄夫婦に預けて別の男と駆け落ちした。兄夫婦はその子を自分たちの子供たちと別け隔てなく愛情注いで真の親子兄弟のように育て25年の歳月が流れ、立派な青年に育った彼の元に実の母親から手紙が届いた受け取った育ての母親は差出人を見て胸が騒いだ我が子のように育てた青年の実の母親の名前だったからだ、けれど育ての母親は、そのままその手紙を青年に手渡した、もう25才になっている息子だ、判断はこの子に任せようと思ったのだ。青年は、義母から渡された手紙の差出人を見て突き返そうとしたが義母に遮られポケットの中に手紙を入れた、そして、その手紙を同居する義母の親友のシングルマザーに預かって欲しいと頼み手渡した、困った義母の親友だったが親友とその息子の関係を知る彼女は引き受けその手紙を預かった、そして夫の仏壇の引き出しに仕舞ったのだが、それを一人娘が見つけてしまう、娘は仄かに彼に好意を抱いていたものだから、宛名に彼の名があることで咄嗟に差出人を見てしまう、そしてその名前が女性名であることに、ひどく傷つき狼狽し偶然帰ってきた彼を問い詰めてしまうのだった、詳しい理由も聞かずに責められた彼は腹立たしさ紛れに手紙を破いて燃やしてしまうのだった。一部始終を娘から聞いた彼女の母親は、娘を怒鳴りつける叱られた意味が分からず憤慨する娘に母親は、
「どうして、彼が自分を捨てた母親からの手紙を母さんに預けたかその心を想像したことはあるかい?」と問うた。
「そんな、我が子を捨てる親の手紙なんて」
と、娘が言うと母親は 「じゃあ、お前ならそれで良いかい?後悔しないかい?少しでも気になったから渡されて直ぐ破り捨てずに、母さんに預けたのかも知れないと思わないかい」と娘に尋ねた。
娘は黙って俯いて灰になった灰皿の手紙を見た
母親は続けた、「常識や正しいこと悪いことを越えるのが人の心なんだよ、それを救うのが情けなんだよ」…みたいなやり取りをする。
遠い昔の大正生れのお母さんの話。
この物語は大好きで一説丸暗記しているってやつ、私は、この心を日本人のアイデンティティの故郷だと思っている。
この物語は祖母を思い出すからだ。
令和6年8月18日
心幸