1件のLINE
君のトナリいいですか?
男は図書館で手話の本を手に、やっとその手話をマスターして、何時もの喫茶店窓際で本を読む彼女に伝えた。
3ヶ月前よく考えてみたらもっと以前から、彼は彼女を気づけば目で追っていた。
彼の友人がそのことに気づいて彼にこう言った
「あのこ、いい感じだよな、でも耳きこえないらしいぜ 声かけた奴が言ってた」
その時から、彼は手話の勉強をした。
彼女に気持ちを伝えたいと思ったから。
そして、やっと今日彼は彼女の前に立ちこう手話で話しかけた。
「君のトナリいいですか?」
彼女は、その白くて細い手に乗る本から顔をあげ彼と彼の気持ちが聞こえる大きな手を見つめて微笑んだ。
伝えたい想いは声にならない
二人の恋がはじまる
幾千もの想いをその手は語った…
語っても伝わらない、手では伝え切れない
伝えたいたったひとつの気持ち。
「…もう、いいよ」
彼は、ため息混じりの言葉を吐いた、ちょうどあの日から1年の季節が流れていた。
「君のトナリいいですか?」
戸惑いながら「ど、どうぞ」と、頷いた。
「映画は、スキですか?」
覗き込むように、彼のまだ下手くそな手話に笑いながら 「アクション映画が好き」と返した。
「今度、映画行きませんか?」
彼の手の向こうにある瞳を見つめながら「ウレシイ」と彼女は伝えた。
あれから1年どれだけ言葉を尽くしてもその手は伝えたい想いを伝え切れなかった。空回り擦れ違う気持ちと気持ちがぶつかり軋んだが音は彼女には届かず、それが彼女を傷つけ彼を苦しめた。
「もう、いいよ…」
彼が、ため息混じりに吐いた言葉は手は語らなかったが、彼女の心に届いて彼女の手は語るのを止めた。
街には雪が降っていた、彼は彼女に背を向けて彼女のアパートを出た。
それから、暫くして彼に届いた知らせは彼女が故郷に帰るという知らせ。
彼は友人たちと酒を飲んでいた。
1件のメールが届いたことに彼は気づいた。
「最後のメールなのに
言葉が見つからないよ」
彼女からだった。
「誰からだよ、見せろよ」友人がそう言い終わる前に彼は走り出す。
「恋だな」友人が頷いて見送った。
雪の中電車を待つ彼女にあのメールの返信が届いた。
「君の、トナリいいですか?」
息のあがった彼がホームの端に立っていた。
伝えたくなる、伝えたかった
1件の想い…by KDDIってガラケー時代のAUのCMを創作してみました。
メールがLINEに変わっても
伝えたい1件のLINE
ひとつの気持ちは変わらないと信じています。
あれから何年?
令和6年7月12日
心幸
目が覚めると
目が覚めると自分が巨大な虫になっていた!
とかいう小説があったね。
なんだっけ?
カフカの「変身」だったか?
カフカの「変身」は様々な解釈がある小説として有名だ。物語は作者の手を離れ読み手の手に渡った瞬間その物語を手にした人のものになるのだろうからそれで良いのだろう。
嫌いなら、分からないなら読まなきゃ良いのだドラマも映画も一緒!!
ひとつの見解です。
目覚めると自分が巨大な虫になってしまった主人公、やがて家族にさえ疎ましいと思われてしまいました。
人はどんな人でも自分が醜いと思うものに変わった瞬間、反応も冷たくなってしまうという残酷さを孕んでいて、結局見た目って大事だよねってということを説いた小説であるというひとつの見解…私はこの解釈が1番しっくりくる物語だと思っていました。
他にもたくさん見解があり、自分がどんな見解に同感出来るか?小説の顛末を読むより、カフカの「変身」に対する解釈という感想文を読むことが楽しいという面白い作品です。
出会った、解釈のひとつに、作家カフカはユダヤ系のドイツ人であり、ユダヤ人は理由もなく突然忌み嫌われ迫害された石を投げられ理不尽に殺されたこの小説家は常にその人の心に棲む悪魔性をテーマにしているという解釈でした。
「なるほどな~」
まさに、目が覚めるような解釈でした。
2024年7月10日
心幸
私の当たり前
とかく人は自分の努力やしていることは特別で大変なことで、誰かにしてもらうこと、例えば親、恋人、夫、妻、そして世の中社会にしてもらうことは当たり前だと思ってしまう浅はかさを持ち合わせていることを知り注意しなければと常日頃思っているし、私はそう親祖父母から躾けられたので当たり前に子供にもそう躾けた…と言おうかそれしか言って来なかった。
自分のすることは当たり前のことだと思え、他人様にしてもらうことは何ひとつ当たり前ではないと思え、それが当たり前思えれば「感謝」は自然に出来て「失望」はしなくてすむ。
私は、自分の努力を大層に言う人が苦手だ。
例えば、子供の弁当を毎朝つくる親なら当たり前だ、作らなきゃ昨今はそういうのネグレクトとか言うのだろう。それをお弁当つくりましたとSNSにアップしたり作っていると得意げに言ったりリア充か何か知らないがインフルエンサー気取りも、なんだか馬鹿っぽく思えて苦手だ。自分の仕事は大層に言い他人の仕事は当たり前だと思う図々しさも、自分が体調を崩せば大層に言い他人の病は大したことないという想像力や共感性のなさも苦手だ。
自分の子供をあげるために他人の子供をさげるのも、結局自信のなさの表れで看板みたいなロゴ見せてブランドで着飾るアホっぷりも、夫の仕事を得意げに言う子供の学校を得意げに言う専業主婦のやる事ない暇つぶしも苦手だ。
結局、自分磨きと称した男探しの成れの果てが1流高めのアクセサリー家族の自慢話のマウント大会では寂しいね、だから専業主婦は寂しいと言うのか…。
なんちゃってセレブが1番ゲスイと思う今日この頃である。
「自分のすることは当たり前
誰かにしてもらうことは何ひとつ当たり前ではない。水いっぱいでも他人に恵んでもらったら感謝が必要、自分がしてやったことは忘れろ、誰かにしてもらったことは忘れるな!」
親からもらった躾糸大事にしたいと思います。
今夜は、日頃思っていることを書いてみました。
2024年7月9日
心幸
街の明かり
街の明かりがとても綺麗だから帰れないのではないと気づいた。
君の瞳に映る街の明かりを見つめていたいから
帰れないのだと気づいた。
街の明かりが消えた静寂に接吻(キス)をした
もう星は帰ろうとしていて、夜と朝の間に漂い消えて行くが、二人は帰れない…。
帰れない二人。
2024年7月8月日
心幸
七夕🎋 〜創作 銀河鉄道の夜〜
七夕の二人〜
「ぼくたちは、いっしょだよね」ジョバンニは
確かに本当の笑顔でそう言った。
七夕の祭りの魔法がとけようとしていた。時計屋の前のドワーフが回る柱時計は次の日の扉を開けようとしていた。
ジョバンニとカンパネルラは白鳥の翼に腰掛け織姫と彦星の逢瀬を特等席でこっそり盗み見てまだ、遠い時間の彼方を想い互いに無言になった。
「お母さん、見えるかな?」
「うん、」
「お母さん、聞こえるかな?」
「…」
3次元空間では縁が逆になると言う通り、逆さまを見ることは、ほんとうにほんとうに心がこの夜空に散りばめられた星屑のように泪の破片が飛び散るようなものですからジョバンニとカンパネルラは互いに無口になりました。
ほんとうのことを言えばジョバンニはお母さんのところに帰れるのでしょうか?やっぱりジョバンニは自信がありませんでした。自分がカンパネルラのようにいや、カンパネルラになれないことは重々承知でした。
カンパネルラはジョバンニの方を向き直って言います。
「いいんだよ、ほんとうの気持ちになって、それは嘘ではなくて、君のまごころだとぼくは知っているから」
天の川の天空に衣がかかり薄ぼんやりと白んで行きました。
ジョバンニは長い夢から覚めました。
そこは、病院でお母さんがほんとうにほんとうの悲しみにくれた泣き腫らした顔でジョバンニの体に突っ伏して眠っています、手はしっかりとジョバンニの手を離さず握りしめていました。
ようやく、全てを知ったジョバンニでした。
煌めく夜空は万華鏡全てが、逆さまに映る…
少年を救ったのは、カンパネルラ追いかけたのはジョバンニ、ジョバンニはカンパネルラをひとりで行かせたくなかった、親愛なる友だちだったから。
瞳をとじるとカンパネルラの笑顔が浮かんた
「僕らは、いつもいつも一緒に星めぐりをするんだよ、知っていると思うけど、僕と君が3次元空間にいなくなって、お母さんは悲しんでいらっしゃるだろう、それも僕と君はいっしょだよ、何時かのお母さんが空を見上げて僕と君を誇りに思ってくれるのもいっしょだ」
カンパネルラは握りしめられていたジョバンニの手に優しく口づけするとお母さんの白い手にそっと還しました。
「また、来年の七夕に星を見上げてよ、きっと僕たちはいっしょだよ」
3次元空間は万華鏡全てのものが逆さまに映る愛情も欲望も逆さまだ、愛情が深い人ほど悲しみに強くて脆い諸刃の刃 欲望はないふりして人の心を喰らう。3次元空間は美しくも醜いものだ。
けれど、残されたものは、先に逝った子の友の愛するものの歳を数えるよりも、受け取った思い出を忘れないことだ、それを忘れない限り死者は死なない。
カンパネルラの魂を乗せたジョバンニはそれからの明日をカンパネルラに見せる。
「僕たちは、いっしょだ」
14歳の夏休みそんな、創作をして教師が面白がってくれたっけ。
遠い夏休みの記憶を端折りながら追想してみた
七夕の夜。
2024年 7月7日
心幸