この道の先に
たったひとりしかいない自分を
たった一度しかない人生を
ほんとうに生かさなかったら
生まれてきたかいがないじゃないか
生きるためにいきろ!
山本有三の「路傍の石」に出てくる名言
たった一人の自分の
たった一度の人生は
一人で生まれ
一人で終えなきゃならないが
その道は
誰かと誰かの縁があり
誰かと誰かの愛があり
誰かと誰かの青春があり
誰かと誰かの人生がある
その道程に
私と誰かの縁があり
私と誰かの愛があり
私と誰かの別れがあり
私と誰かの人生が交差した
一人で終えなきゃならない
細やかな人生だけど
そこには 幾人もの
人の人生があった
私と誰かの人生が交差した
一人で終えなきゃならない
ちっぽけな人生だけど
愛しい日々なのは
この道の先に
また あなたに会える場所が
あると信じているから
この道の先に…
2024年7月3日
心幸
日差し
日長きこと至る(きわまる)夏至の頃。
今年の夏至は6月21日。
立夏と立秋のちょうど間である夏至は、その字の通り夏に至り秋の準備を始める、この日が1番日差しが長く日の入りが遅いが、もう次の日からは、反転して少しずつ日差しが短く日の入りが早くなる春夏秋冬季節は巡る。
1秒たりとも留まらず進み続ける時間。
今年の夏は至りを過ぎた。
進んで行くしかないのである、終わったことをぐちぐち言わず、裁いても仕方の無い人を裁いたりせず。
夏い至り秋が立つ
裁くのが石打ち処刑が好きな人
他人を裁く前に、自分を顧みる
時間を持つが良い。
怖ろしいくらい
自分は正しいと思い込んでいる
愚かな姿を知ると良い
己を知り百戦危うからずである
日差しは真上
日長きこと至る(きわまる)夏至の頃。
2024年7月2日
心幸
窓越しに見えるのは
窓越しに見えたのは明けくる
あなたのいない朝でした
あなたは私が泣かないように怖がらないように微笑んで眠っていました
深い深い眠りの奥でどんな夢を見ているの?
呼んでももう目覚めないの?
最後に笑顔を遺してくれたのは
深い深い愛だと気づいていました
私は本当に愛されていました
私もそんな風に逝きたいと思います
最後にあなたは笑顔という躾を
私に遺してくれました
泣いても
怒っても
苦しんでも
傷ついて
疲れても
最後は笑顔
私のあなたは最後に笑う
私が貰った躾糸守りたいと思います
窓越しに見えたのは明けくる
あなたのいない朝でした
2024年7月1日
心幸
赤い糸
運命の赤い糸と言えば大映ドラマ赤いシリーズ
赤いシリーズは第一作から第九作まで。
「赤い迷路」
「赤い疑惑」
「赤い運命」
「赤い衝撃」
「赤い激流」
「赤い絆」
「赤い激突」
「赤い嵐」
「赤い魂」
みんな翻弄されながら赤い糸を探す、お話なのだけれど、そのものズバリ「赤い糸」はタイトルにない。何故かと言えば赤いシリーズは山口百恵で有名だが本来田宮二郎の白いシリーズと宇津井健の赤いシリーズで始まった。
スポンサーはサントリーで赤と白はワインを表す。
赤いシリーズの方が白いシリーズよりも長かった白いシリーズで全6作有名なのは最後の作品「白い巨塔」で「白い巨塔」まではTBS系列放送だった…ってオタクモード全開なのだが、1970年代後半は山口百恵と赤いシリーズ一色でした。
親には「意味わかるのか?」と笑われながらも
ビデオのない時代頑張って金曜夜9時を心待ちにしたものです。
始まったのは、1974年で当時まだ小学低学年生だったから寝落ちする危険はあった、子供だからねぇ、良い子は夜9時過ぎには寝落ちしちゃうのよ朝までぐっすりね、途中で起きて騒いでももう遅いねやです。だって携帯もSNSの見逃し配信もビデオだって無い時代だから、寝落ちして目覚めたら泣です、SNSで文句投稿してる馬鹿騒ぎも無い時代、明日の友達たちの話題について行けないわ〜と嘆き悲しむのでありました。
そんな私の赤いシリーズ1番好きなのは「赤い運命」でした。
「赤い運命」は恋人同士の運命の赤い糸ではなく、父と娘の物語でした。
三國連太郎さんと宇津井健さん二人の父親の物語でもありました。
続く「赤い衝撃」も中條静夫さん演じる父親と草笛光子さん演じる母親の物語の方が面白かったのですが…。
赤いシリーズを観ていると昭和のドラマは人間関係が濃いよねと思います。
そして、なにより若手ばかりでなく各年齢層の役者が出演していて物語に厚みがあったなと思います。
今夜は趣味の世界について書いてみました。
2024年6月30日
心幸
入道雲
入道雲が空に浮かぶ朝は夏休み。
ラジオ体操が終わり家路につく頃には蝉の声が入道雲から聞こえてくるようだ。
1日の始まり。
3人の仲良しさんが自転車に乗りやって来た駄菓子屋の前。
ショートカットの痩せっぽちポパイの恋人のオリーブに似ているからあだ名はオリーブそれがわたし。おかっぱ頭の一見無口で大人しそうなけれど意志の強い黒曜石のような瞳をしているおませな女の子が高校時代裏番と言われたりっこちゃんでもまだこの時は小学3年生の頃の話。三つ編みに眼鏡の優等生の町内会長のお嬢さんのみっちゃん3人の仲良しさんは今日も駄菓子屋の前でゴム跳び。
入道雲はどんどん大きくなり日差しも力を増して来た、それでも今よりは柔らかい夏何故なら周りに緑と水があったから。
その日もお昼近くまでゴム跳びしたり石蹴りしたりして遊んだ。お昼は、おばあちゃんが冷やし中華をご馳走してくれた。みんな親たちが共働きだったから、おばあちゃんは3人まとめて面倒を見てくれていた。お昼ご飯が済んだら一応夏休みの宿題を早目に切り上げて学校のプールに行く入道雲は手の届きそうなところにまで来ていた。
プールが終わるとお家に帰ります、カルピスを飲みながら夏休み子ども劇場を観てお昼寝から目覚めると近所の憧れのお姉ちゃんが帰って来たから遊びに行く、鬱陶しくつきまといお姉ちゃんのやっていること言っていることを真似る少し大人になった気分になる。それから夕方までお姉ちゃんとお喋りをして、夏休みの夕方は習い始めた剣道教室へ行く週に2回は剣道教室と空手教室にも通っていた、当時は兎に角強くなりたかった。
そうして、入道雲も真っ赤に染まる頃長かった1日もようやく終わろうとしていた。
「ただいまー」
「おかえり」
母の声と晩御飯の匂いが迎えてくれた。
入道雲は
「また、あしたー」
と言いながら、空の向こうに消えて行く
そんな日が永遠に続くと思っていた。
9歳の夏休みと入道雲。
2024年6月29日
心幸