後悔
「我が生涯において一片の悔いなし」は少年漫画「北斗の拳」のラオウの言葉で有名だが、実は元ネタがある。宮本武蔵が自身の剣の道を記した「独行道」にある「我事において後悔しせず」を今風にした「人生悔いなし!」という言葉からである。ラオウは架空の拳王で宮本武蔵は常人ではない剣豪である。
私個人の思いとしては「後悔してこそ人生、人生は後悔してからが本番」と思っている。
人間はそんなに強くない、自分の弱さ不甲斐なさを認めてから人生は深みを増す気がしてならない。
これと同じで
「私を、信じて」と言う人ほど「嘘つき」で
「傷つけられた」と喚く人ほど「傷つけていて」
「私は、正しい事だけして生きている」と言う人は独善的で
「私は、優しくありたい」とか言う人は世間知らずで
「私は損をしている被害者だ」と言う人は図々しい。
そして、「みんな違ってそれで良い」なんて言う人ほど違いを認めず他人ばかり責めて悪者を作って叩いて安心する小心者である己に気づかない愚かしさを孕んでいる。
人間は、そんなに強くもないし、そんなに白くも美しくもない。
みんな優しくて純白のように美しく清らかであれば戦争で殺し合う歴史をこんなに繰り返さないし、また資本主義など成り立たない。
資本主義は極論弱者を作り弱者に強者が寄生するという縮図だからだ。それを悪いことだと言う人は共産主義者である。
私自身資本主義の世の中に生まれ弱者の犠牲の上に呑気に暮らして、私より強い者に搾取されるサイクルの中で自由だ自由主義だと思っている。
何が正しくて何が嘘か?
左か右か?
嫌いか好きか?
そんなことは巡るように変わって行く
世の中もそんなに不動ではない。
今の常識は100年後の非常識
自分のところで世界の歴史でも終わらない限り
正義も常識も変わる。
最先端は時代遅れの悪しき風習の非常識になる。
人はそんなに強くない。
間違うし失敗するし
後悔を背負い生きてゆく
思い残してこそ人生は優しくなる
間違いや失敗や後悔を繰り返し人は人との間を覚え柔らかな人間になるのだ。
そうなれるだろう…
そうなれる道を我は行く。
2024年5月15日
心幸
風に身をまかせ
君は1本の葦だ!
川原で風に向かって立っていた。
遠ざかる白い雲を見つめて、微動だにしない。
君がつぶやく
見えない明日を見ていたと。
どこまで行けるかわからないけど
行ってみないか?僕と一緒に。
ポケットのコインと
未来の地図が僕らの味方。
君の瞳の奥へ沈んで行った夕日は僕の宝物だよ。
風に身をまかせ
だだよっていた向かい風を受けながら。
広い広い宇宙を見つめて、微動だにしない。
大地にすっくりと立つ君
どこまで行けるか分からないけど
行ってみようか?貴方を信じて。
二人つぶやく
見えない明日を夢見たいと。
さあ、出発だ朝日と共に
腹ペコの夢が僕らの味方
手つかずの明日が僕らの味方
さあ、手を携えて共に
歩き出そう
風に身をまかせ
2024年5月14日
心幸
失われた時間
時間とは、生きるということ。
時間をケチケチすることで、本当は別の大切なものを喪失しているということには誰ひとり気づいていないようでした。
時間とは、生きるということそのものなのです
そして人のいのちは心を住みかとしているのです。
廃墟となった劇場に住みついた、粗末な身なりの女の子モモ。街の人々は相談をし、モモの面倒を見ることになります。
孤児で不思議な空気を纏う女の子モモは、人の話を聞くのが得意で飽きずに人の話を聞く女の子でした。モモに話を聞いてもらうと硬くなった心が柔らかくなり悩みが消えてゆく…。不思議な力を持つモモは、街の人々に愛されました。
ところがある日、街に灰色の男たちが現れます。
「時間を貯蓄銀行に預け貯めるとお金が倍になる」と言う彼らの言葉に乗って、街の人々の時間は失われました。
ミヒャエル・エンデ「モモ」は「時間」がテーマのお話 副題は「時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子の不思議な物語」
「灰色の男たち」とは
灰色の男たち、「時間貯蓄銀行」を称する集団彼らの見せる幻想と語る言葉の言靈に乗せられ時間は奪われて行きます、彼ら時間どろぼうとは何者なのか?考える間もなく人々は、心の余裕を失ってしまうのです。
より沢山のお金を得るために、着飾るブランド品を買うために、時間貯蓄銀行に自分たちの時間を差出した街の人々は、その少なくなった時間を更に貪欲に生きようと、余裕を失って行きます。モモに四方山話を話に来る者も一人ひとり消えて行きました。
丁寧に生きる余裕
誰かとゆっくり語る余裕
時間どろぼうは、人の心に巣食う欲なのかも知れません。
モモという女の子と語らう余裕
毎日を忙しく生きている、大人たちのために
失われた時間の煌めきを思い出させる大人のための童話がミヒャエル・エンデ「モモ」なのかも知れません。
私の1番響いた台詞は「時間を感じとるために心というものがある」でした。
「モモ」はドイツ人作家の童話ですが、日本語でも、心を亡くすと書いて「忙しい」と読みますからね。
失われた時間の中にこそ大事な忘れ物を人はしてしまうものなのかも知れません。
過去を知らなければ明日は見えないのかも知れません。
時は偉大な作家である。
忘れ物を見つけるために失われた時間過ぎ去ってしまった時間を愛くしむ心の余裕は人生に深みを与えるのかも知れません。
2024年5月13日
心幸
子供のままで
子供の頃の思い出は大切な宝物でいつも傷ついたり立ち止まった自分の背中を撫でて押してくれる私の味方だ。
子供は洗いざらしで嘘がなく単純で馬鹿正直で未熟で素直であるからこそ癒やしの天使で明日を繋ぐ希望の味方だ。
けれど
子供のままでいたいいたかったとは思わない
だって
憂いを知ったから屈託のない日々が尊いと思う
だって
大人になったから子供の頃のを懐かしいと思う
だって
大人にならずに子供のままでいたら寂しいと思う
だって
ピーター・パンは寂しいだろう
だから
ピーター・パンは
大人にならなかった少年で
大人になろうとしなかった少年で
大人になれなかった少年だからだ。
分かるかい
子供のままでとか思えるのは
大人になったからなんだよ。
2024年5月12日
心幸
愛を叫ぶ
朝目覚める
感じたいぬくもりがない
冷たいダブルベットの左端
重い体を引きずり
カーテンを開けよう
眩しすぎる朝日と空いてる君の席
あの日の泣き顔
照らす夕日
体のぬくもりが消えてゆく
消し去ろうと思うたび
君を思い出させる
何時かは君のこと
なにも感じなくなるのかな
あの日の夕焼け
一緒に迎えた初めての朝は
日に日に消えて行くのに
君を思い出させる
なくしたものを越えるのか
君は…
そこにいろよ
僕の記憶の体の奥深く
君は咲き続ける
情熱の紅い薔薇
愛なら叫ばず偲んでみろと
僕に言う
激しく鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
2024年5月11日
心幸