ねえ、「桜が綺麗なのは木の下に死体が埋まってるから」みたいな話、あるよね。あれってさ、死体の血が桜に吸い取られて、桜の花がピンク色になるからなのかな?
え、今その話する?秋だよ、綺麗に赤くなってる紅葉の木の下だよ今。空気読めないにも程があるでしょ。
いやいや、今からすること考えてみてよ!さっき言った……仮に「桜キレイ理論」って呼ぶけど。桜キレイ理論はさ、紅葉にも通用するかなって。
……何言ってるの?
紅葉がもーっと明るく、赤くなりますように。やっぱさ、いつまでも二人で楽しみたいじゃん?紅葉。
……血抜きしたじゃん。「指紋消しと血抜き、あと歯形も気を付けて!」って言ってたの誰だよ。
あ……ほんとだ。じゃあ、紅葉これ以上キレイにならないじゃん!この紅葉はこれが最大の美しさなんだ……。
まあまあ……死体そのものの栄養とかあるじゃん。あれ吸い取ったら、たぶんキレイになるんじゃね?桜もたぶんそうだよ。死体の血じゃなくて栄養を吸い取ってる。たぶん。
ああ……!なるほど!さすが大天才!我が親友!じゃあ来年も再来年も、ここで次第に美しくなっていく紅葉が拝めるってことだね!
………二人で、見に行こうね。
え、なんか言った?
君は実にバカだなあって言った。じゃ、埋めよ。
あ、誰がバカだぁー!
滑走路を猛スピードで走り、地面から離れ、少し前まで住んでいた街にさよならを告げる。雲を突き抜け、乱気流のなか、飛行機になんて乗り慣れていないわたしは、ああ墜落しなければいいな、なんて他人事のように思った。
とんでもなく、あっけなかった。日常が壊れるのも、飛行機が飛び立つのも。周りは目まぐるしく動いているのに、わたしはなにもできなかったから、まるでわたしが騒ぎの中心にいるみたいだった。あれやこれやで、国境を越えた引っ越しが決まって、わたしは、お母さんが死んでから、わずか6日で家を出ることになっていた。
やはり葬儀もあっけないもので、棺の窓から花まみれのお母さんの顔を見ても、お母さんが死んでしまったことへの悲しみもなく、飲酒運転をしたトラックドライバーへの憎しみもない。立ち上る煙に涙を流すこともなく、崩れていく日常と、周囲の大人たちからの哀れがる目線を感じていた。そんな中わたしは、外国人であった離婚済みのお父さんの話を受けるしかなく、お父さんの元へと移住することになったのだ。
3日かけてまとめた荷物は、諸々を捨てた結果、大きなキャリーケース1個に収まるくらいになった。わたしの15年間、なんとポータブルな人生。わたしはそれを、初めての空港でも迷うことなく手荷物預け場で預け、難なくチェックインも終え、たった一人で人生の新たな門出を切ったのだ。
もう窓からは、とっくに街は見えなくなっていた。わたしの平凡な日常は、崩れ去った。実感なんてない、浮いてしまいそうな心持ちで、一面に雲しかない白い窓を見ていた。
ああ、もう何もないな。学校でできた友達も、ピアノコンクールの出場も、この先の人生の展望とかも。お母さんも。真っ白になってしまった。友達と原宿スイーツ食べに行きたかったな、ショパン弾きたかったな、あの街で、もっとやりたいことあったのにな。
……お母さん。ほんとうに、死んじゃったんだ。窓から見える白い雲。白装束に白い顔。あれほど生命に溢れていたものが、こんなにも無機質になれるんだなと思った、棺窓。花だけは色とりどりだから、それが余計に、無生命を引き立てて。まるで、青い空に、赤い夕焼けに、暗い闇夜に、白い雲が映えるように。
上空1万メートル。やっと、お母さんの死を咀嚼できるかもしれない、と思った。
昔、このジャングルジムでよく遊んだじゃない。ケイドロ。ケイサツとドロボーに分かれた鬼ごっこ。逃げるドロボーをケイサツが捕まえて、ケイムショに入れるやつ。あんたも覚えてるでしょ?
あんたはケイサツで、私はドロボーになることが多かったわね。最後まで残ったドロボーの私を捕まえるのは、いつもケイサツのあんただったわ。ケイムショに見立てたジャングルジムに入れられた仲間も助けられずに、ゲームが終わって。悔しかったわ、ほんとに。あんたから逃げきってやる!って、それを目標にして、毎日ランニングしてたこともあるのよ、私。でも、結局最後まで逃げられることはなかった。
…わかったでしょ、これはリベンジなの。もちろん、他にも理由はあるわ。女の子らしく、宝石が欲しくなっちゃったとか。ちょこっと目立つことをしてみたかった、とか。でもそれ以上に、あんたがこの町の警察になったって聞いて、どうしてもリベンジがしたかった。そしてようやく、あんたを打ち負かすチャンスが来たわ。
この私を捕まえて、ジャングルジムまで連れていってみなさい。せいぜい頑張りなさいな、ケイサツさん?
幼稚園児あたり、だろうか。ここに引っ越してきて一週間。近くに、たしかあったはずだ。二階建ての大きな建物、だだっ広いグラウンドにたくさんの遊具。いや、保育園だったかもしれない。まあどっちでもいいや。
とにかく、そのくらいの年代の子どもが騒いでいる。そんな声で起こされて、時計を見ると朝の九時。寝坊した!……と思ったが、よく考えたら今日まで仕事は休み。なんだ、それならもっと寝れたかもしれない。しかし、この騒がしさでは眠れない。何をしようか。
……せっかくなら、自分も幼稚園児のころのことを思い出してみようか。まだダンボールの中に入ったままのアルバムを適当に開き、5歳のころの自分を見てみる。
○○幼稚園、✕✕組。笑顔で写る自分の隣にいるのは、三つ編みの女の子。あ、この子は。家が隣で、幼稚園に一緒に行って、帰り道の公園で遊んで、手を繋いで歩いて。
初めてドキドキして、初めての好きができて、はじめて、悲しくなった。幼稚園を卒園する前に、遠くへ引っ越してしまったんだ。幼稚園児だからメールもラインも無くて、相手の引っ越し先の住所も知らないから、連絡もしていない。
まだ、一緒に遊んだ日のことを覚えている。公園の木の葉の匂い、一緒に食べたおかあさんの梅干しおにぎりの味、砂場の砂がこぼれ落ちる感触、前歯が抜けたその子の笑顔。すべて鮮明に思い出せる。
人の記憶で一番最初に忘れられるものは、声だ。もう10年以上は前のことなのに、外から聞こえる子どもの声に、その子の声が被って聞こえたような気がする。今日はなにする?おみせやさんごっこしよ!どろだんごたくさん作って、たくさん売ろう!
……もう、一生忘れられないんだろうな。次引っ越すなら、もっと静かな場所にしよう。