#0008
#あなたがいたから
他人のために生きることは、他人に生きる意味を委ねた『怠慢』である。
自分の人生だと言い張るのなら、全ての決断と言動は自ら責任を取り、自らのために行わないとフェアではない。
他人のために生きるというのなら、他人もあなたの人生に口出ししなければフェアでない。
でも所詮は他人の他人事。
競馬で野次を飛ばすおじさんみたいなものだ。
親身に見えてもそれはクイズに正解しようとしているだけ。
感情的に見えても映画を見た後みたいな一時的な共感性を持っただけ。
他人の人生を理解して決断してあげられるものなどいない。
自分の存在理由も、未来の選択も、現在の苦渋も全てが自己責任であることが正常な姿で正常な孤独なのでないか。
でも真の孤独は孤独なり得ない。
「あなたがいたから」気づけることなんだね。
他人がいるから自己が確立する。
あなたがいたから私がいる。
世界は循環している。
#0007
#落下
落下する時に人は心臓を捕まれたような感覚を覚えるらしい。
それは、ジェットコースターのような重力による落下や人生の比喩表現的な落下でも同じ感覚なようだ。
言葉が曖昧なのは僕はそのどちらも経験がないからだ。
家は決して大富豪というわけではなかったが、そこそこ稼ぎはあったようだ。
両親とも朝から晩まで働いていればそれはそうか。相応の収入はあったのだろう。
しかしその分僕にかまってくれる時間は少なく娯楽施設に行った経験がほとんどない。
近所にある大型のショッピングモールが精々だ。
そんな僕はもちろん遊園地にも行けなければ、人生のどん底なんて経験もなかった。
だけど、愛だけがなかった僕の人生は
誰にも愛だけを与えられず
ゆるやかにゆるやかに
「落下」していった。
#0006
#一年後
人は新しい体験や発見があると時間を長く感じるらしい。
旅行でオーロラを見にアイスランドまで来た私はそれを体感していた。
人生に慣れた大人が一年を早く感じるのも、子供の時の小学生時代がやたら長く感じたのもそういったものなのだろう。
特に大人になってから環境や人間関係を一新して新しい体験をするにはとてもパワーがいる。
だから現状に多少の不満があっても「人生そんなもの」と自分を納得させる。
私は目の前のオーロラを見て、一瞬がこんなに長く、人生を実感できたことがなかった。
人生を変えてみよう。そう思えた。
果たして、一年後は一体何年分の体感になるだろうか。
#0005
#君と出逢ってから私は
私は人と話すことが苦手だ
昔から相手の目を見ると、自分の心を覗かれているような感じがして言葉に詰まってしまう。
お話のできない女の子など、女の子界隈では一番省かれる存在だ
そんな私は、当然人と話すような仕事はせず、入社できた会社で事務の仕事をこなしていた。
同期にもほとんど話せる子はいなく、先輩もおじさんばかりで会話もなければ当然馴染むことなどできない。
そんなある年、後輩が配属された。
明るく元気でハキハキした男の子だった。
同期に囲まれ、先輩にもかわいがわられ、私にも積極的に話しかけてくれた。
そんな彼のことを考える度に、目の前で話かけてくれる度に、モヤモヤした。
私でもよく分からないものだった。
でも1つ言えることは君に出逢ってから私は、、、
私をもっと嫌いになりそうだ。
#0005
#大地に寝転び雲を眺める
雲とは、標高が上がったために気温が下がり飽和量を越えた空気中の水分の集まりである。
理科の実験でも擬似的に雲を作り出した経験は多くの人にあるだろう。
言葉の中での雲は、想像を膨らませる、という意味合いもある。
雲隠れ、暗雲が立ち込める、表情が雲っている、など
何かを想像をさせる言葉が多い。
そんなことをぼんやり考えながら連休を振り返る。
仕事、寝る、仕事、仕事、仕事、寝る、仕事、仕事、、、、
川辺の土手や草花はそんな俺とは裏腹に、楽しそうに風と踊っている。
俺は果たして、明日何かをなせるんだろうか。
それともずっと何もなせないまま人生が続くのだろうか。
俺はこれからの人生の様々な想像をしながら、大地に寝転び雲を眺めた。