星空の下で今日もきっと踊っているのだろう。とても上手なあの人を見たいような二度と目に入れたくもないような、怖れと執着の中でひたすらに不安定。きっと楽しくやっている羨ましいようで妬ましい苦悩も努力も踏み越えて美しく踊っているのだろう。苦悩の分だけ誰かを助け足掻いた分だけ幸せにそのようになっているのだからきっと何もかも幸せにしてしまえるほどのあの人の、素晴らしいあの踊りの裏には苦悩と苦難が積み重なっているのだろう。それでもなおあの美しい踊りに嫉妬してそれを知らない夜があったことをもううまく思い出せないほどのこの苦しみだけは。きっともう誰にも救いようがない。
エイプリルフールだぞなにか面白い嘘をついてくれ、とご機嫌よろしく笑っているがそのような無茶振りをされては出るものも出ない。そもそも言われてつく嘘に一体どんな面白さを期待しているのだ。というかなぜあなたがここにいる。問いかけたかったがそれを言っては何かが壊れてしまう気がして聞くに聞けない。ああもう、まだか?なんて覗き込まれても、嘘みたいな状況にどうしたって頭など働くはずもない。三回忌だからと少し奮発したあなたが好きだった酒が楽しそうな顔の向こうに透けて見える。
永遠に遊んでいたいんだ、そんなことを言われた。あなたにとっての幸せとはどんなものかと問いかけたらかと問いかけたらそんな答えが帰ってきた。こちら目もくれずどこか遠くを見ながらぽそりと落ちてきた声は、少し後ろめたさのようなものが滲んで聞こえた。遊ぶ、と釣られるように繰り返すと、小さく頭が上下に動く、子どものように、子供の頃のようにただ何も考えず眼の前の楽しさにだけ没頭していたその幸せは永遠の思い出だからそれがもっと長く、永遠に続いてほしいただひたすらにどこまでも楽しい時間に浸りたい、そう語る声はさながら老人のようで幸せになりたいと願いながら叶なわないことは知っていると暗に語っているようだった。
見つめられると緊張するらしいから、と言い訳をして目を合わせてくれない。見つめられるのは苦手だけど見つめるのは平気だからついつい見てしまう。いくら眺めても飽きることのないその姿は努力の成果を見せてもらえていると思えばありがたいものだとついまじまじ眺めていたら困らせていることに気づいてしまった。赤く染まった顔も美しいものだと眺めてしまう。あぁ、目があってしまった。
散々見ておいて自分はそらすのはどうかと思う、まじまじと顔を覗き込まれて視線をそらす。だってそう言われてもなにより一番その瞳が眩しいほどに美しい。
ないものねだりをしてみようあれも欲しいこれもほしいずいぶんと欲深い足るを知るのが幸せのコツだというのに。ない者をねだるのは不毛この上ない話なわけで執着とは困ったものだ。諦めてさっさと人生の駒を次へ進めればいいのに案外に執着なんてさっさと捨てればいいものを生きる限りは欲と同居しながらでもないと案外あっさり死んでしまいかねない。欲ってのは現世に人を留める錨のようなものかもしれない。あれがほしいから頑張ってこれがほしいから苦しみに耐えている。不思議なものよね。でもそれってほんとに欲しいものなのだろうか?。いつかは人間死ぬものだ。いつ死ぬかなんてわからないものだ。人間は時間が一番ほしいのかもしれない。それを買うのにお金を求めて時間を差し出すのが人生かも?。