10年後の私からの手紙を開くのはきっとなかなか難しい。不安できっとなかなか開けない。開けた頃には今更だってなるんじゃない?なんとかやっているだろうかそれとも案外白紙だろうかどうなったって私はきっと泣きながら人生にもがいて後悔してそんな人生を愛しながら生きているのかそれとも案外誰かのために死ねただろうか。私の人生はずいぶん遠回りを選んだのだろう。私は理解するのは手遅れになってからだと薄々感づいているだろう少しでも動けよ。すべてが経験、すべてが思い出何もかもがきっと大事な宝になるから覚えてメモして録画しておいたらとか、人生のままならなさと自分の怠惰さを反省するように書いてあるかもしれないな。何もかもが愛だよ私。受け取りきれなかったそれが誰かに届いているだろう。逃げた不幸を引き受けてくれた誰かに祈りを。たぶんちゃんと運命がそうなるようになっている。だから流されて行き着くといい、それなりに笑って泣いて苦しんで楽しんで生きて死ね。わかっているくせにわからないよね。どうしたって理由はつくよ。
バレンタインらしい、あちこちの店でイベントが行われている。商業的イベントだと知っているチョコレート好きのための祭典だろう。あげる相手などいないがそれでも自分用のチョコレートを食べるためにそこにいく人がいると何かで聞いた。だからたまたま見かけたあの子が楽しそうに選んでいたからと言ってかならずしも誰かに送るためとは限らない、とただひたすらにやけに輝いた笑顔で買い物する姿を見て心のなかにうかぶじぶんの焦りのようななんとなくの嫌な予感を振り払う。その努力は薄々無駄だろうとも察しつつ。
待っててもきっとそうそう良いことはないただ起こることを自分がどう理解して愛するか私はきっとそれを学ぶためにやってきた自分を捨てて誰かを助けられない私は多分相応の苦労が来るのだろう。それをどこまで愛せるかを感謝できるかを私はきっと修行しに来たのだろう。すべて愛するためにすべてを憎むために後悔と苦難の日を誰かのではなく自分の学びのためにここに来たきっと私は最後まで後悔を愛して生きていく。一人の苦しみを最後まで愛して生きれるようになるために。
伝えたいそんなつもりじゃなかったでもそれすら届かない苦しめる気などなかった。自分のことばかり考えて自分のことすら考えられなくて嘘ばかりごまかしばかりで呆れさせわかっているのにやめられない自分で選んでおいて後悔ばかりしているもう手遅れの有り様をそれでも苦しくて取り戻したくて嘆いている、時間の浪費ばかりして生きていることに悲観して助けの声を聞き逃しあとからそれに気づく頃には手遅れで伸ばされたその手も受け取れず誰もいなくなってから、自分の選択を間違え続けたことを悔やんでる。もうだめなのは知っている。何者にもなれないままただひたすらにどうしようもない。
この場所で生きていく先行き不安しかないけれどそれでもだましだまし生きていく多少の楽しいことがそこにあると信じて面白いことを探して。たぶん楽しもうとすれば楽しいものがあるのかもしれないから。これから先の未来は自分にとって辛いことばかりだろうと何処かで諦めが囁いているけれど。どこかのスピリチュアルなサイトで人は生まれる前にすべての運命を決めてやってくると書いてあった、あなたが選ばなかった道は他の誰かが選ぶのだそうだ。じゃあ自分よりつらそうな人はきっと変わってくれたのだろう、ありがたいことだ。楽しそうな人は自分が変わってあげたのだろう、やるじゃん自分。そんな多少の欺瞞と現実逃避で自己否定をそっと心の中で慰めて。ずいぶんハードモードを選んだんだろう。仕方がないさ。どのみちあの世に持っていけるのものなんてなんにもないんだから。