君に会いたくてもそもそも向こうは会いたくないだろう困ったことにそもそも会う方法すら無理がある。牢屋に行くほどの覚悟はないのでそもそも出会う機会はたぶんない。合ってみたいようでそこまでしてもあまり意味がないように思う。あってなにかしたいかと問われればそもそもがこちらもそこまでのものだろうか?執着はあれど特別な人かと言われたらある意味そうかもしれないがだからといって身を捨てられる程でもないものだ。そこまでしても向こうもこちらもどうにもできない残念である。
木枯らしがひどく身にしみる、疲れた体を引きずってさっさと家路につく。寒いと感じる感覚をなんとなく味わいながら道をゆく。今日は少しだけ気分がマシだと感じながらその理由がこれと行って浮かばない。意味もなく落ち込むよりはマシだろうと思いながらも、いまいち自分の感情が腑に落ちない。風が冷たく肌をなでていく唇が乾燥しているのを感じる。ガサガサと音を立てて木の葉が道路を這うのを横目にしながら風から逃げるように駅に入る。ぼんやりと駅のホームで待つ間なんとなくのいい気分を楽しんでみる、段々と落ち着いてきたのかどこかへと去ってゆくのを感じて残念に思う。一時の楽しみの余韻を感じながら滑り込んで来た電車に乗り込んだ。
美しいものはたくさんある。美しいものは見ていると癒やされる。何も考えずに穏やかに美しさに浸ることがとても幸せである。美しさの中には儚いものや力強いものがあるそれらの一つ一つにも輝きがある。けれども全く美しくないものはないのではないかと感じる時がある。どれほど見にくくてもその歪みにこそ美しさがあったりもする。その歪みに安堵を感じるときもあるだろう。鏡のように内面に感じる心の波の揺らぎが例えようもなく苦しくてそれもまた他者の感情を揺り動かす力を持つ美しさかもしれない。うつくしいものは見るものの内面にこそ浮かぶような気がする。
この世界は不思議に満ちている。見方を変えれば謎だらけだ。例えばすれ違う人の家や夕食から、いつも通る道に立つビルの内装も知りたいかはともかく知らないまま生きていく。教科書に書かれた内容ですら専門家にでもならないとそうそう確かめようのないこともあるだろう。タイムマシーンでもない限り歴史の真相なんて確かめようがないだろう。インターネットに乗っているたくさんの情報もそもそも確かめようがないものが多い。極論自分が見たもの以外、何なら幽霊見たり枯れ尾花とも言うわけで自分が見たものすら信用ならないかもしれない。人生の大半は知りようもないことに囲まれて生きていく。一つ一つ確かめはじめたらおそらくは時間足りないだろうから曖昧な理解と棚上げを繰り返しながら日常を過ごしている。
どうして嘘ばかりついてしまうのだろう、場当たり的に話すから整合性が一切ない。嘘を付く気はないけれど偽善の欲が心を病ませる、別に悪意はないけれど結果的に何からも信用されない、そういう自分がますます嫌いで淀んだ心がますます承認を求めて都合よくつぶやいてはますますおかしくなってゆく、不安な心が思考を鈍らす。考えられない頭がますます場当たり的になってゆく後悔はいつもついて回る。逃げ回って逃げ回ってそんな自分を自覚するから。あらゆるものから責められているようなそんな被害者意識すら責められているような逃げ場のない精神状態を自業自得と受け入れるのは弱った心が拒否をする。口を閉じて孤独を選んでおいてそんな自分が受け入れられない。