NoName

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10/26/2022, 7:46:08 AM

僕は彼女を愛している。
無垢な笑顔も、考え事をすると全ての動きが止まる所も、時に色っぽさを感じさせる体つきも、鈴のような声音も。
彼女は果たして僕を愛しているのだろうか。袖で指を覆って、熱そうにミルクティの缶を傾ける彼女は、気まぐれにしか僕に会いに来てくれない。次の週には僕を訪ねてくることもあるし、何ヶ月も放っておきながら突然呼び出しの電話がかかってくることもある。
彼女の唇に指先で触れたことはあれど、手を繋いだことも、抱きしめ合ったことも無い。しかし、彼女は一晩中寄り添って話してくれる。甘えるように僕の方に額を寄せて眠る彼女の熱を忘れたことは無い。
「寒い」
今日は寒くなると朝の天気予報でも言っていたはずだが、確か家にテレビも置いていない彼女は薄着で、僕に身体を寄せてくる。
「家に行く?」
僕が顔を覗き込むと、彼女は首を振り
「帰ろうかな。もう遅いし」
と僕のほうを見ずに呟く。スマートフォンを見ると21時を回っていた。
「駅まで送るよ」
もう冬に片足を踏み入れた街を、2人で並んで歩く。僕はチラチラと彼女の冷たそうな指先を見つめ、彼女は暗くなり始めた店のウィンドウを眺めながら。
ふと、彼女が電話に出る。うん、うん、と小さな声で受け答え、少し暗い表情で通話を切った。
何度か躊躇い、駅が目前まで迫ってきてから、僕は後悔しながら彼女に尋ねた。
「電話、誰から?」

じゃあね、と振り返り、僕の頭を撫で、「またすぐ会えるから」といつものように優しく微笑んだ彼女の背中を、僕はいつまでも、いつまでも見つめていた。

10/25/2022, 5:02:49 AM

「もう遅いから」
彼女はいつもそう言って僕の部屋をあとにする。僕が露骨に寂しそうな顔をしているのか、彼女の察しがいいのか、とても優しい声色で
「またすぐに会えるから」
と頭を撫でてくれる。
それでも、次の週も、その次の週も彼女とは会えない。僕と彼女が会えるのはいつだって彼女の気分次第だ。しかしこの気持ちを誰かに打ち明けることは出来ない。僕たちの関係は秘密だから。
最後に彼女が会いに来てから2ヶ月が経った。深夜1時を回った頃、突然スマートフォンが震えた。飛び起きた僕は彼女からの着信を確認して、落としそうになりながら通話ボタンを押す。
「迎えにきて。駅にいるから」
「すぐ行く」
顔を洗って着替えて5分、車を飛ばして10分弱。駅に着くと、彼女は傘を持たずに軒下に立って僕を待っていた。雨の事などすっかり忘れていた僕は、出来るだけ彼女の近くに車を停め、さらさらと空気を湿らす雨を浴びながら、薄明るい蛍光灯の光を背にした彼女の元に駆け寄った。
水たまりを踏んだのか、彼女は濡れたつま先を見つめたまま、僕の方に目を向けずに
「遅いよ。寝てたの?」
と言って笑った。
「最速だと思うんだけど?」
湿気を吸った彼女の肩に触れ、抱き寄せようと思ったが躊躇い、指先を引いて助手席にエスコートすると、彼女はまたクスクスと笑いながら僕の寝癖を指摘してきた。運転席に座った僕の髪を触ろうとする彼女の手を握って真面目に見つめる。
「随分遅い呼び出しだね。こんな時間に来るならもう、今日はどこにも、」
口付けた彼女の唇は、いつもより冷たく、濡れていた。