今日で世界は終わるらしい。
ある日突然発表されたその事実は、全くもって現実味の湧かないものだった。
発表があったその日は街中で号外が配られたし(人生で初めてもらった)、どのニュース番組もこの話題ばかりだった。
翌日からもコメンテーター達のあれやこれやの討論や持論が飛び交った。
でもまあ、人間というのはあまりにも予測できない事があると逆に普段通りに生活を送ろうとするようで。
最初のうちはバタバタギスギスしていた世の中も、数ヶ月経った今ではすっかり以前と変わらない。
………いや、変な宗教とかスピリチュアルなバラエティ番組とかはちょっと増えたかもだけど。
そんな日常生活を取り戻したまま、世界が終わる日を迎えた訳だが。
あろうことか、自分は今ライブに来ている。
こんな日に開催しようと思うのもイカれているが、集まる我々も大概だ。
世界が終わると言われたって、実感がないのだから仕方ない。
世界が終わる日に何がしたいと言われても、経験したこともないから思い浮かばない。
ならば、あくまでも普段通りに。
大好きなアーティストがライブをやるというのなら、見に行くまでだ。
それに、最期を迎えるその瞬間を大好きな人と、大好きな空間で、大好きな音を聴きながら迎えられるのなら。
これ以上の幸せな終わりはないんじゃないかと思う。
さあ、そろそろ開演だ。
世界の終わりに君と、最高の時間を過ごそうじゃないか。
正直に生きたって、いい事なんかひとつもない。
正直に生きたら、馬鹿を見ることだらけ。
正直でいたら、敵が増える。
正直でいると、損をする。
円滑に穏便に、穏やかに変ないざこざにも巻き込まれず生きていきたいのなら、正直になんて考えは捨てたほうがいい。
でも。
自分の好きなもの
愛するもの
大切なもの
それらにだけは、正直でいよう。
そこに嘘をついてはいけないよ
※ちょっと注意かも
「無垢」とは、けがれの無い純真を示す言葉だ。
欲に塗れ、罪を重ね、嘘をつき、日々穢れていく人間には程遠い言葉。
………そう思っていたのだが。
「ほら見て!きれいに取れたよ!」
今わたしの前に居るこの子は、かわいらしい瞳を普段以上にキラキラと輝かせながら嬉しそうに笑っている。
その笑顔には、一遍のけがれもない。
「そうだね。綺麗に取れたねぇ」
わたしがそう応えると心底嬉しそうに、きれい!きれい!と言いながらお気に入りの前にまた座り込んだ。
純粋な好奇心と興味、正直な気持ちと飽くなき探究心に溢れた子。
もし天使が実在するのなら、この子のような存在だろう。
わたしのような穢れきった存在には眩しいくらいだ。
願わくばどうか、この純粋無垢なまま成長して欲しい。
「見て!赤いのたくさん!」
夢中になっていたのだろう。
そういってコップを見せてくれる本人は、あちこちに赤い汚れを沢山付けている。
これはあとで洗うのが大変そうだ………床も拭かないといけないしなぁ………
「無垢」とは、けがれのない純真を示す言葉だ。
「けがれのない純真」ということは、善も悪も持たないということだ。
そのような概念は、「無垢」なものにはないのだから。
「さて………穢れまくってる人間はお掃除でも始めますかね」
まあ、最初に汚したのはわたしだしな。
そう独りごちながら、わたしはあの子の周りに散らばっている骨やら肉片やらをどう片付けるか頭を悩ませるのであった。
天国には痛みも苦しみもない、悲しいこともなく皆が幸せに過ごせる……らしい。
そんな〝つまらない〟空間に耐えられる自信、ないよ。
痛みから生まれた芸術を、音楽を、様々な作品を、私は愛している。
人間が持つ負の感情をこれでもかと吐き出し、表現されたものに惹かれる。
私が好きなもの………つまり私にとっての天国は、その仄暗い場所。
多分幸せしかない場所では、退屈すぎて嫌になっちゃう。
何を天国とし、何を地獄とするかは、人の数だけ存在している。
だから私はいつか、私の望む「天国」へ行ければいいなと思う。
例えそれが、他者からは地獄だと言われようとも。
拝啓 あの頃の私へ
今、なんで生きてるのか分からないでしょう
毎日が嫌なことだらけでしょう
つらいでしょう
逃げ出したいでしょう
拝啓 あの頃の私へ
手首、痛くて痒いよね
でもまたやりたくなっちゃうよね
バレないように、どんどん場所も変えるよね
この瞬間だけは、生きてる気がするよね
拝啓 あの頃の私へ
色々あったけどさ、結局私は今日も生きています
嫌なことつらいこと沢山あったけど、毎日生きています
楽しいことも、嬉しいことも、面白いこともあります
こんな人生も悪くないなと、思い始めています
だからさ、
拝啓 あの頃の私へ。
意外と今の私は、私らしくいるから。
安心してその道を歩いてきてね