周りを、照らすのが仕事で、いつでも笑顔を貼り付けている男女がいた。所謂、カップルというやつだ。けれど、私からすればそれは太陽などではなく金属を無理にヤスリで磨いて光らせた面のようなものに見えた。汚れて傷が付けば、少しづつヤスリで磨いてすり減らしていき、いつかは削る面すら無くなってしまう消耗品。
そんなものは、太陽では無い。太陽とは、人や動物、草木を気まぐれに照らし日の暑さで私達を焼き尽くさんとするものだと私は考える。だから、私は外に出るのが嫌いだ。身も心も焼かれて朽ちてしまいそうになるからだ。
私に太陽は眩しすぎる。
お終い
何かと理由をつけて、干渉したがる人間は支配を目的として干渉しているのかを是か非かで問われると、私は是だと考える。周りにいた人間で、目鼻立ちのよい男にしか興味がない女が、ご自慢のスタイルと顔立ちで色仕掛けをしている様を見た事があるが、正直、心の内に留めておいたが品がないと思ってしまった。そして、何よりも哀れみを覚えた。
結局、それらは一時的な支配欲であって、飽きたらボロ雑巾のようにゴミと等しく捨てられてしまうものであり、その飢えはいつまでも潤うことはないという事を見落としてしまっている時点で人は変わることはできない。けれど、次こそは意気込むのだ。また、愚かにも同じ事を繰り返すというのに自信に満ちた顔を晒しているものだから笑ってしまいそうになる。だから、1人になりたいと思うのだ。
そんなもの、視界に入れるのでさえ不快だと言うのに、この世界に溢れかえる人間という動物が目を背けることを許さない。
だから、人は孤独を生きられない。
お終い
澄んだ瞳の奥には、何が見えていて何が隠されているのだろうか。ゴミや泥がない湖のようなものが見えているのだろうか。けれど、誰かにとっての、影は誰かにとっての光かもしれないと考えると、一概にこれが正しいなんて言えないのかもしれないと考える自分がいる。
現に政治や戦争でも、国のためにといった言い訳をつらつらと並べてはそれっぽく演説しているのを見て、こいつらは高い給料貰っておいて何言ってんだって事もあると思う。そういう奴に限って、狂気的な何かに取り憑かれてしまっているのだ。
結局、澄んだ瞳の奥に何が写ってるかなんて本人にも分からないのかもしれない。
澄んだ瞳の奥には、自分にとって希望という名の逃げ道があるのだろう。
お終い
もし、貴方達が自分のためには何も出来ないけれど、誰かの為になることを出来るとしたら、貴方達は何を思い、どんな事を頭に思い浮かべますか。
私は、自分の事にはとことん疎い自覚があり、誰かの為に出来ることがあるのならば、そちらを優先してしまうかもしれない。でも、心のどこかで誰かではなく、自分のために出来ることを考えることがある。
他者のために、何かをしようするのは、誰もが出来ることでは無いと私は知っている。けれど、何故か時に人という生き物は、自己を犠牲にしてでも他者を助けようと必死になる時がある。それは、どうしようもなく心を温かにしてくれる事を私達は知っているはずだが、人は、忘れてしまっているのだ、それが当たり前なのだと勘違いしているのを思い出せないまま今日も生きているのだろう。
誰かのためになるのならばと、自分は受け入れる準備をして待ち続ける。
お終い
鳥かごの中に、人形を置いている。人を客観的に見る時のイメージを固めるために始めたことだが、どうにも、落ち着かない。今、人形を通して感じるのは、鳥かごに閉じ込められたことによる閉塞感くらいだった。
私は、昔から人や動物といったものなどの感情や行動や思考をある程度、予想することができた。ただ、自分についてだけはどうしても思考が上手く纏まらない事が続いていた。それは、私が他者を優先しすぎる性格が原因で自分への分析を疎かにしているからだと結論が出ている。
それでも、自分を理解しようとは思えない。それは、本当の自分を見るのが怖いのかもしれないし、或いは、直感で危険だと感じているからかもしれないと考える他なかった。
鳥かごに、囚われているのは自分かもしれない。
お終い