流れ星を見たよ、と旅先から帰ってきた5歳の男の子がお話にきてくれました。お願いごとした?と聞いたら、うん、と言うので、それは内緒なのかな?と更に聞いてみたら、いいよ、教えてあげる、と言うんです。彼の大好きなリンゴジュースを出しながら、話を聞くことにしました。
きっとかわいいことをお願いしているのだろうと思ってワクワクしていると、「らーめんって言ったら終わっちゃったよ」と元気に教えてくれました。
期待とは違ったけどほっこりした気持ちでラーメンについて聞いていたら、突然真顔になって私の正面にすっと体育座りするんです。意を決したように一つため息をついて話しだしました。
「流れ星はビュンて早いから間に合わなかったんだけど、終わったあとでもいいって言われたから、ママとお兄ちゃんが仲良くできますようにってお願いしたんだよ。」と。
歳の離れたお兄ちゃんの反抗期が始まっていて、ママと喧嘩することが増えたと聞いていたのでした。小さな心がとても心配していることを知り、胸がギュッとなりました。自分のお願い事ではなく、お兄ちゃんとママを想ったことがどれだけ素敵なことか、私は精一杯伝えたつもりです。
翌週、流れ星のお願いが届いた!と向日葵のような笑顔で走って報告に来た彼には、ママとお兄ちゃんとこっそりお話したことは内緒です。
ルールブックが好きだ。
生徒手帳に書いてあった校則も全部読んでいたし、好きな競技のものはもちろん、ボードゲームのなんかも楽しい。強引なルールはどこにでもあるし、そんな細かい規定まで必要なのかと思うようなものも、クスッと笑ってしまうようなものもある。ルールは守らなければならないけれど、ちょっとした抜け道や穴を探す人がいるのもまた面白い。解釈は個人により異なることがあるからだ。
私は職業柄、相談を受けることが多い。その中にはなぜか道徳をルールブックにしたがる人たちがいて、私はこれがあまり好きになれない。ゲームなど狭い世界で限られた行動パターンが想定される場合にはルールが必要だ。それによりその世界が面白くなる。ただ人生はそれとは全く異なる。生き方、夢の追い方、人付き合いやお金の使い方は、自分で決めていいものだ。あらゆる意味で他人を傷つけないことだけが基本ルールであり、迷惑をかけないように頑張っていても、かけてしまうことはあるし、どんなに気を付けていても、時に人を傷つけてしまうことだってある。幸せの主観は人それぞれでいい。相談者にそういう話をすると納得されることが多いことに実は少し驚いてもいる。昭和のお母さんは事あるごとに「家は家、他所は他所(、うちはうち、よそはよそ)。」と口にした。そう堂々と言えるお母ちゃんみたいな人が今の時代には必要なのかもしれない。
私はここにいる。
たとえそれが間違いだったとしても。
ウクライナ人の友人に国外退避を提案したとき、彼女は強い意志をはらんだ声でそう言った。凛としていた。命と尊厳について、私は何もわかっていなかったのだ。
己を恥じた。言葉を失う私に、一転して優しい声で言う。
ありがとう。もし私があなたの立場でも同じことを言ったと思う。わがままでごめんね。
逆の立場だったら…
そうだとしたら、私はその時どう言うのだろうか。彼女と同じ覚悟ができるのか、私にはわからなかった。そして、それが本当に間違っているのかどうかも、今はまだわからない。
ポタポタかな。
ぽつり、の方がそれっぽいかしら。
涙はポロポロなのかな。
ぴちゃん、とか、ぴちょんだと一滴感ある。
ポタっと落ちるなら大粒を想像したり。
雫って色々なのね。
葉から滴り落ちる朝露が
スーッと大地に染み込んでいく時の
キラキラしているけど静謐な一瞬。
私はこれが一番好きかも。