のび太くんもカツオくんもアムロもシンジくんもサツキとメイも、アニメのキャラクターたちは年を取らず子供のままだ。私が歳を重ね彼らの年齢を追い越した。同じ目線の高さで共感していたはずの物語が、今では全く違うものに見える。それでも物語を愛おしく繰り返し見ることができるのは、彼らを懐かしい友達のように感じるからだ。「そうそう、彼は(彼女は)こんな子だったよね」と同窓生を見るように。そして子供の頃の自分がどんな風に物語を感じていたかを思い出しながら、現代の子どもたちが物語に一喜一憂する背中を見つめる。そんなとき、なんとなく胸がいっぱいになるのは、自分の子供のままの部分がひょっこり顔を出すからだ、と最近気付いてなんだか嬉しくなった。この週末、ジブリアニメでも見ようかな、と思う。
のっぽさん(の中の人、高見さん)の訃報が飛び込んできた。ゴン太くんとの掛け合いはサイコーで大好きだった。今でもちょっとした工作なんかをすると、頭の中で「でっきるかな、でっきるかな♪」の歌が自動再生される。そして毎度、はてはてホホーだったか、さてさてフムーだったか、さてさてホホーだったか、何度か歌ってみてしっくりくるものを探している。
のっぽさんとゴン太くんは私の中で永遠で、絶対に忘れることはないし、消えることも、いなくなることもない。
だって私の一部だから。
哀しいけど大きな声で、そして笑顔で、ありがとう、これからもよろしくね、と言いたい。
ずっと動物と暮らしてきた。今は中・大型犬と暮らしている。犬と暮らすのは子供のとき以来久しぶりなことだったが、ここまで劇的に生活が変わるとは思っていなかった。
毎日歩くことで持病が寛解して健康になり、近所に友達ができ、笑う時間が増え、天気に詳しくなり、災害について考えるようになった。選ぶ洋服が変わり、お金の使い方が変わり、一人旅に行かなくなったりもしている。
とにかく手がかかるのは事実だ。子供同然とも言われるが子供とは違うと私は思う。互いに深い信頼関係が成り立っているのに、突然幼児のような物分りのなさを見せられたりする。甘えるときは全力で挑まれる。かと思えば、物言わぬがゆえ体調不良を隠すなど大人びたことをしてみせたり、逆に飼い主の具合が悪いと知ればずっと寄り添って親のように見守ってくれたりする。全体的に自己主張は強めだ。
家族、なんだろうな、と思う。夫婦が結婚したら家族になるように、血族ではないけど家族になった。守るべきものであり、守ってくれるもの。私は、色んな意味で強くなれたと思う。
頭髪が全て真っ白になったら、レモンイエローのコートや、ピーチピンクのワンピースなんかを着てみたい。
元々そう思っていたけれど、ブログで話題になり写真集が出て、その後に映画化もされたドキュメンタリー『アドバンスト・スタイル そのファッションが、人生』を見たら、もっと派手でもいいんじゃないかと思うようになった。
65歳になったら、周りの目を気にせず、堂々とカラフルババァになるのが私の一つの目標です。
楽園ね、何書こう、と思って布団に寝転んだら、犬たちもやってきてお尻をドンとくっつけて寝転んだ。
そうか、この子達がいたらどこでも楽園になるな、と改めて気付く夜。
あちこちポカポカあったかい。