一尾(いっぽ)in 仮住まい

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10/30/2025, 3:42:08 PM

→夜、去る。

そして、夜行バスは出発した。
遠ざかるバスターミナル。
後ろに小さくなってゆく。
私は振り返らない。
絶対に振り返ったりしない。
太ももの上に置いた手を固く握りしめる。
緊張は、まだしばらく解けないだろう。
後ろに小さくなってゆく、町。
生まれ育った町。
大嫌いな町。
田舎で、凡庸で、誰もが知り合い。
歴史で習った五人組制度を地でゆく近所付き合い。
寄り合いとか、町内会、共同体の極地。
遠慮なくプライバシーに踏み込んでくる。
仲の良いフリの腹の探り合いは愚かだ。
私は、彼らに溶け込んたりしない。
私は、彼らに迎合したりしない。
私は、私一個人なのだから。
窓から風景を見る。
遠くに町の明かり。
私の育った町の明かり。
さようなら。


テーマ; そして、

10/30/2025, 1:56:03 AM

→短編・香水のかほり

 洋行帰りの叔母様が、お土産をくださった。小さなガラス瓶に黄金色の液体が入っている。
 私は光にかざして瓶を振った。瓶の中に黄金の波。
「香水よ」
 子供っぽい私の素振りがおかしかったのか、叔母様はクスクスと笑って私から香水瓶を取ると、私の手のひらの付け根にシュッと一吹きした。
「素敵な香り」
 お花の香りのような、西洋の砂糖菓子のような香りが辺り一面に広がった。心が華やぐ。
「tiny loveという名前の香水よ」
 瓶のラベルを私に示して、叔母様は私の手に再び瓶を押し込んだ。
「タイニーラブ?」
 叔母様に倣って外国語のその響きを繰り返してみたけれど、全く発音が違っていた。叔母様の発音は早回しのレコードのようで、思わず聴き入ってしまうほどに素敵。
「どういう意味ですの?」
「小さな愛というのが直訳でしょうけれど、tinyはもっと小さな……そうね、包み込むほどに小さい、かしら?」
 包み込むほどに小さい! なんて愛おしい言葉。
「では、愛の赤ちゃんですわね」
 私は生まれたばかりの弟を思い描いていた。母の手に抱かれた小さな小さな赤ちゃん。
 叔母様は「詩的ね」と、にっこり笑った。「差し詰め、初恋や一目惚れのようなものかも知れないわね」

 夜、寝具の中で、私は香水瓶を両手でもてあそんでいた。曲線を描くガラス瓶は触り心地がよく、ひんやりとしている。
 ほんの少し、天井に向かって香水を振る。タイニーラブの甘い香りが小糠雨のように降り落ちてきた。
 いつか私が恋に落ちるとき、この香りを思い出すかしら? 夢現でそんなことを思った。
 
テーマ; tiny love

10/28/2025, 11:31:36 PM

→寄る辺

いらっしゃいませ、お待ちしておりました。
お茶のお支度は整ってございます。スコーンもじきに焼き上がるでしょう。
こちらの窓際のお席をご用意いたしました。ご覧くださいなステンドグラスを通した淡い陽光の仄かな色合い。もうすぐに冬がやってまいりますねぇ。
お寒いようなら、足元にこちらのブランケットをお使いください。クッションも数種類ご用意しておりますので、ご自由にどうぞ。
ご本はお持ちでらっしゃいますか? ほぅ、ミステリ? 良いですね。
本日のスコーンのスプレッドは、クロテッドクリームにレモンカード、ルバーブのジャムでございます。他にもご入用ございましたら、遠慮なくお申し付けください。
私は次の間に控えておりますので。
では、テーブルの準備も整いましたので、私は下がらせていただきます。
ここはあなただけの秘密のティーサロン。
讀書とティータイムのお時間を、どうぞごゆっくり。

テーマ; おもてなし

10/27/2025, 1:41:28 PM

→私の心に火がついた。

原野を渡る炎が
粘菌のように火の菌糸を伸ばして
ヌラヌラと地を這う
容赦なく草花を喰らい
己のうちに取り込んでゆく

火の群れ

あなたを想う
止めどない情熱が
私の心を焦土と化す

そして、静寂
焼け野原
雪のような灰
再生
いつか何かが芽吹くだろう
幸せか、絶望か、それとも憎悪か

いずれにせよ
孤立した美しい花になるだろう

テーマ; 消えない焔

10/26/2025, 12:36:49 PM

→シートマスク、若しくは顔パック

私の顔の形が悪いことは知っている。
しかし、それにしても合わなさすぎるぜ、シートマスク。
目の位置を合わせれば、目元にシワが寄る。鼻は小鼻が隠れない。人中の長さに違和感。エラの部分がはみ出る……などなど、などなど。
みんな、そんなに小顔なの? 一番保湿したい目の下が覆えないのはなぜ? 人中が伸びた気がするのって、もしかして年齢?? 
終わらない問いを繰り返し、肌の上に収まってくれないシートマスクをペタペタ触る。

テーマ; 終わらない問い

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