→短編・住宅街の往来で。
「あ、すみません。道をお尋ねしたいのですが」
前から歩いてきた人から、そう尋ねられた私は「来たな」と私は、頭の中に近隣の地図を描き出した。
私は、よく人から道を聞かれる。すれ違いざまはもちろん、旅行先や、はたまた車を運転中の人(私は徒歩)にまで。友人が言うには「道を知ってそうな顔」なのだそうだ。
そして実際にけっこう答えられているし、そうしているうちに何となく答えることへの矜持もできてきた。可能な限り、でも間違いなく案内してあげたい。
さぁ、どこだ? この住宅街ど真ん中で、どこを訊かれる?? 頭の中に地図を思い浮かべる。
その人は、目的地を口にした。
「虹のはじまりってどこですかね? この辺りと聞いたんですけれど、初めて来た場所なので不慣れなのです」
気構えていた私の頭は混乱で真っ白になった。
へ? に、虹のはじまり?? そんな都市伝説級の場所、知らねぇよ。
聞き間違い? でも、聞き返すのも怖い。申し訳ないが……「いやぁ〜、知らないッスね」
「お引き留めして申し訳ございませんでした」と丁寧な謝罪とともに、その人は私とすれ違い、私の来た方へと歩いていった。
一方で、私は混乱した頭のまま、ぼんやりと立ち尽くしていた。
虹のはじまり? 店の名前? あり得る。でも、この辺って住宅しかないしなぁ。あ~、「虹のはじまり」って何なんだよ! まさか本当に「虹」の「はじまり」でもなかろう。
私は、尋ね人を振り返った。まださほどの距離も離れていないはずだ。
「あの! すみません!! 虹のはじまりって……――!!」
しかしその人の姿は、真っ直ぐに伸びる住宅街の街路のどこにもなかった。
住宅に阻まれた狭い空の向こうに、虹が見えた。
テーマ; 虹のはじまりを探して
→ひんやり、ひやひや、たとえ一瞬でも!
夏場のキッチンは地獄である。
だって、火ぃ使うやん? 熱いもん。
庶民のマンションのキッチンやし。クーラーの風、リビング止まりやねん。
しかも、料理の手順を組むの苦手やし。
……最後のが、キッチン云々関係ないないとしても、とにかく夏場のキッチンでの長時間作業は、辛い。
ほんなわけで、冷蔵庫の冷気はマジでオアシス。
テーマ; オアシス
→テイスティング
干上がった夏の川を、地球の涙の跡と例えた貴方は、自分探しの旅に出て行った。
インドのガンジス川で沐浴しているsns の貴方の投稿写真。
なんとまぁ、楽しそうなこと!
地球の涙は、どんなお味でしたか?
テーマ; 涙の跡
→父
幸田文の父である幸田露伴は、文の行った家事にたびたび不備を見つけ、家事の終わりには「あとみよそわか」と唱えて、もう一度あたりを見回しなさい、と教えた。こんなエピソードが幸田文の随筆「父、こんなこと」に描かれている。
ところで、私の父は仕事人間であり、自分重視の人でもあったので、彼との思い出はあまりない。しかし一度だけ、彼の言葉で印象的だったものがある。夏の日、半袖から覗く女性の肘を見て、父は言った。
「お父さんな、女の人の肘が黒かったら、ちょっと悲しくなんねん」
アレは一体、なんだったんだろう?? 未だに謎であるが、何となく私は風呂場で肘を念入りに洗うようになった。
これも一つの「あとみよそわか」か。
テーマ; 半袖
→短編・スイッチボタン
ゆーくんがベッドから飛び起きたとき、朝の9時を回っていました。いつもは日曜でも8時にはお母さんが起こしてくれるのに、今日はどうしたんだろう? 小学校が休みだからかな??
キッチンに向かうと、お父さんが一人、ダイニングテーブルに腰掛けていました。
「おはよう」
「おはよう」
スマートフォンでニュースを見るお父さんは眠そうです。昨日は遅くまでトモダチと飲み会だったのです。
「これ、何?」
ダイニングテーブルに小さな切り替えスイッチが置いています。
「過去に行けるスイッチだってさ」
お父さんは眠そうに大きなあくびをしました。
「マジで?」
「実は、ちゃんと覚えてないんだ」
ゆーくんに問いただされたお父さんは、照れくさそうに笑いました。どうやら、酔っぱらった帰り道に誰かから買わされて、上着のポケットに突っ込んだというのです。
「もー! お母さんに怒られるよ!」
ゆーくんはスイッチを手にとってみました。どこにでもありそうな、でも、単体で見る機会はあまりないスイッチは、ゆーくんの手の中で肩身を狭くして収まっています。
「お母さんにはナイショな」
お父さんは、シーっと口に指を立てました。「はいはい」とゆーくん。
「お母さん、どこに行ったの?」
「さぁ? お父さんもさっき起きたんだよ。洗濯はしたみたいだなぁ」
マンションのベランダに、洗濯物がはためいています。ゆーくんの野球クラブのユニフォームや、お父さんが昨日来た上着がなどなど……。
「買い物かもな」と、付け足したお父さんにゆーくんは訝しげです。「スマホも買い物カバンもここにあるよ?」
「まぁ、いいさ。すぐに帰ってくるだろ。よし! 朝飯、何か作るか!」
「えー! お父さんのごはん、美味しくないからやだぁ」
お父さんの突然のやる気に、ゆーくんはスイッチボタンをポイっと投げてしまうほど反発しました。
―カシャン!
ボタンは床に落ちて大きな音を立てました。ゆーくんが慌てて拾い上げるも、ボタンはバネが飛び出して壊れています。
「ごめんなさい……」
しょげかえるゆーくんの頭をお父さんはグリグリと撫でました。
「いいよ、どうせおもちゃだ。さて! それよりも裕も手伝えよ。お母さんが帰ってくる前に朝ごはんを完成させるぞ!」
二人は朝ごはんの支度を始めました。
スイッチボタンはゴミ箱行きです。壊れたスイッチボタンの側面に見落としてしまいそうな小さな文字で注意書きが書かれています。
『過去にいけます。でも、行くだけで戻って来られません。』
お母さんは、どこに行ったのでしょうか?
テーマ; もしも過去へと行けるなら