→巣ごもり
コミュ障を拗らせて引きこもり気味の僕にとって、不外出のイイワケをくれる雨の日はご褒美みたいもので、やさしい雨音をBGMに部屋の中で安心の惰眠を貪る。
ハレの世界を乗りこなすため、巣の中で心の栄養を蓄えよう。
テーマ; やさしい雨音
→賑やかに騒がしく
昔、近所に社宅団地があった。コンクリートブロックのような形の団地が、等間隔に何棟も並んでいた。
団地に暮らすのは、若い夫婦が多かったように思う。小学校の登下校時には、団地に帰ってゆく小学生の集団をよく見かけた。
社宅団地の敷地の出入り口に掛けられた会社名の書かれたプレートは表札のようで、まるで団地全体が大きな家族のように感じたことがある。実際はもっと複雑な人間関係があるのだろうのが。
そんな大人の事情はともかく、午後から夕方まで、その団地は子どもたちのはしゃぐ声が絶えなかった。時には、団地をこだまして鬱陶しいくらいに。
どんな遊びをしているのか、彼らのおしゃべりはとどまることを知らず、声を抑える配慮などせず、ただ無邪気に遊ぶその声は、まるで小鳥のさえずりのようだった。可愛らしい歌を、騒々しく熱中して歌う。
いつまで聴いていても飽きず、ある種の郷愁すら誘う。
人に聞くところによると、団地はなくなってしまったらしい。生き生きとした歌が、あの場所に響くことはもうない。
テーマ; 歌
→死生観
貴方の大きな口が私をそっと包み込んで、離さない。丸呑みされた私の喉元に、貴方の太い牙が突き刺さる。
明日、私の生は存在しない。
私は目を閉じる。瞼の奥に鮮血の赤。
はじめまして、これからよろしく、私の死。
テーマ; そっと包み込んで
→昨日と同じ私……
その存在の不確かなことよ。
生物は生ある限り、身体の中で細胞分裂を繰り返している。つまり減価償却してゆくから、一秒一時として同じ「私」は存在しない。
そもそも「私」という個体が何を指すのかすら怪しいところもある。他者が認識する「体」が「私」なのか、思考する「脳」が「私」なのか。その両方が作用しあって「私」を為すのだとしたら、「私」が自身の細胞の声を聞くことができないのはなぜなのか。
煮詰まる思考は、まるで魔女の大釜だ。
混沌、混乱、釜で煮る。
そこに新たなる材料追加、昨日と同じ私。
そうして日常は綴られる。万物変容。
テーマ; 昨日と違う私
→太陽戦隊サニーレンジャー見参!
前向き上昇志向 茜色Sunrise!
クールな論理派 黒色Sunglass!
日和見主義だぜ 黄色Sunflower!
毎日が休息日 無職Sunday!
半熟がお好み? 卵色Sunny-side up!
テーテレッテー テテテテー テンテンテテー
テーテレッテー テテテテー ドドン!
次回!
サニーレンジャー大ピンチ!
日食に悪の華が開く!
乞うご期待!!!
テーマ; Sunrise