→短編・リンドー夫妻の冒険記〜序章〜
「言葉はいらない、ただ……」
夫は私の手を取ってそう言った。
しかし後に続く言葉は、私たちのあいだに割り込んだつむじ風に攫われてしまった。
「つむじ風の言葉不明」と昔から言われるように、攫われた言葉は本人すら覚えていない。読者の方にもお馴染みの経験だろう。これが微風なら言葉を捕まえるのも苦ではないが、つむじ風は言葉を分解して方々に単語を撒き散らすものだからタチが悪い。
自然のいたずらにヤレヤレと肩を竦めて諦めるのが大方の反応だろう。
しかし私は愛する夫の言葉を一言でも失いたくなかった。咄嗟に私は彼の手を取ってつむじ風を追いかけた。今思えば、彼の「言葉はいらない」という一言に矛盾する行為だったと苦笑を禁じ得ない。
ともあれ、これが私たち夫婦の驚嘆すべき冒険旅行の始まりとなった。
振り返ってみると、一筋縄では行かない冒険ばかりだった。
第一章に詳細を記したが、単語「手」発見に至る序盤の冒険がなければ、私たちはとっくに挫けてしまっていたに違いない。
あの不思議でコミカルな一連の出来事!! この顛末は読者の方々を勇気づけ、シニカルな笑いをお届けできると確信している。ぜひ、ご一読いただきたい。
あまりに長い序章は興を削いでしまうだろう。最後に、私たちの求めた言葉の全容を先にお知らせしておきたい。
賢明な読者の方々はすでにお気づきかと思う。そう、夫の一言は「君と手を繋いでいたい」という、シンプルにして愛に溢れた言葉だったのだ!
冒険の始まり、つむじ風を追いかけたその日に、彼の望みは叶っていたのだ。
この種明かしをしたのには理由がある。この記録はクイズ本ではなく「冒険譚」である。魅力あふれる風土や風景を読者の方々に心置きなく楽しんでいただきたいと考えた次第だ。
訪れた場所や文化について、できる限り詳細に本質を失わないよう注力して認めたつもりなのだが、拙い部分はどうか皆様の想像力を持って補っていただきたい。
世界は広く、常に好奇心をくすぐる宝箱だ。
私たち夫婦の手に手を取った冒険の記録が、皆様の心に小さな探究心の火を灯すことを願ってまやまない。
テーマ; 言葉はいらない、ただ……
→インスピレーション、求不得苦
突然の君の訪問。
僕はずっと君を待っていた。
それなのに逸る気持ちで空回り。
いつだって開けるべき扉を間違えてしまう。一つは君の待つ玄関ドア、もう一つは迷路……。
四苦八苦、右往左往。
五里霧中、前後不覚。
悪戦苦闘の末、ようやく迷路を抜け出し扉を発見する。
さぁ!! いらっしゃい! 待ち焦がれたよ!
扉を開けて君を迎え入れようと手を広げる。
しかしそこに、君はもういない。君の温もりだけが残っている。
君は留まることを嫌う、幸運な神様のような存在。イヤと言うほど経験しているのに、また逃してしまった。
僕は途方に暮れる。
「あぁ、アイディア、戻っておいでよ」
こうして、僕たちが織りなすはずの名作は、未だ日の目を見ないでいる。
テーマ; 突然の君の訪問。
→短編・雨に別かつ。
雨に佇む。
天を仰ぐ。
曇天の緞帳は大粒の雨。
高校時代からの友人が消えた日のこと。
あの日、お前を連れて海に行ったのは、俺。あいにく空は曇天。降り出しそうな雲の下、二人で浜辺に座った。
お前の沈んだ様子が気になって。何か話してくれるかなって。
なのに、お前が話題にするのは俺の最近できた彼女のことばっかりだった。彼女は元気か? お前には勿体ないくらいにいい子だよな。大事にしろよ。
お前は妙にはしゃいでそんな話をした。
お互いフリー期間が長くて、ようやく二人して彼女ができたところだった。俺が先、お前がそのすぐ後だった。
気分転換になるかと思って、4人で遊びに行こうと誘ったら、「別れた」と静かに呟いた。
「そりゃあ、辛いな。俺で良けりゃ、いつでも付き合うぜ?」
一瞬お前は何かを言いかけ、その言葉を飲み込んだ。俺、何か良くないことを言ったっけ? 怖気づいて俺は黙り込んだ。高校時代からの何でも知ってるお前の、何もかもがわからなくなった。
そんな俺を気遣うようにお前は言った。
「やっぱりお前もいい奴だよ。彼女とお似合い」
雨が降ってきた。大粒の雨だった。二人で立ち上がった。俺は雨宿りできる場所を探そうとしたが、お前は浜辺へと歩いて行った。
「……俺みたいなヤツに構わず、彼女を大事にしろよ」
振り向いたお前は、よそよそしい笑い顔を浮かべていた。
あんな顔、初めて見た。
降りかかる何千何万何億もの雨が幕を引いてゆく。
何故だか「こっちとあっち」とかイヤな言葉が浮かぶ。
「俺のことは気にするなよ」
何かを断ち切るような冷静なアイツの声は、まるで知らない人ようだった。
それが、最後にあった日。
雨の日、後悔ばかりが心に積もる。
テーマ; 雨に佇む
→短編・往復書簡
夏の終わりを前に秋雨前線が長雨をもたらし始めた頃、友人が亡くなったとの知らせを受けた。
その訃報は彼女の娘さんからいただいた。長い闘病生活の末のことだったらしい。
そんなこと、彼女は露も匂わせなかった。
やけに雨音が響く部屋の中、私は文箱の蓋を開けた。彼女からの手紙の束。もはや彼女の新しい手紙は来ないのだ。切なさや悲しみに胸が詰まった。
友人と私は、女学生時代の友人だった。長いおさげの髪を揺らして、青春を駆け抜けた。ときに笑い転げ、ときにケンカをした。唯一無二の親友だった。学校で毎日顔を合わせるというのに、交換日記まで交わしていた。学校での些末な出来事、親兄妹の話、恋の話、雑事……、その中でもとりわけ多く語り書き綴られたのは、将来の夢のことだ。
彼女は医者、私はお嫁さん。今のご時世の女性たちには、私の夢は夢ではないと言われるかもしれないが、当時はまだそんな女性が多くいたのである。
女学校を卒業して、彼女は進学に合わせて東京へと上京し、私は地元に残った。
そうして、交換日記は文通へと形を変えた。
彼女は夢を叶え、東京で小児科医になった。私は地元で見合いをし家庭に入った。どちらも夢を叶えたことになる。
時代は進み、色々な連絡方法ができても、私たちは文通を続けた。
私たちはお互いの近況を手紙で報告しあった。あんな事があったのよ、こんな話はあなたにしかできないわ……。
今、目を通しているのは、遥か昔に彼女が結婚した頃にしたためれたものだ。緊張した花嫁と花婿が睨むようにこちらを見つめる写真が添えられている。裏を見ると「失敗の一枚、笑ってちょうだい」と書かれている。
働いている病院の話、近所のお惣菜屋さんとの会話、初めての出産、その痛みの恐怖と極上の幸福。「喉元過ぎれば何とやら」との一文に強く頷いたものだ。彼女の離婚。その手紙は短く、その失意は痛いほどだった。
しかし、手紙には大方明るい近況が綴られ、彼女の生活が楽しいものであることが行間からも伝わってきていた。
1年ほど前の手紙に「この文通、まるで私の日記帖ね」と書いてあったことを思い出す。そこにはこうも記されていた。
「もし私に何かあったら、ぜぇんぶ燃やしてくださいね」
妙な一文だと思い、記憶に残っていたのだが、そうか……。彼女は覚悟を決めていたのだ。私が、思い至らなかったのか……。
便箋の輪郭が歪んだ。彼女の繊細な筆跡に、涙が雨粒のように落ちた。
長雨が止んだら、寺でお焚き上げをしてもらおう。そして天国の彼女に「日記帖」を渡すのだ。余計なことを、と怒られるかしら?
涙を拭いて、私は手紙を丁寧に文箱に戻した。
テーマ; 私の日記帳
→▷きさまとし◀
逃げなきゃ!
早く!! 走って!
振り向いたら終わり!
アイツと向かい合ったら、もう終わり!
……。
でも、どうやったら逃げられる?
アイツは、俺の影。
夕日に伸びた俺の影。
アイツ、急に立ち上がって赤い口を開けた。
「貴様と死」
全く意味が解らないけど
良くないことが起きてるってのは確かだ。
逃げろ!!
あぁ!! どうしたらいい!?
私ㇵ君丿一部。
遊ボウ⁴。
ズット一緒 ニ 遊ビタクテ、
夕日 ニ 助ケテ 貰ッタンダ。
嬉シクテ、君丿名前 ヲ 呼ンダョ。
「志都正樹」
…??
全ク意味ガ解ラナイケド、
君ㇵ怯エテ走リダシタ。
待ッテ!! 危ナイョ。
嗚呼、ソノ先ㇵ大通リデ……――
テーマ; 向かい合わせ