「おぎゃああ、おぎゃあああ!」
隣の部屋から赤ちゃんが泣く声が聞こえてくる。
薄いアパートの壁だ。隣室からの生活音はザラにある。だから、今日も赤ちゃんがお腹を空かせて泣いているだろうと思ったからあまり気にもしなかった。
十分程経っただろうか、隣から聞こえる赤ちゃんの泣き声は続いていた。いつもなら泣き止んでいる頃なのに、なかなか泣き止まない。
お腹ではなく寝れない癇癪を起こしているのか?
さらに十分が経った。
赤ちゃんの泣き声はおさまっていない。
そういえば、さっきから赤ちゃんの声だけで、他の人の気配は感じない。さすがに可笑しいと思い、思い切って壁を叩いてみた。
「あの、大丈夫ですか?」
壁が薄いからこちらの声は聞こえるはずだ。
すると、パタリと声が聞こえなくなった。
ビックリさせてしまったか。
そりゃあそうだよな、いきなり隣の部屋から壁を叩く音があったら誰だってビックリする。
いたたまれない気持ちでいると、隣室の方から「大丈夫です」と返ってきた。返ってきた声は男性の声だった。
「そうですか。なら良かったです」
お母さんは出かけているのか。だから赤ちゃんは泣いていたんだな。
お父さんだと不安だったから泣いていたのかもな。
そう勝手に結論を結び付けて、俺は夕飯の支度を始めた。
時刻は22時を回っていた。
* * *
翌朝、アパートの玄関の外が騒がしかった。
何ごとだろうと、扉を半分開けると警察官やら救急隊員でごった返っていた。
近くにいた警察官へ「何かあったのですか?」と、聞いてみると耳を疑う返事が返ってきた。
「ここの方ですか? この部屋で男性の遺体が見つかりまして、何か変わったこととかありましたか?」
「……え?」
あとから聞いた話しだが、あの隣室には男性だけが住んでいたようだ。赤ちゃんの泣き声は、男性が趣味で購入した赤ちゃんの泣き声だけを聞く録音だったようだ。
今まで聞こえていた赤ちゃんの泣き声は、全部違法の録音声だったと知った。
そして、どうして男性が亡くなったのかは不明のままだーー
明日から新年になる。
初日の出を生まれてから十数年。一度も見たことがなかった。
見ようとする日に限って昼まで寝ていたり、天気が曇りだったりと不運な元旦を過ごしていた。
だが! 今度こそ輝かしい日の出を拝みたいが故に天気予報を毎日確認したのだ!
そして、来年の元旦の天気は『晴れ』と天気予報で言っていた。スマホで調べても全国的に晴れと書いてあった。
だから、今年の初日の出は拝める確率は100%なのだ!
今日は日付けが変わってからすぐに寝よう。
なんたって、今日は年末なのだから年越しはしたい!
* * *
スマホのアラームと共に目が覚めた。
時刻は午前5時ちょうど。日の出出るまであと少し。
俺は、飛び起きるようにカーテンを開けた。
外は、しんしんと雪が降っていた。まさかと思い、テレビとスマホを付けて、天気予報を見てみた。
『元日から1週間ほど雪が降る見込みですので、外出の際はーー』
俺の新年初の言葉が出た。
「ちくしょー!!」
『みんなは、大人になったら何になりたいですか?』
懐かしい夢を見た。
小学生の頃、道徳の授業で『将来の夢』に関する内容の授業だった。
担任の先生の名前は忘れたけど、授業の内容だけは鮮明に覚えている。
担任から『大人になったら何になりたい』という質問が投げられた。
夢に出てきた懐かしいクラスメイト達は、楽しげに将来の夢を語っていた。
飛行機のパイロットになりたい人。保育園の先生になりたい人。声優になりたい人。漫画家になりたい人。
警察官になりたい人。
みんなキラキラとした目で夢を言う。
担任が手を挙げていない自分へ問いかけた。
『ーーさんは、どんな大人になりたいですか?』
注目が自分へ向けられる。
自分は……。
* * *
目覚ましのアラームがうるさく鳴り響く。乱暴に目覚ましを止める。スマホで時間を見ると、朝の七時を迎えていた。
重たい体を起こして、ベッドから降りる。
懐かしい夢を見ていた気がするが思い出せなかった。
クローゼットからスーツを取り出して着る。
昨日の夜、仕上げた書類をカバンに入れた。適当な朝ごはんを食べて、会社へと向かった。
空は重たい雲が広がっていた。今にも雨が降り出しそうな空模様だった。
* * *
「ーーさんは、どんな大人になりたいですか?」
先生が僕へ質問をしてきた。
僕は自信満々に答えた。
「大きくなったらパン屋さんになるんだ!」
そう、自信満々に答えた。
昔、住んでいた家に某ネズミのオルゴールがあった。
小学生の低学年の時、幼馴染の男の子と一緒に遊んでいる時に、家の裏で見つけた。
捨てるためにゴミとまとめて置かれていた。
まだ全然動く品物で、少し汚れてはいたが拭いたら、真っ白で美しいオルゴールだった。
男の子から「あげる」と渡された。ネジを回すと某ネズミの音楽が流れた。
綺麗な音色に小学生ながらに感嘆の息を漏らした。
今も大切に保管している。
音は鳴らないが、あの頃と変わらない。
美しく、綺麗な白を保っている。
わたしのかけがえのない宝物だ。
小さい駅前の小さい個人商店には、猫がいる。
商店の飼い猫で、時々店の外に出てくる時がある。
逃げないように首輪と紐で繋がれている。
その猫の名前は知らない。
普通電車しか停まらない小さい駅から人がたくさん降りて来た。
この近隣は開発が進み、住宅街が広がっていた。小さい駅前から徒歩6分のところには、スーパーもあり、家族連れにとっては最適な移住区域であった。
帰宅ラッシュの電車から降りて、駅から出る。
商店の前を通ると、珍しく猫が車のいない駐車場で寝転んでいた。春のほどよい気温で、ゴロゴロとしている。
「にゃー」
猫が一声上げた。よく見ると子猫のようだ。いや、子猫と成猫の間のように見える。
人懐こいのか、商店の前の道を通る人の姿を目で追ったり近寄ったりしていた。
だけど、誰一人。子猫に興味を示していなかった。
「にゃー」
切ない鳴き声に自分は、子猫の前へ行く。子猫はすぐに自分の足元をうろつき始めた。クンクンと足の匂いも嗅いでいる。
「にゃー」
子猫は顔を上げて鳴いた。自分は子猫の頭を優しく撫でた。
気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
その日から自分は、子猫がいる日は必ず会いに行くようになっていた。
次第に商店を経営しているばあちゃんとも仲良くなり、今では子猫と商店で買い物をするのが、日課になりつつある。