『みんなは、大人になったら何になりたいですか?』
懐かしい夢を見た。
小学生の頃、道徳の授業で『将来の夢』に関する内容の授業だった。
担任の先生の名前は忘れたけど、授業の内容だけは鮮明に覚えている。
担任から『大人になったら何になりたい』という質問が投げられた。
夢に出てきた懐かしいクラスメイト達は、楽しげに将来の夢を語っていた。
飛行機のパイロットになりたい人。保育園の先生になりたい人。声優になりたい人。漫画家になりたい人。
警察官になりたい人。
みんなキラキラとした目で夢を言う。
担任が手を挙げていない自分へ問いかけた。
『ーーさんは、どんな大人になりたいですか?』
注目が自分へ向けられる。
自分は……。
* * *
目覚ましのアラームがうるさく鳴り響く。乱暴に目覚ましを止める。スマホで時間を見ると、朝の七時を迎えていた。
重たい体を起こして、ベッドから降りる。
懐かしい夢を見ていた気がするが思い出せなかった。
クローゼットからスーツを取り出して着る。
昨日の夜、仕上げた書類をカバンに入れた。適当な朝ごはんを食べて、会社へと向かった。
空は重たい雲が広がっていた。今にも雨が降り出しそうな空模様だった。
* * *
「ーーさんは、どんな大人になりたいですか?」
先生が僕へ質問をしてきた。
僕は自信満々に答えた。
「大きくなったらパン屋さんになるんだ!」
そう、自信満々に答えた。
昔、住んでいた家に某ネズミのオルゴールがあった。
小学生の低学年の時、幼馴染の男の子と一緒に遊んでいる時に、家の裏で見つけた。
捨てるためにゴミとまとめて置かれていた。
まだ全然動く品物で、少し汚れてはいたが拭いたら、真っ白で美しいオルゴールだった。
男の子から「あげる」と渡された。ネジを回すと某ネズミの音楽が流れた。
綺麗な音色に小学生ながらに感嘆の息を漏らした。
今も大切に保管している。
音は鳴らないが、あの頃と変わらない。
美しく、綺麗な白を保っている。
わたしのかけがえのない宝物だ。
小さい駅前の小さい個人商店には、猫がいる。
商店の飼い猫で、時々店の外に出てくる時がある。
逃げないように首輪と紐で繋がれている。
その猫の名前は知らない。
普通電車しか停まらない小さい駅から人がたくさん降りて来た。
この近隣は開発が進み、住宅街が広がっていた。小さい駅前から徒歩6分のところには、スーパーもあり、家族連れにとっては最適な移住区域であった。
帰宅ラッシュの電車から降りて、駅から出る。
商店の前を通ると、珍しく猫が車のいない駐車場で寝転んでいた。春のほどよい気温で、ゴロゴロとしている。
「にゃー」
猫が一声上げた。よく見ると子猫のようだ。いや、子猫と成猫の間のように見える。
人懐こいのか、商店の前の道を通る人の姿を目で追ったり近寄ったりしていた。
だけど、誰一人。子猫に興味を示していなかった。
「にゃー」
切ない鳴き声に自分は、子猫の前へ行く。子猫はすぐに自分の足元をうろつき始めた。クンクンと足の匂いも嗅いでいる。
「にゃー」
子猫は顔を上げて鳴いた。自分は子猫の頭を優しく撫でた。
気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
その日から自分は、子猫がいる日は必ず会いに行くようになっていた。
次第に商店を経営しているばあちゃんとも仲良くなり、今では子猫と商店で買い物をするのが、日課になりつつある。
不思議なことが起こった。
妻が亡くなってから十年。久々に妻が好きだった、桜並木が綺麗な場所へ足を運ばせた日のこと。
桜が満開に咲いている日で、のんびりと桜を見たりしている時、ふと前を向いたんだ。
その先に、十年前の妻がいたのだ。
俺は、最初夢を見ているのか? と、自分の頬をビンタした。痛かったからおそらく現実だろう。
妻は優しく微笑んでいた。俺は優しく微笑んでいる妻へ近寄った。
『元気でしたか?』
妻の声だ。俺の目に涙がぽろぽろ溢れだす。
『ごめんなさい。先に逝ってしまって……。ちゃんと、ご飯食べてますか? お酒はあまり飲まないでくださいね?』
生前の時と変わらない心配性な妻に俺は、頷くしかできなかった。
『貴方』
「どうした?」
嗚咽まじりに聞いた。妻は優しく微笑んでいる。妻の手が俺の頬を撫でた。
温かい手だった。
『生きてください。生きている人生を謳歌してください』
妻の励ましの言葉にさらに涙が出る。
俺は、この桜の木を見納めたら死のうと思っていた。
妻のいない時間はつまらなく、生きている気力すらなかった。だけど、今日、なんとなくこの場所に来たくなったんだ。妻と一緒に見た桜をもう一度見たくなったのだ。
だが、妻が現れた。俺の自殺を止めるかのように。
俺は妻へ言った。
「お前のところにいきたい。ダメか?」
妻は困り顔をした。
『まだ、こっちには来ないで欲しいわ』
「でも……でも……」
妻は俺の頭を撫でた。
『また逢えるわ。だから、その時まで我慢して』
「アキコ」
妻の手が離れ、桜風吹が舞った。次に目を向けた時、妻はいなかった。
深夜の樹海を一人の男が走っていた。
時々、背後を気にしながら全力で枯れ木を踏みつけて走る。
【ソレ】から逃れないと、死ぬのだから……。
「うわっ」
何かにつまずいて男性が倒れる。何につまずいたのか足元へ目を向ける。そこにはーー人の頭蓋骨が転がっていた。
男性は絶叫した。恐怖と混乱でうまく体を起こすことができず、赤子のようにハイハイしながらその場から離れた。
「ピギャアア!」
樹海の奥から悲鳴のような叫び声が響いた。樹海に棲む動物や鳥が慌ただしく逃げていく。
男性は、木の影に隠れた。
声が出ないように両手で口を押さえつける。
バサバサ、バサバサッ
羽の音が近づいてくる。普通の鳥が鳴らすような音ではない。大きく重量のあるような重たい音だ。
「ピギャアア」
また甲高い悲鳴が上がった。静かな樹海に不快な風が吹いた。【ソレ】が起こした風だ。
カサッ、【ソレ】が地面に降りた。男性は木の影から【ソレ】を覗き見する。
胴体は鷹のような体。首から頭は人の顔だ。だけど、口は鋭い黄色い嘴(くちばし)をしていた。
なんとも面妖な不気味な怪物だ。
【ソレ】は嘴で羽を繕っていた。鳥のような動きに男性は吐き気を催す。しかし、ここで吐けば確実に自分の存在を知らせるようなものだ。男性は、喉から上がってくる液体を無理やり飲み込んだ。
【ソレ】が男性の隠れている木へ視線を向けた。
男性はすぐに顔を引っ込め、息を殺す。
【ソレ】がゆっくりと歩いて来た。
カサ、カサと枯れ葉を踏みつける音がする。
一歩、また一歩と、男性を弄ぶかのように時間をかけて近づいて来る。
そして、【ソレ】が木の前に来た。鼻息が真後ろで聞こえる。
男性は、神に祈った。
『この化け物がどこかへ行って欲しい』
切実に願ったのも束の間。男性の真横に顔がきた。
黄色い嘴、人の顔をした化け物がいた。
「あ、あぁ……」
男性は絶叫する力もなく、目の前にいる【ソレ】をただ見るしか出来なかった。
【ソレ】の口が開き、細い舌が出てきた。男性の頬をベロリと舐めた。
そして、【ソレ】は歓喜の声を上げた。
そこで、男性の意識が遠のいた。
* * *
『次のニュースです。○月○日に行方不明の男性が樹海で発見されました。男性はすでに死亡しており、警察の話によりますと、何かの動物に食われた痕跡があるとのことで、詳しく捜査をしていく方針です』