《手を取り合って》
国の中央に位置する水上の監獄。
犯罪都市、ルキストン。
年間数万件に及ぶ事件の殆どが解決に導かれている功績の所以は、この地で制裁を下す警察の存在に他ならないだろう。
ルキストン本部に所属する警察官らは、他の都市に勤務する者達とは格が違う。警察内でも、上位数%の実力者のみが所属しているのだ。
その理由は、単純に警察官の数が多ければ犯罪を取り締まれる、という訳ではないからだ。
ギャングからの脅しに屈しない心の強靭さ、手に入る金額だけで状況を判断しない冷静さ、市民を守る強い意志。
強欲にはならず、されど貪欲になれ。
そんな掟がまことしやかに囁かれる警察本部の駐車場に、その男の姿はあった。
青みがかった黒髪はやや長く、切るのが面倒で伸びたままになっている、といった風だ。空色の瞳は月を映す。
「……行くか」
警察官の制服に身を包んだ男は、愛車のパトカーを起こし事件現場へと急行した。
十分もあれば停車している二台のパトカーが見えた。近くに停め、弾倉の残りを確認しながら人だかりの方へ向かう。
「……あっ、来て下さったんですか、クロウ先輩!」
「おー……立て籠りだって?」
男は——クロウは、後輩から事件の概要を聞くことにした。立て篭りということ以外、これと言って情報を得ていないのだ。
要約すると、こうだった。
犯人は三人の少数グループ。
銀行泥棒をしようとしたが、金庫破りの途中で役員に見つかった。咄嗟に威嚇用に手にしていた拳銃で射殺。銃声で警察に通報されたが、泥棒未遂ではなく殺人として捕まることを恐れた。
結果、こうして三十分程立て篭っているらしい。
「中に役員含め市民は何人いるんだ?」
「十二人です。そのうち役員は七人です」
「んー……多いなぁ。俺以降応援は来ないだろうし、現場の五人で何とか……なるな、うん」
酷い時は二人で事件に当たることもあるのだ、寧ろ今は味方が多い。
事件発生から一時間も経っていないし、人質の命も多くが無事だろう。
「っていうか、詳しくないか? 咄嗟に殺したとか、なんでわかってるんだよ」
「犯人が叫んでました。殺す筈じゃなかったんだ、と仲間にでも言っていたんですかね」
「間抜けな奴等だな……」
計画性のなさに呆れ、クロウは銃弾を装填する。
「突撃しますか?」
「表に二人、裏に二人まわってくれ」
「先輩はどうするんですか」
「俺は上から」
怪訝な表情を隠そうともしない後輩に背を向け、クロウは銀行の裏手へとまわった。
そのまま壁を蹴って跳躍し、屋上に着地。
衝撃を殺したからか、足元で鈍い音が鳴るが無視して立ち上がる。
後輩が指示通り動いている様子を確認してしゃがみ、手近かにある窓を開けた。
外からでも開けられる窓でなければ割るつもりだったのだが、その手間がなくて良かった。
難なく暗い屋内に侵入し、壁を背に拳銃を構え周囲の安全を確認する。
どうやら職員の更衣室のようだ。
周囲に人の気配は感じられない為、クロウは躊躇なく扉を開く。
廊下は明るく、声のする方へ進めば犯人らと思しき会話が行き止まりの扉越しに聞こえてきた。
「……どうすればいいんだよ、なぁ!?」
「うるせぇなぁ、わかるかよ!」
「元はと言えばお前が……!!」
誤射による射殺で仲違いをしているようだ。
周囲への警戒が緩んでいるだろう今が好機と見て、銃を一度下ろし、通信機を付ける。
「——こちらクロウ。準備はできたか?」
「行けます」
「はい」
「できました」
「こちらも」
四人からは気持ちのいい返事だ。
「俺の合図で行くぞ…………三、二、一、GO!」
合図とともにクロウは扉を開け、拳銃を向ける。
予測していた通りそこには、犯人らしき三人の覆面と一箇所に集まっている市民の姿があった。クロウが開けた扉の傍にも、七人の役員が声を殺している。
全員で同時に突撃する理由は簡単だ。
状況にもよるが、人質の生存率を上げる為。
殺人に後ろ向きな犯人のことだ、咄嗟に出れば射撃もしてこないだろうと見越しての行動だった。
「武器を捨てて投降しろ!!」
クロウがそう言うと、慌てて犯人らは逃げ出した。
人質をとろうにも、先に表から侵入した警察官二人が銃を構えて待っている。また、役員側にはクロウがいてどうしようもない。
となれば裏口から逃げ出すだろうが、
「武器を捨てろ!」
「逃げ道はないぞ!」
先に待っていた裏口から侵入した二人が、その行く手を阻んだ。
クロウの読みが当たったのだ。
動揺に身を強ばらせる犯人らを背後から捕縛するなど、難しくなかった。
結果的に犯人らは、再度銃を撃つこともなく捕まった。
最初に殺された役員以外、かすり傷ひとつなく事件は幕を閉じたのだった。
「クロウ先輩、流石です! 先輩がいると死傷者数が圧倒的に少ないの、本当に凄いです!」
人質となっていた市民や役員を解放した後、クロウの後輩は興奮冷めやらぬ様子でそう言った。
まだルキストンに来て二ヶ月だったか、新鮮な目のままだ。
「たまたまだろ。……それに今回俺は何も特別なことはしてない。ただ突撃しただけ、そうだろ?」
「先輩があっちの方向から来なかったら今頃、役員の誰かは人質となっていたでしょうから」
たまたまそこに役員がいただけだ。
幸運だった、とクロウは残して、後輩に後処理を任せて現場を離れた。
車を走らせること三十分。
犯罪都市らしく薬の漂う路地近くに、クロウはパトカーを停める。
積んでいた黒いコートを制服の上から羽織り、路地へと入っていく。
十数歩進んだ所で、ドラム缶の上に座る男と目が合った。
鴉のような黒い髪、濁っているものの美しさを感じる翡翠の瞳。右目にある泣きぼくろが特徴的な彼は、ニヤリと口元を歪ませる。
「犯人、捕まえたんだろ? おめでとさん」
「祝福してくれるのか、ありがとうな」
意味のない会話に乾いた声を返し、クロウは煙草を取り出す。
ライターで火をつける。
「オレに感謝とかねぇの?」
「……まぁ、そうだな。オウルのお陰でいつ事件が起こるかわかったからな」
オウルと呼ばれた男は、クロウに無言で手を出した。
情報の対価を求めているのだろうか。
「えーっと……この煙草、美味いからやるよ」
「はぁ? その程度の感謝なのか?」
そう文句を言いながらもクロウから煙草を受け取って、オウルは口に咥えた。
「んじゃ、火も貰ってくぜ」
「ライター出すから待っ——」
クロウの返事も待たず、その口にある煙草の先と自身の口にある煙草の先とを押し付け、火をつける。
少し呆気にとられたクロウだったが、取り出しかけたライターを仕舞う。
「……煙草一本は冗談だ。また金は渡す」
「そりゃそうだろ!」
満足気に吸ったオウルは、しかしして、やや不満げに煙を吐く。
「この汚職警察官がよぉ」
「お望みなら、いつでも捕まえてやるぞ?」
「はっ……!」
ごちそーさま、と適当に言うとオウルは立ち上がった。
煙を燻らせながら、闇に消える様子をクロウは眺め、ため息と煙を吐き出す。
「……あの野郎とシガーキスして、何が楽しいんだよ」
大方嫌がらせだろうが、クロウはそれでもオウルを頼らない訳には行かなかった。
犯罪都市で犯罪の検挙率が高い理由。
それは、犯罪者の中に一定数協力者を持つ警察官が多いからである。
情報という価値の決めきれないモノを間に置く関係性は、やや歪なものだ。
ある者は愛を対価とし、ある者は金を対価として警察官側に要求したりする。
オウルは後者の男だ。
だからこそ、相手が犯罪者とわかっていてもこの関係を切れないのだ。
犯罪者とも手を取り合って行かねば、事件の殆どが警察の手から零れてしまうだろうから。
「……でもまあ、横領とかバレないからいいけどな」
その金で犯罪者と繋がっている警察官の、なんと多い都市なのだろう。
皮肉にも、ここ、ルキストンは警察官の犯罪も共に多い都市だろう。
そんなことを考えながら、クロウは愛車の元へと戻る。
オウルと会う時だけ着るコートを脱ぎ捨て、また、警察本部へと車を走らせた。
犯罪都市はまだ、眠らないのだから。
《優越感、劣等感》
違いなんてな、これと言って無いんだよ。
他人と違うこと。
過ぎれば身を滅ぼすこと。
ほら、これは共通してることだろ?
違うのはな。
優か、劣か。
文字とか、音くらいなのさ。
師匠からの大切なお言葉だ、忘れんなよ?
《これまでずっと》
あの日、私の彩の無い世界は壊れた。
屋上で出会ってしまったから。
——フウカ。
それが、破壊神の名前だった。
幼少期から、友達というものが殆どなかった。
それでも、ずっと同じだったから、不思議と悲しくもなかった。
淋しくともなかったし、寧ろ一人遊びは好きだった。
誰も私を傷付けない世界。
矛盾など存在せず、ただあたたかで優しい世界。
それが私を満たしていた。
なのに、たった十七年でその世界は終わりを知る。
「ここで何してるの?」
放課後、立ち入り禁止のテープの剥がれた屋上へと続く扉を開いたのは、髪を二つに結んだ彼女。
彼女はフウカと言った。
そして、彼女は私の友達となった。
後から知ったことだが、フウカは向かいの棟の教室で、同学年の生徒だった。
廊下ですれ違っても、私たちは会話をしない。
挨拶も、目を合わせることさえしない。
「暇なの? また空なんか眺めて」
「だったら、話し相手にでもなれば」
放課後、約束もせずに出会えた時だけ、声を交わすのだ。
きっと少し変わっている関係性。
それでも、丁度いい距離感だった。
そんなフウカと過ごす日々が、特別だった。
一年経って、フウカは突然現れなくなった。
そして私の世界はまた、彩をなくした。
けれど、戻っただけだ。
「これまでずっと、独りだったじゃないの」
私は涙が出る理由がわからなくて、ひたすらに目を擦った。
そして、認めた。
フウカは、たった一年の付き合いで、私の世界を壊したんだと思っていた。
でもそうじゃない。
フウカは、破壊神なんかじゃない。
「私を孤独な世界から、救ってくれたんだ……」
救世主なんだろうね。
今更、そう思う。
《七夕》
愚かな女。
愚かな男。
恋に溺れた、愚かな結末。
慈悲を零されたが故に、尚更その愚かさは強調されているのだろうか。
慈悲が故に、その苦しみはより一層募るばかりか。
ロマンティックに捉える誰かも。
嘲笑う誰かも。
今宵一つの、出遭いとなるか。
ディスティニーか、フェイトか。
《この道の先に》
迷ってばかりで。
答えなんて分からなくて。
それでも。
僕は信じている。
大丈夫だと、言ってくれた人がいて。
なんとかなると、励ましてくれた人がいて。
頑張ってみようと思わせてくれた人がいて。
僕は、大切な言葉を知った。
僕は、大切な想いを貰った。
だから。
せめて、格好付けられるくらいには。
頑張ってみたいんだ。
がむしゃらに頑張ったことはあるか。
他の何をも犠牲にしたことはあるか。
時間を捧げるだけ、捧げたことはあるか。
そう自分に問うたときに答えはでた。
否。
一度もない。
ならば、やってみようと思えた。
音が、声が、文字が。
物語が、文章が、表情が。
今の僕に与えてくれたものは沢山あるのだから。
わからなくなっても。
失わないで居られた理由があるのだから。
この先の道から見える景色は、きっと。
僕にとって最高の景色なんだろう。
そう成るように。
そう在るように。
僕は僕を信じて、進みたい。
病んでもいい。
挫けてもいい。
傷ついたって。
なんでもいい。
それが、僕の選んだ道だと。
そう、胸を張って言えるようになれれば。
正しさなんて要らない。
僕が認められる僕で在ればいい。
この道の先に、僕は。
全力で生き続ける自身の姿を、望みたい。
……そう思いながら、涙が出るのはどうしてだろ。