ああ、あなたが泣いている。
雨のようにぼろぼろと涙をこぼしながら。
綺麗さなどなく、けれど醜い訳でもない。
これは雫と言うには多すぎるな、と私はぼんやり思う。
背中をさするこの手に、何故か太陽を感じた。
あなたが泣き終わったらあなたの好む飲み物を入れて、少し沈黙に浸るのもいい。
その後でいいから、あなたの声を聞かせて?
何もいらない。このカーペットに落ちていた飼い猫のヒゲ以外は、今のところ何もいらない。
「もしも未来を見れるなら、きみはどうする? 見て納得がいかなかったら、未来を変えてみたいと願うかな?」
彼が真剣にそうたずねるものだから、私は笑ってみせる。表面上だけで。
「永遠に見なくていいわ。別に見る必要もないじゃない」
変な人だった。そんな男性からの唐突な言葉。
きっとおかしな勧誘に違いない。
あまりに真っ直ぐに視線が合ったものだから、足を止めたのが失敗だった。
急いでいる訳じゃないのも間が悪かった。
突き放すような私の声音に、むしろ彼は安堵したような息を吐く。
「きみがそう言ってくれて安心したよ」
にっこりと笑った彼は、私とすれ違う時、まるで重大な秘密を告げるかのごとく小さく呟く。
「未来を手放してくれてありがとう」と。
私は振り返り、おかしな雰囲気の男性の背中を見送ってから、自分の鞄からスマホを取り出す。
--さあこれから何で気を晴らそうか。変な人だったけど、そうしつこくなくて良かった!
ふと時間を確認しようとスマホを見てみれば、いつもの所にデジタル表示の時計はなかった。ロックを解除してみても、画面に時間が表示されない。
そして未来だけではなく、過去や現在というものが、ゆっくりゆっくり私から離れて行ったのだった。
二人で過ごした時間の中、ゆるりゆるりと風が流れた。
触れ合う事さえ無かったから、互いの温度も知らないまま、ただ無色の世界が柔らかだった。
桜散る景色を横目に、私は思う。
あなたとお花見をした時から何年が過ぎただろうか? 一体いつまで、美化されていくばかりのあなたとの思い出を追いかければいい?