生きている上で、たった1つ失わないものがある・・・
それは自分の身体。
母から産声を上げ誕生してから、ずっと、共にあるもの。
心がそれと対になり成長していく。
心が身体を育み、身体が心を育む。
唯一無二の自分の身体、大切にして欲しい。
しかし、悲しいかな、心が、考えることが、自分の意志とは無関係になってしまう方もいる。
でも、大丈夫、周りが見ているし、何とかしてくれるし、命があれば何とかなるものだ。
寿命を終え(残念なことに事故や病気で亡くなる方もいる)、大地に帰るまで、自分の身体をいたわってあげよう。
身体は最後に1つだけある、自分の最愛の友なのだから・・・
−1つだけ−
(人はなんの為に生きているのだろう)
誰しも一度は考えたことがあるだろう。
家族の為?
未来の自分の為?
愛する人の為?
自分の趣味の為?
どれもこれも、当たっている様で曖昧、不確かだ・・・。
大切なものがあれば生きていけると言うけど、現実、世の中そんなに甘くは無い。
余程自身が、
「私は私の選んだ結果や信じたことに悔いはない」
と心得ていないと、そのうちに強弱はあるが崩壊がくる。
人間愚かなもので、自分自身が底に落ちた時になってやっと、大事なものが見えてくる。
−大切なもの−
この時期になると、何か陽気な人達がちらほら湧いてくる。
春という季節柄か、花見時期だからか、頭の中がお花畑の輩がちらほら。職場や〇〇友会やらもそう。
4月1日だからといって、はた迷惑な冗談を言ってくる。
(あの・・・口動かす前にやることやれよ笑汗)
となる。新人さん達の入社式、人事移動後の後の会(親睦会や歓迎会?)も、中々厄介なものだ。
半分酔ったというか、調子に乗ったベテランの一方的なお花畑話を聴くのは、誰もが本音苦痛だろう。
・・・いったい、誰が「エイプリルフール」と名付けたのだろうか。
多分、その人物が馬○。
−エイプリルフール−
恋人同士が婚姻を結んだ時、
結婚式で祝福される時、
「おめでとう、お幸せにね」
と定石の言葉をかけられる。
確かに、幸せになれたら良いだろう。
「幸せのカタチ」
それは、人それぞれだ。男が好きな男もいれば、女が好きな女もいる。
その多性に関する感情は様々。
決して、決めつけられた上での、
「これが正解、これが幸せになれる」
というものは無い。
何に幸せを感じるかも、また様々。家、金、名声、その他。もしそれで幸せと感じているのなら、
「良かったですね、良い人生をおくれているのですね」
と言いたい。
私は、死ぬ間際になって、
「色々あったけど、俺なりに後悔無しだ」
と思えたら幸せなのかもしれない。
−幸せに−
いつもの生活といつもの職場の風景。
皆、黙々淡々と時間をこなしている。
(あの人とあの人が良い感じ)
(上司に恋心を抱いている)
(あのグループとあのグループは仲が悪い)
等など。
結構皆、内に持っているものがあるものだ。
まぁ、職場の流れ優先ですからね。
(稀に、空気読めない奇想天外な人種もいるが)
一緒に仕事をすることになった同僚や先輩、たまに良い感じで会話が進んだり褒められたりすると、
(あっ、この人もしかして)
と、大いなる勘違いをしてしまう時がある。
(何も変なこと考えていませんよ)
と自分に言い聴かせ、俺はその場をやり過ごすのでした。
-何気ないふり-