幸せのカタチ、それって人それぞれ。
お金があれば・・・
彼氏や彼女がいれば・・・
家を買えたなら・・・
でもね、想定外のことが起きるのが人生。一時幸せだと感じても、番狂わせがくる。
自分がいざ亡くなる時、ベッドの上で、
「ああ、私の人生悔いはないな」
と感じられたら、幸せなのだと思う。
−ハッピーエンド−
ふと顔を向けると、彼が笑顔で俺の方に視線を向けていた。
仕事の先輩だ。彼には悪気は無いんだけども、俺は何か恥ずかしくなって、照れ笑いしながら視線をずらし業務に集中した。
「面と向かって話す時は相手の目を見て話せよ」
とか言うけど、それはそれで何か妙な気持ちになる。
そういう経験ある人もいるんじゃないのかな?
あまりに真剣な眼差しで話したり、その視線が、
「もしかして俺に気があるんじゃね?」
とか。まぁ・・・大いなる勘違いが殆ど何だけどもw
でも、目を見て真剣に話を聴いてくれると、相手は安心するよね、多少なりとも。
人間もやはり動物の一種、目と目のやり取りに何かしら感情を抱くのは、遺伝子に刻まれたものなのだなと。
目は口程にものを言う・・・正にそれかな。
でもやはり、どんな人でも、優しい目で見つめられると、それだけで癒やしになるんじゃないかな。親しい人や仕事仲間、家族、恋人・・・様々だげと。
−見つめられると−
「こころ」・・・それはどこからくるのだろうか。
生きていく為の「情」なら、他の動物も持っている。
種族問わず、お母さんは必死で我が子を育てようとするし愛情を惜しまない。ただ、人となると少し?ややこしい。
タイタニックの映画の主題歌でも、「My Heart Will〜◯◯」という歌が大流行した。人だけじゃないかもだけど、人は愛する相手に対して自己犠牲をはらえる、数少ない生き物なのだなと。
俺も、「この人の為なら、大変だって構わない。頑張れるし、一生思っていられる」と思った・・・20数年経った今でもそう感じている。
「こころ」「思い」があるからこそ、人は生きていけるんじゃないのかな?たとえ、自分の今の境遇が悪かったとしても。
ただ・・・それを周りが汲み取ってくれるとはかぎらない。グチ聴き相手がいると、少しは気が紛れるかな?お茶飲みや散歩とかね。
自分の「こころ」は、自分で大事にして欲しい。考えることや、相手に対して気持ちに疲れたなら、それは、貴方の休息の時期かもしれないのだから。
−My Heart−
相手のものを欲しがったり、
人のパートナーに嫉妬したり、
必要以上に自分の服をカードで買ったり(まあ似合っているかどうか解らないけど)・・・
表の顔では解らないかもだけど、以外と人ってそういうものじゃないのかな。
劣等感や強すぎる向上心、見えっ張りな人は、自分で自覚しない内にそれがエサになる。
ないものねだり。
生活や家族を破滅させる前に、自己満足している内が花だと思う。
マンションや家のローンだってそうだ。80歳近くまでローンが残っているのなんて、年金あっても働けなくなったり病気になったり、はたまた独り身になったら終わり。ニートの子供がいてもそう。
複数子供がいても、子供達は自分達の生活と子育てで精一杯。援助なんて期待しない方が良い。
正に、昔ないものねだりのせいで、想定外の考えに行き届かず甘い考え方しか出来なかった(不動産会社の責任もあるかと思うが)、末路は・・・自宅を売って老後破綻や、自己破産や生活保護。
老若男女、エリートだろうが生活底辺者だろうが、様々な人の欲望って、人を盲目にする・・・
−ないものねだり−
いつもと変わらない職場。
「おはよ〜、今日も頑張ろうね」
「〜さんおはよう、今日も頑張ろうぜ」
何気ない朝の会話。朝の空気感だからだろうか?皆元気で爽やかに映る。(まぁ、同じ職場に長年勤務していると、役職の確執や同僚同士の微妙な関係もあるのだけれども。仕事だからしゃーないか)
俺は勘違い野郎の気質。褒められたり態度を良くしてもらうと、断然やる気が出でくる。反面、メンタル的打たれ弱いのだw
だから・・・良くしてもらうと、何か好きというか、微妙な感情が湧いてくる。別に、本気で愛してしまった、という訳じゃないんだけども。
男女問わず、俺は人に惚れやすいらしい。それで何度も悩んだこともあった。人として?恋愛感情の相手として?
いい歳して、まだその狭間で揺れている。
好きじゃないのに?本気じゃないから?
それは・・・恋愛の相手として?セックスの相手として?はたまた、生涯の伴侶として?
生きている上えで、なにが正しいのか・・・
ただ、俺は、色恋沙汰無しに、好きな関係や人を好きでいたい。
−好きじゃないのに−