ひろ

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3/7/2024, 10:32:26 AM

月夜の晩、ふっと足元を見る。
「こんな夜なのに、影がある。月が俺を照らしてくれている・・・」

太陽もそうだけど、月夜もありがたい。何せ、電灯もいらず体外晴れて、洗濯も外干し出来るからだ。
北日本や雪国の方々にとってはあまり実感無いかな?

でも、俺ら沖縄地方の人間にとっては死活問題・・・そんなに生き易い土地じゃねぇんだよ、と。
石垣や宮古島食い物にしている企業や輩も増えたしな。

冬場も割と温かいから、市内の公園で野宿しても凍死することはまずありえない。ただ気をつけたいのは、油断して寝て、窃盗に会ったりゲイ君にヤラれること。
もう30年近く(もっとか)続いてるんじゃね?

沖縄はゲイ密度が高いんですよ。外人ゲイも多いし。何故か。基地関係もある?それで、病んでしまう人もいる。

心砕かれても、でも、月夜の散歩は清々しい。

3/6/2024, 10:10:51 AM

絆・・・親子の絆、兄弟の絆、師弟の絆、親友との絆・・・。様々だ。

血縁関係の絆って、最高だと言う人もいるけど、そんなことはない。
虐待、ネグレクト、親って何だろう。パチやアル狂い。
施設暮らしの子供達は親子との絆は?

心と心との繋がり。それが本当の絆だと思う。

3/5/2024, 10:22:37 AM

近くの、小学校の同級生の昔からやっているパン屋かある。地元に帰って来てから、懐かしくてたまに買いに行くのだが・・・。朝から、ママ友や家族連れ等がいて、何か気まずい。(一般の方々ってこんな感じ何だよな)って、自身を蔑む。

でも、たまには俺みたいな人種でも、パンと温かいクリームスープ飲んでも良いよね?
と感じつつ、エアコンの無い部屋で眠る・・・。

3/4/2024, 10:34:50 AM

今はもう泡沫みたいな記憶。
俺が漢を本気で好きになったのは約20年前。その前から、20歳過ぎて地元のゲイバー通っていたりはしていたけど、コトが終わっても虚しい一方だった・・・。

(みんなやっぱ外見求めたりばっか、あと外見ばかりの奴ら。マウントとる奴らばっか。結局酒絡み)

そんな中、名古屋に事務所がある派遣会社に入り、三重のいなべ郡(今は市だったっけ?)、桑名の隣?、の自動車部品工場に出向。勤務は週替り2交代制で、1日約10時間ほど。キツかったけど、年配の先輩方や同僚が気遣いしてくれたので、割と楽しかった。

そこで、歳1個上の同郷沖縄の先輩と出会った。歳が近かったからかな?会社の寮は同じ部屋に。俺は、自分がゲイだとは世間にバレずにと生きていた。でも・・・その先輩が、俺の真髄というか、生きる上で最も忘れられない人になった。

職場工場内で、つまらない事で俺のせいで言い争った事がある。俺は・・・その晩、アサヒのドライを持って謝りに(今思えばチープ)。でも、彼は何事も無かったかの様に「良いよ、大丈夫、気にするなって」の様な返事。(大人の漢ってこんなんなんだ?)と、感激というか、その先輩に家族?感を覚えた。

結局そこの工場も2ヶ月位で終了。他の名古屋のある食品会社の工場に行くことになる。

でも、今でも忘れられないのは、その先輩が酔ってかな?「一緒に寝ようぜ」と言って、俺をハグして押し倒してそのままお互い爆睡してしまったこと。先輩は俺に気心を許してくれていたのだなと。

様々な経緯を経て今がある俺だけど・・・ありがとう先輩。この先もずっと忘れません。

3/3/2024, 11:06:35 AM

桃の節句と言えば、お雛様や雛壇だったり。俺は母子家庭で、小学生のころは鍵っ子。妹二人はいたけど、親が帰る迄は公営住宅の部屋で、絵を描いたり折り紙で遊ぶのが好きだった。ひな祭りの前には、折り紙で、お雛様カップルや右大臣左大臣、五人ばやし?なんかも作って、あられやひし餅も飾ったかな?

別に外で遊ぶ事が嫌いだった訳じゃない。外で遊んでいる最中に怪我をして、血だらけで帰宅した事もしばしば。その時代、アニメの影響で剣道が流行り、小学校の剣道サークルに入ったけど、数ヶ月位で辞めてしまった。けど良い思い出。

下手だけど、サッカーやバスケ、バレーボール、卓球なんかも好きだ。ただ、身長が身長だし、部屋でこもり過ぎたせいで体重増加、足手まといになる事が多かったけど。
ただ、その時に過ごした家族での桃の節句のあの楽しい一時は、今になっても忘れない。40年近く前になるか・・・。

人間は愚か者だ。後に何十年経って、大事なものに改めて気付く。

ちなみに、甘酒は今はノンアルの材料で作っているので、真冬の寒い時期に飲むと、温かいのと素朴な味でホッとする♪

それから20年後位かな。あるきっかけで、名古屋の食品メーカーで働き出した。その時に世話になった、ある派遣会社の方と、一つ上の同郷の先輩には本当に感謝してしている。
てか、愛知県&名古屋は今でも第二の故郷だと思っている。(当時西区に住んでて、ダイヤモンドシティとか稲生神社とか懐かしい♪)けど・・・その同郷の先輩(ノンケ)に激惚れしまったのがマズい。

二年後、結局その食品工場も辞め、金に困った挙げ句、今にいう闇サイトや半グレまがいの事にも手を出し、地元に帰り自己破産に至る。

ただ、今に後悔は無いのは、その時入れたエンブレムのタトゥーと、入れた彫師さんと出会えた事。これは、一生忘れない。なぜって?だって、信念があったから。それに、彫師さんイケメンだし面倒見良いし、気遣うし、正に理想の先輩の感じ。
その後5,6年経った頃また訪問し、今度は俺のデザインを元に龍(タトゥー調ですが)を彫ってもらいました♪

(なので、現在、胸〜背中〜肩〜両腕上墨入ってるので、お風呂屋さんやスーパー銭湯行けるかなと心配です、汗)

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