『1000年先も』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【ヘタリア】
輪廻転生、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
恐らく、聞いたことがある人が殆どだと思う。
だが、何故そうなるのか、と聞かれたら、答えられるだろうか?
少なくとも、多くの人ができないだろう。
輪廻転生は、歯車の様に何度も何度も生まれ変わることである。
しかし、今から話す〝日本〟と〝中国〟は輪廻転生というものの存在は知っているものの、体験したことはない。
もしかしたら、あるのかもしれないが、国として、ではないだろう。もしくは、日本や中国だけでない、世界全てが同じ世界を繰り返していたら?
謎は深まるばかりだ。
と、日本は思う。
どうしてこの考えに至ったのかは覚えていないが、
もう随分と時間が経っていた。
わん、と近くから鳴き声がする。
声を発しているその物体を目にいれたら、日本人の殆どは顔が綻んでしまうだろう。
特に、それが自分の飼っている愛犬なら。
「どうしたんですか、ポチくん」
いつも通りの優しい声で聞く。
するとすぐに、「お〜い、日本〜!」
という元気な声が聞こえてきた。
どうやらお客様の様だ、と普段なら色々と用意するはずだが、今日の日本はしなかった。
それは、気分、というよりも相手の問題であった。
しかし、挨拶は誰だとしてもするものだ。
「いらっしゃいませ、耀さん。」
耀、というのは上記の中国、王耀(わんやお)のことだ。
「あいやぁ〜!菊、嬉しそうあるな!我が来てそんなに嬉しいあるか!」
という言葉で日本、及び菊はハッとする。
愛犬であるポチくんを見るのと中国が来るのがほとんど同時に行われたからだ、とすぐに思ったが、
時すでに遅し。
中国は日本に抱きつくや否や嬉しそうに話し始めた。
諦めた日本は考えるのをやめたがふと、先程まで考えていたことが思い出される。
輪廻転生、だ。
日本はどうであれ、中国が輪廻転生したことがないのは殆ど確定だろう。
何せ、名前は違えども〝中国〟という国が作られてから約4000年経つのだ。
まぁ、かくいう日本もできてから約3000年程経っているのだが。
少し話が逸れたが、国である以上いつ消えるかわからないわけで。
世界も、いつ滅ぶかわからない。
生と死はいつも隣合わせにあるのだ。
そして、そんな世界で生きるには少しの勇気が大切で。
でも、その勇気が出せない人もある。
そんなことを考えながら、日本は願うように、心の中でこう唱えた。
『世界全部が、1000年先まで、続きますように。』
_1000年先まで_
君と僕、僕と君。
ずっと、ずーっと、いつまでも?
僕の隣は君のため。君の隣は、僕のため?
人生100年?死後100年?2度目の人生も100年?
どこの世界を過ごしても、どれだけ時が経とうとも。
ずーっと一緒?どこまでも?
君は応えてくれるかな?
「1000年先も、いつまでも」
1000年先の生活がどんなものかは想像つかないけれど、誰かを愛したり憎んだり羨んだり憐れんだりしながら生きていて欲しい。人間が人間であることを忘れずに。
1000年先も今あるものは
何も残らないかもしれない
1000年先に残っていても
誰も知らないかもしれない
1000年先も続かないのなら
今は無駄なのかもしれない
それでも、今を君と笑い合いたい
他でもない、今を必死に生きていきたい
僕らはみんな意味不明 ボカロ
テーマ『1000年先も』
たとえばあなたが嬉しいとき、わたしも一緒に笑い合いたいです。
たとえばあなたが怒っているとき、その感情を受け止めて落ち着くまで傍で寄り添いたいです。
たとえばあなたが哀しいとき、上手い慰めは出来ないかもしれないけどその涙を拭うことが出来る権利が欲しいです。
たとえばあなたが楽しいときは、わたしもきっと、楽しいのです。
どんなことがあったとしても、わたしは常にあなたの味方です。
あなたがわたしを思って泣いてくれていること、とても幸せだと思ってしまいます。触れ合うことは出来なくなりますが、それでも常にあなたを思っています。
この気持ちは10年、20年、100年と続き、あなたが例えわたしを忘れて前を向いても、わたしだけは覚えている感情です。
そうしてまた長い未来であなたをもし見つけることが出来たなら、その際は今もこれからも、1000年先もずっと好きだよとちゃんと言葉にして伝えさせて下さい。
【1000年先も】
突然だが、俺はゾンビだ。
ゾンビとは、何らかの力で死体のまま蘇った人間の総称である。多くはホラーやファンタジー作品などに登場し、「腐った死体が歩き回る」という描写が多くなされる架空の存在である。
そう。架空の存在だった。
近年、発達しすぎた医療の対価として、死して尚動き回ってしまうゾンビが生まれてしまった。
それが本州を中心にどんどん肥大化していき、遂には日本全土を飲み込むほどになってしまった。
ゾンビの特徴は見た目によらず、かなりある。
1・音楽が好き。どこかで音楽が鳴れば、みんな踊り出す。俺でも何でかはわからない。ただ、本能的に踊らなきゃと思ってしまう。
2・人間を襲う。これは多分、人間が放つゾンビにしかわからない匂いが原因だと思う。
3・動いているものに注目してしまう。車や電車、慣性の法則にのっとって動いているものに注目する。
4・頭が弱い。考えが単純で騙しやすい。これは脳も破壊されているからだと考える。
その他もたくさんあるけれど、大々的なのはこれくらい。
俺はゾンビ化して5年のまだまだピチピチゾンビ。
他のゾンビ達にも話しかけてみたけれど、俺の言語は理解できてないのか、頭にハテナを浮かべた様な顔をされて何故か哀れみの顔を向けられた。
まぁ、、細かいことは気にせず、俺は死んでも自我があり、喋れるという事実があるだけだ。
あいもかわらずゾンビ達はダラダラ歩いて、音のする方へ寄っていく。
人間の生き残りはいないとは思うが、これから俺達は1000年、2000年と生きていくだろう。
だって頭を攻撃されない限り死なない生き物なのだから。
でも、、、これから1000年も生きていくにあたり、障害がある。
暇すぎることだ。
俺はゾンビ化する前、音楽を嗜んでいた。
自慢できるほどの腕ではなかったが、音楽をすることは楽しい。
音楽は何世紀も前から人類の心を満たして幸せにしてきた。
ゾンビが何故音楽が好きからわからないが、俺は死んでも音楽が好きだ。
そう自分語りを垂らしていたら、俺の中であるアイデアが閃いた。
『ゔぁ!おんがぐでゾンビだぢをよろごばぜるごどがでぎればべいわになる!』
(音楽でゾンビ達を喜ばせることができれば平和になる)
これが出来れば、俺はゾンビ初のミュージシャンになれるんじゃないか!
そこから、俺の努力が始まった。
マイケルジャクソンの様にエレキギターを持って、、、
指が腐ってるから1つ弾けばボロボロ崩れる。
まずは指の補強から始めた。
そこから、自分の生前の知識をフル活用し、音楽設備を充実させた。
いよいよ本番。
この大勢の観衆(ゾンビ)達を喜ばせるため、俺はエレキギターを構えた。
ジャーーーン!!
奏でるはロック。
伝えるは情熱。
俺は今から、お前らのメシアだ!!
ーーーーー
歌い終わった。
やりきった、、、
ぱち、、パチパチ、、
『ゔおおおおおぉ!!!』
『ああああああ!』
目の前には、熱狂したゾンビ達。
喜んでいる様で、俺に向かって手を振ってくれている。
『ゔおおおおおおおおおおおおおおお!!!』
俺は1つ、ゾンビらしい雄叫びをあげた。
これからも、ずっと、ゾンビと音楽と共に。
俺達は生き続ける。
1000年先も、2000年先も。
地球が滅びるまで、空気が存在し続けるまで。
永遠に。
大好きな音楽と共に。
そして俺は、歴史に類を見ない、ゾンビのミュージシャンとなった。
今ここにいるボクが
誰かの1000年先かもしれない
望んだ
夢見た1000年先になれているだろうか
そう考えたら
明日がちょっと変わるような
気がする
1000年後の人達は、歴史の教科書が分厚くなって、テスト範囲も広くなって、大変だろうなぁ。
(今日は、あまりやる気が出なかったので、こんなことしか書きませんでした。ごめんなさい🫠💦)
1000年先なんて、考えたくもない。
自分がいなくても普通にまわっていく生活と地球を思い知るだけ。
生涯かけてたどり着いた境地なんて、どこにでもありふれた平凡だと思い知るだけ。
1000年先の時代にドラマ化される源氏物語、すごいなぁ。何千年も先の時代に手術や皇帝の名前になれるシーザー、すごいなぁ。
1000年先も
1000年先も平和になのか
それとも戦争に暮れてるのか
1000年先も
(本稿を下書きとして保管)
2024.2.3 藍
【1000年先も】
1000年前、世は平安時代で。
彼らの想像していた未来に
今はなっているのだろうか。
これからだって世界の歴史は続いてく。
歴史の教科書は分厚くなっているのだろうか。
もう教科書なんて使わないのかなぁ。
それでも1000年先でも変わらず
傷つけ、傷つき、愛し、愛され。
そんな中で一人孤独でいる人もいて。
文明が変化しても災害にみまわれて
地形が変わったとしても。
感情面は今も昔もこれからも変わらないね。
種類大きさ量は違えど
同じ嬉しいであり悲しいであることに
変わりはないよね。
自分の中で、世界が終わる日の最後の晩餐は決まっている。味噌汁である。
味噌汁は愛情の味だと思っている。
最後の日に味噌汁を飲んだら、身体が温まるとともに、涙が溢れてくるんだろうな。
【1000年先も】
私は大切にしたいモノなんてなかった
興味のない事に執着なんてできないし
好きなモノでも飽きてしまう
だけど、カレだけは違った
優しい性格
整った容姿
どこをとっても抜け目ない
なんだか大切にしたいカレができてからは
魂がなくなった抜け殻同士になっても
守り合っていく関係であり続けられると思うの
魂と肉体が自由な限り
私達は人生を共有しあえるのだから
永久に
私達は生き続ける
背中がくっついたのなら
それはもう天国です
引き裂かれても
どこかで必ず会えます
何回も何回も
ぐるぐるまわる人生が
私とカレをくっつける
神様は
私達を成功だと喜んでいるのかも
それが永久に続くのなら
何年先もって考える必要もないんだよね
だって私達、最強だから
1000年先も
1000年先も愛してる
そんなことを言ったきみは
1年もしないうちに壊れてしまった
もう前の君とは会うことはできない
だからボクが1000年先まできみを背負って行かないといけない
#10
お題:1000年先も「太陽」
子供の頃、宇宙図鑑が怖かった。
ブラックホールのページは、うっかり開いてしまわないよう気を付ける位に恐れていた。
けれども、ブラックホールより僕を絶望させたのは太陽だ。
太陽はいつの日か膨張を始め、太陽系の星々を飲み込んでしまうのだという。
僕は消し炭の様に燃え尽きる地球を想像し、その日1日中布団の中で震えていた。
母は大丈夫、大丈夫と僕を慰めた。
「100年先も大丈夫?」
「大丈夫よ」
「1000年先も?」
「大丈夫」
そうか、1000年先も大丈夫なら、きっと大丈夫なのだろう。
母はもしかしたら嘘をついたのかもしれないと思ったりもしたが、それ以降太陽が地球を飲み込むことについて考えないようになった。
大人になった僕は、幼き日々と真逆なことを考えている。
50億年後か60億年後、太陽は超新星となり地球を飲み込むだろう。
僕は、ガラス細工の様に熱せられ、光を放ちながら消滅する地球を想像する。
個人の幸福も不幸も生も死も、世界歴史と同次元に核と融合し、構成元素をより重い貴金属へと昇華させる。
そんな身の丈遥か上の事象に想いを馳せると、僕の心は水の様に冷たく穏やかになるのだ。
どれくらいの時間が経ったのだろう。
1番最初の記憶は、もう上手く思い出せない。僕はただ気がおかしくなるほどの時間を過ごしている。同じ時代を、永遠に。
僕はひとつの時代に閉じ込められていた。僕はある時から、死ぬと、とある同じ地点の自分に戻るということを繰り返していた。
今がそうだ。12歳の誕生日の日に戻っている。
この世界は僕に何を求めているのだろう?神がいるのなら、神は僕に何を求めているのだろう?
何万回したかわからないため息を吐く。何回目の人生なのかわからない。
何を変えればいいのかも、なぜ12歳の誕生日なのかも、分からない。
やれることは全て試した。
母親が死なないように原因となる車の窓ガラスを割って妨害したり、はたまた母親が死ぬ道を選んだり、これから起こる事件を人が死ぬ前に解決したり、大災害が起こるとじぶんのしうる色々な方法で伝え死人を最低限に抑えるようなこともした。でも、なにも、変わらない。窓から身を投げても、自殺を何度試みても、同じ地点に戻る。ふざけるな、ふざけるな、とうわごとのように呟く。肉体は傷一つないからだに戻っても、精神はとうに狂ってしまっている。世界は僕に何を求めているのだろう。
僕は1000年ほどこうして過ごしているのではないかと感じていた。実際は300年くらいだろうが頭がおかしくなるには十分な時間だ。
あぁ、誰か教えてくれ。僕はこれからどうしたらいいんだ?どうしたら死ぬことが出来るのだろう。僕は100年目あたりから、もう死ぬために生きていた。永遠の生など呪いでしかない。
「だれか、だれか教えてくれよ、いるんだろ?見てるんだろ?」そう呟いても、やがて声の余韻が消えていくだけだった。
1000年先も
1000年先もずっと続くものはあるのだろうか?
人類,生態系,地球,天体,宇宙…
どれもこれも1000年たっても無くならないなんて
断言できない。
“1000年先も続く”
それが何なのか
神様だけが知っているのだ。
1000年先、まだ人類は健在だった。
自然は少し減っている。
森や山にはぽわぽわとした目に見えるか見えないかの物体があちこちに浮かんでいた。
浮遊しているそれらは、自然が減るのに比例して少なくなっていった。
ぽわぽわしたものたちはカラスなどと違って人里に降りることが難しい。
それでも、意図してか、もしくは迷い出てしまったのか、町で何かが浮遊しているのを見る人がいる。
月日がたつと、神社やお寺で目撃されるようになる。
お社や寺院の境内で、ぽわぽわと楽しそうに浮かんでいる。
神様や仏様は彼らを受け入れたみたいだ。
また1000年経つころには世界は緑豊かになって、彼らはこぞって自然に帰っていくだろう。
『1000年先も』
1000年先も
日本語が残っていて欲しい
それなら
わたしの言葉も
きっと誰かが読んでくれる