『1年前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ほんの少し前のことです。一年も、経ってないと思うんですけど。
いや、それを思い出したのが少し前なんです。経験したのはもっとずっと昔、それこそ、覚えていたと言うよりもフッと浮かんだと言った方が正しいほど小さい時のことです。
小学校に上がるか上がらないかのころ、僕は母と牧場へ行きました。家から遠くて、着いた時には眠い瞳を擦っていたのを覚えてます。
その時はちょうど、乗馬を体験できるコーナーがあったので、母と一緒に乗りました。
幼児が思い浮かべる動物って、絵本みたいにデフォルメされてたり、多少は可愛くなってるじゃないですか。僕もそうで、白くて小さなポニーを想像してたら、僕よりも父よりも大きな動物がいるんですもん。めちゃくちゃ怖くって。
ちょっと涙目になりながら、手綱を握ってたんです。でも、乗ってると怖いとか考えないんですよね。僕は高いところが好きだったし、ゆっくり歩いてるから結構安定してて、むしろ楽しかったです。
安心と、遠出した疲れもあって、ウトウトしながら乗っていました。
蹄鉄のちゃりちゃり鳴る音の、あの安らぎと一時の夢。僕が、ジョッキーになったきっかけです。
お題『1年前』
一年前
去年の今頃
何があったっけ
手帳を振り返る。
自ら挑戦を宣言
そんなこと
皆無だった娘の
成長が綴られていた。
来年の私が
また振り返った時
挑戦した証を
辿れるよう
自分自身の挑戦も
記録しよう。
そう思った
一年前だった。
生きていることが奇跡のような事故に遭い、完治を宣告され、新しい車に乗り始めたくらい。
当たり前って幸せって実感したのが1年前。
今も生きてることが幸せ。
お題:1年前
日記で調べたら、必死に動画制作してた(笑)
今はもう会社が動画制作の内製化をやめてしまったので、私も動画のアプリのサブスク止めたんだけど。
年単位で申し込んでたから、違約金が発生してしまった。
それでもまだ、副業とかできたら良かったんだけど、動画制作の単価安すぎて挫折…。
勉強にはなったけど、未来には続かなかったなあ〜(遠い目)
あと、会社の仕事を家でやってたので、損でしかなかった(笑)
1年前
う〜ん、何してたかな 日記を始めたのが8月頃だったし 毎日、暑い暑いを連発してたよね それと母親と格闘してたよね 健康をさらに意識し始めてたし…
バカみたいにはしゃいでいたかも
1年前よりはさらに、人との繋がりが
増えたような気がする
豆腐屋のマリちゃんとも知り合えたし
色々と声を掛けて下さるのが嬉しいよ
とにかく、外に向かってみよう
それに加えて、パソコンで椎野さんとも再会、カノジョを頼ろう!
『1年前』は婚約者と結婚式準備をずっとしてた
オープニングムービー
プロフィールムービーの作成
招待客のリスト作成
会場のテーマ決め
そして初めてやるダイエット(これは私だけ笑)
結婚式をする数ヶ月後に向けて頑張って
今では-10キロ分痩せる事に成功
そしてダイエットをやめて半年以上経過したが
リバウンドなし!!
そして、欲を言うならもう-10キロしたい!
と言いながらダイエット開始できてない笑
いつか……いつか始める!!!笑
10年日記というアプリで日常を記録している。
名前の通り、10年分の今日が一列に並び、去年の今日、一昨年の今日と、自分の書いた日記が見られる仕様だ。重宝してる。
使い始めてまだ10年は経っていないが、一日とサボらず毎日書き続けているので、このアプリの中にはたくさんの時間軸における自分が存在している。
1年前の今日の自分が、抱えていた不安や悩み。
今の自分にとっては、そんなこともあったなーってレベルの些細なこと。
結局、大したことにはならず、杞憂に終わったことばかり。
思えば、人生はそんなことの繰り返しだ。
心配事の9割は起こらないのに、残りの1割が起こることを心配したりして。
生きている限り、不安や悩みは尽きないけれど、1年、いや、数ヶ月と続くようなものはほとんどない。
もちろん、当時頑張って自力で解決したものもそれなりにあるが、どうにも出来ずに時が解決してくれたものだって多々ある。
今となれば、悩むだけ無駄だったなと思うけど、その時はそうするしかなかったんだよな。
でも、こうして未来の自分になって振り返ってみると、頑張っていた自分に出会えて嬉しくなるし、1年前の自分は確かにそこにいたんだなと、時の流れを再確認出来る。
そして、今だって頑張ってるぞ、と胸を張って過去の自分に伝えたくなる。
それはきっと、心の中で言葉にするだけで。
過去の自分も今の自分も、同じこの心の持ち主だから。
今では、想いを書き残すアプリがひとつ増えて、1年前の自分にはなかった日課を楽しんでいる。
1年後の自分が、どんな気持ちで今の自分の徒然なる想いを読むのか。
恥ずくて苦笑しながらか、文才を自画自賛しながらか、分からないけど、これが今の自分の精一杯だから、未来の自分がもっとレベルアップしていることを期待しつつ、書き続けていこうと思う。
ネタが続く限りは…。
『1年前』は父の鼠径ヘルニアの手術が終わり、
退院後の通院付き添いも終わってようやく日常
を取り戻したところでしょうか。
父が安定してきたので、やっと仕事にも復帰。
その後は順調でした。
しかし、今...。父は元気ですが、色々と越えねば
ならない山が出てきました。
今から1年後はペースを取り戻して穏やかに過ごし
ていたいと切に願います。
〜お題『1年前』〜
『1年前』
仕事にもそこそこ慣れて
彼と色々ありながらもなんとか続いてて
でも心は不安定で
彼のことは信じられない
自分に自信がない
ただただ変わりたい
死にたい気持ちも消えなくて
毎日もがいていたなあ
今、そこから抜け出せているよ
1年でこんなに変われるんだね
さらに1年後はどんな自分に出会えるのだろう
1年前
学校行くんでかけない!
帰ってきたらかく!
1年前
僕は、悩んでいたと思う。
仕事もプライベートも何もかもが嫌になった。
何故かと言われると、生きることが嫌になったというのもあるが、どうせ死ぬのに何故人は生まれてきたのかと、考えるくらいには生きることに対して
執着はしてなかった。
人という存在が、嫌で嫌で仕方ない。
使いたくない人に気を使わなければならないし。
人目のばかり気にするこの性格も嫌だし。
面倒だし。
話はそれだが、1年前と比べると
今は少しは余裕があるとは思う。
けど、なんとも言えない、絵を描いている。
1年前は、なにをしていただろう。
この時期なら…夏季大会。
忘れられない、あの2日間。
当時中学3年生だった私は、8人いた3年生の中でも、リバウンドの柱として、活躍の場を持っていた。
入学、入部時、結構期待されていた部分が多く、その頃には、期待に応えられるようになってたと思う。
そんな夏季大会…中体連1日目。
1日目2つ目の試合で、私はコートへと出た。
私にとって、最初で最後の中体連だ。
絶対、チームの役に立ってみせる。県大会、行ってみせると意気込んでいた。
が、数分後のこと。
ボールを追いかけて、ギリギリでコートに戻した時。
壁に思いっきり手をついたせいか、手首に激痛が走った。
今でも覚えている、「あ、これ終わった」という絶望感。
試合は止められ、私は試合後、すぐに病院へ。
その日は土曜ということもあってか、やっている病院はやけに少なかった。
なんとか、家の近く(とは言っても4キロくらい)の病院に辿り着き、検査してもらうと、まぁ予想通り、捻挫していた。
2日目は、出ることも許されなかった。
まぁこんな怪我では、出るもクソもないんだけど。
そんな感じで、私の中学部活動は幕を閉じたわけだ。
これは、丁度1年前の話であって、実際、今の私のやる気にも繋がる出来事となっている。
ここまで読んでくれた人は中々な物好きだと思うが、まぁ、感謝はしておきたい。
御静読、ありがとうございました。
※この話はしっかり全部ノンフィクション(本物)です。
「1年前」
1年前何してたかな。
今自分なりに頑張ってるから
昔のこと忘れた。
#1年前
今を想像するほど余裕がなかった。
夢中で、一生懸命だった。
手探りの毎日は、あの頃と似ていた。
いつかの交わした言葉を思い出す。
今いる居場所で向き合う日々に、
記憶は頼りないところがあるけれど
嬉しかったこと、助けられたこと
思い出せれば、少し、楽になるんだ。
「あのさ、」
「何?」
「・・・いや、何でもない。」
「?」
「元気でいてくれて、ありがとうな」
(´Д`)ハァ…
「見た目ほど、元気じゃないかも」
「え!?そうなの!?大丈夫??ごめん、気づかなくて..
「じゃあさ、悪いと思うんだったら...
(*﹏*;)
これからも、よろしくお願いします。」
子供のころの1年前は
遠い昔のようだったけど
大人になってからの1年前は
昨日のことのよう
1秒たりとも無駄にはできない
数いっこだけ増えただけ
なにも変わらずなにもせん
わたしむかしは一切忘れ
寄り添えんで添われもせん
ここらでひとつ
はじいてやろか、
言ってやるくち、また笑う
"1年前"
を、思いつつ、。
追記
「を」 を あの「も」 にはじこうか、どうしようか。
俺は冴えない大工だ。元々遅刻癖があったのに加えてある大失態を起こしたのが引き金となり、失業。子供もいなければ女房もいない。そのまま歳をとっていき、御年五十歳である。最近は老化が進んで目がぼやけ、段々物忘れも酷くなってきている。それでも何も手にない俺は一人で生きていくしかなかった。
今日もうるさい近所の子供の声で目を覚ます。気づけばもう児童の登校の時間のようだった。声が無くなったのを確認すると、俺は忍者のように素早く外に出て、家のポストを開ける。今朝までに投函されていたのは、たった一枚の新聞紙だけだった。その新聞紙を乱雑に取りだし、またコソコソと家の中に帰り、すぐに新聞紙をリビングの机に叩きつけ、眼鏡をかけて勢いよく椅子に座る。新聞紙を開く手は上手く動かず、開くのを躊躇っていた俺の目に飛び込んだのは、新聞紙の表紙を大きく飾った女児が事故に巻き込まれ亡くなった事故の記事だった。そこに記載されていた大まかな内容は下記の通りだ。
「一年前のある日、小さな街で交通事故が起きた。乗車前の飲酒のせいで居眠り運転をしていたトラックが歩道に突っ込んだのが原因で、小学三年生と見られる女児が亡くなったというとこものだ。事故が起きたのが昼頃という事もあり、目撃者は多く存在し、救急車・警察への通報、AEDを使用した心肺蘇生などが行われたが、女児は救急車が到着する五秒前に息を引き取った。彼女の近くにいた人達からは、「もう既に救急車のサイレンは間近で聞こえていた」という証言もとれている。
目撃者の数の多さと、幾つもの証言によって、犯人はすぐ警察によって捕らえられた。それを知った被害者家族は涙を零し、「あの子が可哀想で仕方ありません。無事に犯人が捕まって。それだけがあの子が私たちにくれた愛情の恩返しになるといいです。」と話した。
容疑者は五十代男性、職業大工の○本○康であり、警察の調書によると、飲酒運転を認めているとのこと。」
俺はそこで新聞を読む目を閉じた。そんなつもりは無かったのだ。まさか女児を撥ねてしまうなんて、歩道に突っ込んでしまうなんて思わなかった。あの日は上司に自分のミスを押し付けられ、仕事をすることに嫌気がさしていた。やけ酒をして昼寝をし、起きたら既に始業の時間になっていた。寝てたから大丈夫だと、軽い気持ちで仕事を始めた。それが仇となり、人をしかも女児を撥ねてしまった。頭が混乱して逃げたい気持ちでいっぱいだったが、葛藤の末俺は自首することにした。正確に言うと、茫然自失としていた俺を警察が捕まえた、という感じだ。それから俺は牢屋に入れられたが、面会に彼女の両親が立ち会いに来てくれた。彼らは俺を不起訴にする、と話したのだ。その代わり、年忌法要には娘の墓に顔を出して欲しい、と。俺は彼らの優しさに甘え、そして救われた。
あの時やけ酒をしていなければ。軽い気持ちで飲酒の後に仕事に行かなければ。こんなことにはならなかったのだと思う。でも今更後悔したってもう遅い。そんな事は分かりきっているはずなのに。最新の新聞に記載されたあの日の記事を見たら、あの日を思い出してしまった。
俺は新聞を閉じておもむろに椅子から立ち上がり、財布とスマホだけをズボンの両ポケットに突っ込んで、家の玄関の扉を開け、外に歩を進める。
あの事件が起きて、当たり前のことだが周囲の人間の俺を見る目は変わった。外に出るとコソコソとあからさまにこちらを見て話す隣人。子供を近づけまいと、そそくさと子供を家の中に入らせる近所の親たち。気付けば俺の身体は、外に出ることを拒むようになっていた。太陽を浴びるのすら怖くなって、カーテンは全て閉め、湿った部屋でひたすら布団にくるまるようにまでなった。
でも今日は、今日だけは絶対に外に出なければいけない。彼女の両親の約束を守る為にも。
俺は彼女のお墓の前に立ち、静かに両手を合わせる。今日は彼女の一周忌だ。俺はこれから先も、この約束を果たし、彼女と彼女の両親に償い続けていかなければならない。それが俺が犯してしまった罪の代償なのだ。
俺の人生の転機は間違いなくこの事件だったであろう。
そして俺は囚われている。
この"一年前"の事件に。
「一年前」
【1年前】
1年が経つのはあっという間
1日1日は長く感じるのに
自分は何か変わったかな
ちゃんと成長できた?
振り返ってみたら
あれができるようになったなとか
自分の頑張りを見つけることが出来る
その時は気づかなかったのに
自分の行動は間違ってない
1年後だけじゃなく
今でも自分を認めて褒めてあげよ
それができたらもっと自分を理解してあげられるかも
“1年前”
ちょうど1年前の今頃、私は一般的に言う宇宙人に会った。
多分誰も信じてはくれないだろうと思って、誰にも話してはいなかった。
彼は、私にかなり先の地球の話をしてくれた。
私たちが言う宇宙人とは、未来人の事らしい。人類が進化し彼らになったのだ。
時間も空間も、私たちのいる場所は、
あるときの流れの中の一つにすぎない。
終わってもまた繰り返されているというが、よく理解はできなかった。
彼はそこから来ている、いわゆる研究者の様だ。
よくわからないが、とにかく人類は滅亡はしないということだ。
地球は幾多の困難にさらされるが、どうにか人々は生き繋いでいく。
それだけで、何となく、この先の漠然とした不安は消えた。
彼は何も言わず消えた。
何をしに来ていたのか…私になぜそんな話をしていったのか…今どこにいるのか…。
それがちょうど1年前の話―。
以前、我が家には双子がおり一人は難病と障害を抱え生まれてきたと話した。
「1年前」私達家族は彼の将来について
大きな決断をする別れ道にいた…
「2人を引き離したくない」病弱な体では
あったが、小学校は一緒に地元を選択した
その後2年がたった…順調に育つ1人と
どんどん置いていかれる1人…
差は歴然となっていく…
「このままじゃダメだよね」悩んだ…
何とか追いついてほしい…何とかなるだろう…そこには大人たちの割り切れない思い
があった…
「今より先を見てあの子に合った場所で勉強させた方が絶対いいよ」
何度も何度も話し合って結論を出した…
新しい学校に見学に行き支援のプロと密に
相談した1年前…
彼は今春から転校し新しい環境にも慣れて
本来の自分のぺースで勉強している。
何より、支援の先生たちは彼をとても大切に思い育ててくれている…
彼はきっと良い大人になる…
今の私は未来を信じ彼を見守っている。