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俺は冴えない大工だ。元々遅刻癖があったのに加えてある大失態を起こしたのが引き金となり、失業。子供もいなければ女房もいない。そのまま歳をとっていき、御年五十歳である。最近は老化が進んで目がぼやけ、段々物忘れも酷くなってきている。それでも何も手にない俺は一人で生きていくしかなかった。
今日もうるさい近所の子供の声で目を覚ます。気づけばもう児童の登校の時間のようだった。声が無くなったのを確認すると、俺は忍者のように素早く外に出て、家のポストを開ける。今朝までに投函されていたのは、たった一枚の新聞紙だけだった。その新聞紙を乱雑に取りだし、またコソコソと家の中に帰り、すぐに新聞紙をリビングの机に叩きつけ、眼鏡をかけて勢いよく椅子に座る。新聞紙を開く手は上手く動かず、開くのを躊躇っていた俺の目に飛び込んだのは、新聞紙の表紙を大きく飾った女児が事故に巻き込まれ亡くなった事故の記事だった。そこに記載されていた大まかな内容は下記の通りだ。

「一年前のある日、小さな街で交通事故が起きた。乗車前の飲酒のせいで居眠り運転をしていたトラックが歩道に突っ込んだのが原因で、小学三年生と見られる女児が亡くなったというとこものだ。事故が起きたのが昼頃という事もあり、目撃者は多く存在し、救急車・警察への通報、AEDを使用した心肺蘇生などが行われたが、女児は救急車が到着する五秒前に息を引き取った。彼女の近くにいた人達からは、「もう既に救急車のサイレンは間近で聞こえていた」という証言もとれている。

目撃者の数の多さと、幾つもの証言によって、犯人はすぐ警察によって捕らえられた。それを知った被害者家族は涙を零し、「あの子が可哀想で仕方ありません。無事に犯人が捕まって。それだけがあの子が私たちにくれた愛情の恩返しになるといいです。」と話した。
容疑者は五十代男性、職業大工の○本○康であり、警察の調書によると、飲酒運転を認めているとのこと。」

俺はそこで新聞を読む目を閉じた。そんなつもりは無かったのだ。まさか女児を撥ねてしまうなんて、歩道に突っ込んでしまうなんて思わなかった。あの日は上司に自分のミスを押し付けられ、仕事をすることに嫌気がさしていた。やけ酒をして昼寝をし、起きたら既に始業の時間になっていた。寝てたから大丈夫だと、軽い気持ちで仕事を始めた。それが仇となり、人をしかも女児を撥ねてしまった。頭が混乱して逃げたい気持ちでいっぱいだったが、葛藤の末俺は自首することにした。正確に言うと、茫然自失としていた俺を警察が捕まえた、という感じだ。それから俺は牢屋に入れられたが、面会に彼女の両親が立ち会いに来てくれた。彼らは俺を不起訴にする、と話したのだ。その代わり、年忌法要には娘の墓に顔を出して欲しい、と。俺は彼らの優しさに甘え、そして救われた。
あの時やけ酒をしていなければ。軽い気持ちで飲酒の後に仕事に行かなければ。こんなことにはならなかったのだと思う。でも今更後悔したってもう遅い。そんな事は分かりきっているはずなのに。最新の新聞に記載されたあの日の記事を見たら、あの日を思い出してしまった。
俺は新聞を閉じておもむろに椅子から立ち上がり、財布とスマホだけをズボンの両ポケットに突っ込んで、家の玄関の扉を開け、外に歩を進める。

あの事件が起きて、当たり前のことだが周囲の人間の俺を見る目は変わった。外に出るとコソコソとあからさまにこちらを見て話す隣人。子供を近づけまいと、そそくさと子供を家の中に入らせる近所の親たち。気付けば俺の身体は、外に出ることを拒むようになっていた。太陽を浴びるのすら怖くなって、カーテンは全て閉め、湿った部屋でひたすら布団にくるまるようにまでなった。
でも今日は、今日だけは絶対に外に出なければいけない。彼女の両親の約束を守る為にも。
俺は彼女のお墓の前に立ち、静かに両手を合わせる。今日は彼女の一周忌だ。俺はこれから先も、この約束を果たし、彼女と彼女の両親に償い続けていかなければならない。それが俺が犯してしまった罪の代償なのだ。

俺の人生の転機は間違いなくこの事件だったであろう。

そして俺は囚われている。

この"一年前"の事件に。

「一年前」

6/16/2024, 8:50:33 PM