『鐘の音』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
鐘の音で浮かぶのがmetallicaのfor whom the bell tolls。
あのイントロのギターの音がかっこいい。
しかもソロが無いからギター初心者でも挑戦しやすい。
ギターを初めた頃、すぐに弾けるようになった。
その後ライブ映像を見た。
古い映像だけど、皆かっこいい。
そしてついにイントロ。
が、ここで驚く。
なんとそのイントロの音を出しているのはベース!
初めてベースでもこんな風に弾く人がいるんだと思った。
鐘の音。
鐘の音といえば、除夜の鐘。
108回鐘を鳴らすことで、人間の煩悩を消し去る。そんな感じだったと思う。
人間は煩悩まみれだと改めて思う。
表面上は素晴らしい人間でも、深く関わると自己中心的な人だと感じる人もいる。深く関わるうちに分かってくる。
自分がよくされないと怒る人もちょくちょく見かける。側から見るとすごく滑稽に見えるが、自分も周りからこう見えているのではないかと不安になる。
煩悩を消し去ることはなかなかできない。煩悩に支配されているときはとても苦しい。手に入れられるか分からないものを、手に入れると期待して見てしまう。
手に入れられなかった時の心へのダメージは大きい。勝手に期待して、勝手に傷つく。心のダメージを自家発電しているみたいだ。言葉にすると馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいからこそ、早くそこから抜け出したいのだが、これは相当難しいらしい。
恐らくどれだけ高尚な人間になろうと、人生はずっとこんな感じで進むんだろうと思う。煩悩を抹消はできないが、そこに依存しないようにしたいという気持ちが大切なんだろう。
村唯一の寺が鳴らす釣鐘の音は、春夏秋冬変わらず六時と十八時に鳴る。時報の名残りであるその鐘は三度だけ突かれるのだが、音は何度も村に鳴り響く。この村は四方を高い山々に囲まれているので、鐘の音は反響してボワワンと鈍く低く残るのだ。
私はそんな鐘の音を聴くのが好きだった。特に好きなのは、真冬の昏鐘だ。黄昏時をとっくに過ぎ、自分の手の平でさえ見えない真っ暗な夜。遥かに高く遠い空を見上げながら、低く響く鐘の音で、何度だってあの日に想いを馳せるのだ。
私には一つ歳下の幼馴染みが居る。この山間の村から海岸の街へと飛び出して行った、海に魅入られた男だ。
私と同じく山で生まれ育ったのに何故、とも思ったりしたが、何のことは無かった。高校生の時に彼が付き合っていた隣町の女の子。その子の趣味であったスキューバダイビングに感化されたのだ。その彼女とは一ヶ月と持たず別れていたが、海とスキューバとは十年経った今でも懇ろな間柄が続いている。
そんな幼馴染みに連れられて、私も海に潜った事がある。隣町や海岸の街の海などではない。同じ日本だが、ずっと遠くにある南の海だ。私の最初で最後の旅行先として、彼と行く唯一の旅行先として。山間の村からとびきり離れたその南の島を、私は自分の意志で選んだ。
二月でも殆ど冷たくない海に、私は彼に手を引かれて潜った。美しい世界だった。圧迫感のある緑しか知らなかった世界が、紺碧に塗り替えられていく。嬉しくて胸が熱くなって、ちょっとだけ彼の手を引っ張ったつもりだった。本当にちょっとだけだったのに、海の中では思いの外強かったらしい。私達は二人でクルリと回ったのだ。それがとても、とても楽しかった。
顔を見合せて、同時に吹き出して。そうしてめちゃくちゃに笑い合っていたその時。私は確かにその音を聞いた。
身体が振動する鈍く低い音と、遅れて気付いたその大きな影。彼に指さされて見下ろした海の底から、その大きな大きな鯨は悠々と泳いで来たのだ。
一瞬だった様にも、一時間だった様にも思えた。鯨はそれ以上私達に近付いて来なかったが、三度その鳴き声を響かせた。
あの時に私が抱いた感動と喜びを、きっと、彼だって真に理解していなかっただろう。今度こそ踊るつもりで手を引っ張った私に、彼は先程と同じぐらいの笑顔で応じてくれていたから。
釣鐘の音を鯨音とも呼ぶのだと、そう教えてくれたのは高校生の時の彼だった。隣町の、セミロングが良く似合う穏やかな女の子。その子と付き合い始めた彼が、学校からの帰り道に教えてくれた。
黄昏の中で響く鐘の音と彼の言葉を聴いてから、私はいつかきっと、彼と一緒に鯨の鳴き声を聴きたいと思っていた。山間の村で生涯を終える私にとって、海岸の街に行ってしまうだろう彼を思い出す縁になると思ったから。
山に響く釣鐘の音に、私は今日も彼と2人だけの海を見る。
一億の星の奏でる鐘の音 ハイボールの中で聴こえる
「鐘の音」
鐘の音というお題をいただき、この8月の暑い最中、大晦日の寺の鐘を思い出した。
寒い夜だ。
車もあまり走っていない。
その中を、遠くからゆっくりと鐘の音が聞こえた。
今は夏だ。
夜だけれど、外から色々な音が聞こえる。高速を走る車の音や犬の散歩の人の声。
昨日は、花火まで上がってた。
夏は賑やかでいいし、冬は静かでいい。
ただ、その違いに今日気づいた。
この街に鐘の音がひびくとき、きみは呼吸をひとつ、笑って。
No.6【鐘の音】
鐘の音
ゴーンゴーンと大晦日に、除夜の鐘がなると、鐘の音が心にずっしりと今年も一年終わる、新しい年の始まりだと響いてくる。
近年は、除夜の鐘の音を聞いてない気がする。コロナが流行ったころからかな。
母方の実家の隣が、教会だった。子供のころ、鐘の音を聞いていた気がする。
鐘の音のことを考えてると、昔を思い出してきた。小学生の時、お盆に、母方の実家で親戚たちとすごした。海岸が近かったので、夜、親戚たちと、浜辺にチョロチョロ蟹をとりに行った。小さい蟹が沢山いて、追っかけ回して、網でとる。沢山とれた。暗い夜に、ワクワク、楽しかったし、持って帰ったら、祖母がバター焼きにしてくれて、美味しかった。
しかし、私が、もっと、記憶に残って忘れられないこと、それは、チョロチョロ蟹を取った帰り道、沢山の流れ星をみた。ちょうど、お盆は、ペルセウス座流星群が沢山見れる時期。ただの、流れ星ではない。流れ星が流れる時、シューンシューンというような高い音がした。何回も何回も流れ星が流れて、流れる時、音がした。子供ながらに、流れ星って、音がするんだ、キレイで、高いキレイな音も聞こえて、迫力もあるなぁと思った。
大人になって、流れ星は、音はしないとわかった。
無音で、夜空を流れる流れ星しか見ない。
子供の時、あの日見た、音のする流れ星は、いったい何だったのか?💫
今でも思い出して、不思議に思う。
鐘の音がする。
今年がしぬんだ。
追悼のお蕎麦を食べながら、更にこんな時間にお餅までつついてしまう悪い子の私にも、明日はやってくる。
そこにもう「今年」はいないけれど。
欠伸を噛んで、知らない芸人がカウントダウンしているTVを消して、炬燵に肩まで潜り込んだ。
歯磨きしてないし、電気つけっぱなしだし、食べたばっかりだし、そのお皿は出しっぱなしだ。
でもなんだか、なんだか。
今年の死に際をゆったり迎えたくて。
なんだかんだありましたが、お前はいいやつだったよ。
微睡みの真ん中でそんなことを思ったりして。
今年最後の自分は詩人のようだと少し笑った。
さようなら、バイバイ。
鐘が鳴ると、つい
「なんの鐘だろう」
「どんな意味だろう」
「きっと何かの合図だ」
と思ってしまうけど、
人間が意味もなく叫びたくなる時があるように、
鐘だって無意味に鳴ってみたい時があるかもしれないよね
だから、無意味な鐘の音があってもいいと思うんだ
【お題:鐘の音】
─── 鐘の音 ───
この街で生まれ住んでいる僕達には
特別でも何でもない
街の真ん中にある大きくて真っ白な大聖堂
そこにある鐘を観光客は皆口を揃えて褒める
ただの鐘なのにね
なんなら少しうるさいくらいだ
鐘には一応歴史があって
何百年も前に当時の国王が
愛する王妃に贈った品だとか
そんな昔の鐘が今でも現役なのは
すごい事なんだろうな
普段の手入れの賜物だろうが
街の人々は自分達の生活で忙しい
意識しないと手入れの事なんて頭にないだろう
だって鐘は僕達の生活の一部なのだから
それが無くなるだなんて考えた事もなかった
鐘とチャイムと鈴の違いを言語化出来ないので今日のテーマは諦めようかと思った。
チャイムが鐘のような音がする楽器なのはわかる。
なんなら演奏したこともある。
ただ文章を読むとどれを指し示しているのか曖昧なものも多い気がする。
以前住んでいた町は夕方5時のチャイムがJohn LennonのImagineをピアノで演奏したもので、
とても気に入っていた。
が、これはもうチャイムでも鐘でもない。
でも夕方5時のピアノとは言わない気がする。
夕方5時のチャイムのほうが私はしっくりくる。
しかしチャイムがピアノなのである。
そして今日のテーマは鐘なのでチャイムではない。
私はなにがなんだかわからなくなった。
鐘の音、周りに響く
闇の中に消えて亡くなりたい夜
朝になったらきれいな空に消えてなくなりたい
嗚呼、つらい日々、早く終わればいいのに
(本当)
2024年8月5日23:09
彼との結婚式は、教会で行った。お互いに晴れ着を纏い、二人を祝福する鐘の音が鳴り響く。お互いに永遠の愛を誓うために、私たちは並んで神父の前まで歩いた。
「あなたたちは、いついかなるときも、お互いに愛し合うことを誓いますか?」
「誓います!」
神父の問いに対して、二人の声が重なった。たくさんの人たちが私たちを祝福し、私も大好きな彼と結ばれる日が来てとても幸せな気分だ。
「それでは、誓いのキスを」
その言葉を聞いた後、彼が私のベールを上げた。お互いに見つめ合い、ドキドキしながらもゆっくりと唇を重ねた。
テーマ「鐘の音」
次の日に一本の電話で私は起きた。
朝頃だった。
寝ぼけていた頭も、あの彼氏のお母さんの一言で冷めてしまった。
「電車の脱線事故で彼氏が亡くなってしまった。」との事を聞いてしまってからね。
「脱線事故…!?!?」
「そうなの、あの子が最後に会っていたのが雪奈ちゃんなの。私達知っていたから、出来るだけ早く伝えないとって思ってね…。」
私は思わず、その場に膝から崩れ落ちてしまった。
「…ごめんなさい…、私がもっと注意を払っていれば…こんな事にはならなかったのかも知れないのに……。」
後日、彼氏の両親に会った時に私は謝り続けた。
「そんなに謝らないで、雪奈ちゃん。貴方だけの責任じゃ無いわ。私達にも責任はあるの。」
「だから、ほら、顔を上げなさい。大丈夫。そんなに自分を責めないでくれ。」
彼氏の両親の温かさが唯一の、私の救いだった。
だけど私はその日から、私は生きているという心地がしなかった。
これは夢なんじゃないかって、毎日のように思い込んでいた。
きっと、また彼氏からメールが届くだろう、電話もきっと出てくれるだろうとずっと信じていた。
今日という日の喜びを祝福して、鐘を鳴らそう。
離れ離れになっていた、ジョバンニとカムパネルラが再会できたこの良き日に。
再会出来た二人は、これから、
離れ離れの間にそれぞれが見つけた「ほんとうのさいわい」について語り合うのだろう。
何と心温まる光景だろうか。
ここで私の文章を読んでいる皆様は「銀河鉄道の夜」を読んだことがあるだろうか。
私は中学生の時に読んだのだが、ラストの一文がどうも腑に落ちなかった。
あれほど二人で「ほんとうのさいわい」を見つけようと言い合っていたのに、何故ジョバンニはカムパネルラを諦めてしまうのかと。
幼心なりに友情とは…と、ある種虚無のような感情を抱いたのを覚えている。
その後、大人になってから漫画版の銀河鉄道の夜を読む機会に恵まれた。
子供向けに編纂されたその本を読み、
当時の自分の浅はかさを思い知った。
「ほんとうのさいわい」を見つける為には、
今できることを精一杯に行うこと。
当時の私が腑に落ちなかったラストは、ジョバンニが今の自分にできることを選択し、実行するところで物語が終わっていく。
ジョバンニは「ほんとうのさいわい」の為に動いていたのだ。
カムパネルラと交わした「ほんとうのさいわい」を見つける為に──。
もう出会えないと思っていた二人は再会し、笑顔を浮かべている。
もう、その手を離してはいけない。
今度こそ二人で「ほんとうのさいわい」を見つけてほしい。
祝福の鐘を鳴らそう。
二人の「再会」に。
祝福の鐘を鳴らそう。
二人の「さいわい」が永遠に続くように。
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鐘の音
ライオンズゲートが開かれている今。
願いは叶うのだと、宇宙も歌っている。
「鐘の音」#16
ごおん、と鐘の音が鳴る。
明日から愛しい君との生活が始まる。
君の苗字が僕の苗字に変わっているのを見るとどこか嬉しくなる。
そんな僕らの幸せを祝うように、遠く、また遠くまで聞こえる音量で鐘を3回響きわたらせた。
この鐘の音は幸せの音だ。
「鐘のおと、か、鐘のね」
『おと』だとお寺の鐘の音。(他の人は『除夜の鐘』って言っているけど、それって何?)
『ね』だと教会の鐘の音。
いつの間にか、そう連想してしまっている私に苦笑いが漏れる。
その概念は、どうすれば崩せる?
お寺の鐘が鳴った。思考が鐘の音に侵食される。
鐘が鳴ると、静寂が訪れるように感じてしまうのはなぜかしら。
お題 鐘の音
------------------ 鐘の音 -----------✎
鳴ったら何処へ 行けばいい?
おうちに帰れば いいかしら
それが嫌だと言ったなら?
貴方はどんな顔するかしら
自由が怖い?
怖いけど飛びたい?
飛んで飛んでずうっと飛んで
そうねそしたら
最期は烏に なりたいわ
十二時の鐘と同時にきっと私は消える。
そう言った彼女の儚げな笑顔に、
どこかの童話みだいだ、と思った。
どうして、どうしてそんなことが分かるというの。
彼女の心臓の音が伝わってくる。
彼女はこうして今も生きていて、
それが一生続けばいいのにとか思ってしまった。
確かに未来に保証なんてないから、
今を大切に噛みしめた。
…ああ、これで何人目だ。
どうしてどうして。
僕と関わった人は皆この世界から消えていく。
彼女は違うと思ったのに。
美しい鐘の音と引き換えに
気づけば僕はまたひとりになった。
─鐘の音─ #24
俺の兄は
いつも暇と言うくせに
課題を提出期限ギリギリに終わらせたり
家に帰ったらすぐにアホ面になって
弾けもしない俺のギターを持ちながら、大声で失恋ソングを歌うくらい定型的ななバカだ
だけど今は、隣にとても綺麗な女性と鐘の音が鳴ると同時に足を進ませている
めでたいなぁ…
あかんわ…涙出てきてしもた…