『遠くの街へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
遠い街に行きたい
ここでは無い
遠くの街へ
知らない店や伝統があるのだろうか…
分からない街に行くのは人生で例えたら
1歩目なのかもしれない
色で例えたら、初めの色なのかもしれない
楽しい時間があるのだろう
夜は、夜空に浮かぶ星がとても輝いてるのだろう
1度でもいい
遠い街へ行って綺麗な夜空を見てみたい
言葉
文化
気候
匂い
色んなものが
違う。
わたしの
知ってる世界
なんて
ほんとに
ちっぽけで。
たとえ
その中で
上手く
行かなくたって
他にも
生きていける
場所は
たくさん
あるんだ。
わたしの世界の
小ささと
世界の
大きさを
知る
旅に
出掛けよう。
#遠くの街へ
誰も僕のことを知らない、遠くの街へふと行きたくなることがある。
程よく田舎で、だけど面白いお店がいっぱいあって。観光名所なんかではない、そんな平和な街。
1人でふらっと遊びに行って、なにをするでもなくなにも考えずに街をぶらついて。
お金も時間も、勇気もないから、行かないんだけれど。
「遠くに引っ越すの。」
ふざけて嘘をついた。
たまに話すくらいの友達だったけど、泣いてくれた。
それが嬉しくて、
幼かった私は何度も同じことを繰り返した。
5年後―
「誰も私を知らない所へ行くの。」
今度は嘘じゃなかった。
あなたは応援してくれていたけど、
きっと心の中では泣いてた。
もう泣かせたくないって思った。
あなたが大事なんだって気づいた瞬間だったな。
─────遠くの街へ
わたしと一緒に、遠くの街へ行こう。
その街は果てしなく広くて、
時間じゃない次元なんだって。
追われることもないし、追うこともない。
ふたりだけの、秘密の街へ。
大切な人に大切にされたい。
大切な人に「ここにいていいよ」って言ってもらいたい。
そのためなら、なんだってしてみせる。
歌を詠む
心の羽伸べる
恍惚は
遠くの街へ
行く如くなり
〈遠くの街へ〉
拝啓 今日もこちらは晴れすぎて暑苦しいです。そちらは寒いのかしら。
そちらはとても楽しそうですね。
そちらからこちらはどう見えているのでしょうか。
最近、金髪ブロンドの彼女と仲がよろしいようですね。
彼女、バレエを嗜めるくらい経済力があってスタイル抜群で容姿端麗、おまけに聡明で美的センスも素晴らしい方。
だから貴方なんかじゃ釣り合いません。私みたいな黒髪肌荒れOLの方がお似合いです。
ところで貴方は、交際して結婚も視野に考えている大切な人が突然何の連絡もよこさずに行方をくらまして、調べたら西洋に飛んで自分とは程遠い金髪の美丈夫と仲睦まじく…なんてことを知ったらどう思いますか?どうも思わないでしょうね。貴方のことだから。
遠くの街へ飛び立った貴方をどうこうする気も起きません。無駄に背伸びをして金髪ブロンド美女と一緒になる貴方になんて未練もないし魅力も感じません。むしろ、貴方と結婚を少しでも考えた私が愚かでした。
せめて、のうのうとこちらへ帰って来ずそのままそちら特有の寒さで凍りついて死んでください。芯まで腐った骨は今もベッドにいるであろう私より何もかも相性の良い彼女にでも拾ってもらってください。
敬具
遠い街にいこう
この空間から抜け出そう
辛い空間から
私が手を貸す
さぁ掴んで
遠くの街へ
ここから逃げて
遠くに行って
悩みと離れて
安心できる場所に行って
この辛さの原因から
逃げられたらいいのに
遠くの街へ
長く暮らしてるこの街は、夏場は暑くて遠くの街へ引っ越そうか‥と家族とよく話してました。
冬になりその話しはなくなりました。寒くて引っ越そうかとはなりません。そこそこの寒さなので。初老の夫婦もなんとか暮らせるからです。
また今年の夏が猛暑だったら、
遠くの街へ引っ越そうとなるかも‥。
でも結局この街で暮らすでしょう。わたし愛着があるんです、この街に。
遠くの街へ行こう。
遥か彼方、見知らぬ地へ。
背負った荷物は置いていこう。
この先はもう、必要ないから。
さようなら。
わたしを愛してくれた人、最後まで憎んだ人。
明日からは、新しいわたしになる。
トランペットを肩に背負って、旅に出よう。
ワンピースは白がいい。
ピンクのショルダーバッグを手に持って、
グレーのキャップを深く深く被って。
批判の目が怖い?そんなもの知らない。
遠い遠い街へ出掛ければ、
遠い遠い夢を叶えることができるのだから。
いざ、舞台へ。
僕は旅をしているんだ
自然の中を1人ではしゃいだり
現地の人とたくさん話したり
そんな妄想を目を閉じてしているんだ
遠くの街へ出かけよう。
同じ毎日を過ごす日々。
人との関わり。
仕事に勉強。
全部がきっと「私」を叶える道標。
それでも毎日がいい日なんてことなくて。
辛い一日だってある。
なんならそれが続くことだって。
そしたら遠くの街へ出かけよう。
ほんとに行けなくたっていい。
私たちの想像はいつまでも、どこまでも、自由なのだから。
〈遠くの街へ〉
【遠くの街へ】
数年前のこと。
早朝耳元で携帯が鳴った。
人は睡眠を阻害されるとストレスを感じるようである。
こんな時間に電話をかけてくるとは不届きな野郎だと、迷惑電話に苛立ちを抱えて画面を見ると父からであった。
私の父方の祖母が亡くなった。
祖母は東北に住んでおり、私の記憶にはほとんど面影を残していない。
私たちは東北へ向かうこととなった。
金がないので新幹線や飛行機は使えず、車で早朝から夜遅くにようやく着く次第であった。
いつぞやぶりに会う親戚たちは、ほぼ初対面も同様であるが、私の巧みなコミュニケーション能力で何とか乗りきることができたのである。
祖母との思い出があまりない私は、少々申し訳ない気持ちとなった。
けれど、最後をおくることに意味があるとすれば、私はこの場にいるだけでも良いのかなと思ってもいるのだ。
祖母がいるから今の私がいるのである。
根本的な存在意義に立ち返った私は居心地の悪さにさよならをし、平静を取り戻した。
こんな何百キロも離れた地でも、数多の人が生活をしている。
現実味がなく、私たちが来たから急遽この世界ができたのではないかとラッセルの世界五分前仮説のような思考を巡らせる。
日頃過ごす街並みと趣の異なる景色は、違和感のある特異感を引き寄せている。
知らず知らず定型化した私の頭の中の街は、その土地特有のルールにより歪な形を見せる現実の街を受け入るのが困難でもある。
2日ほどしかいることはなかったが、まだ見ぬ地に足を踏み入れることの面白さも痛感するのである。
見かけたことのない品物や店。
一風変わった道路や建物たち。
岩を殴り付けるような波と、変わらず生き続ける私。
祖母の死がきっかけではあったが、祖母が存在していたこの土地は、祖母や私の親戚にとって何ものにも代えがたい故郷であるのだ。
次にあの街へ行くのは何時だろうか。
できれば良い報を迎えられれば、また違った喜びの街を望むことができるであろう。
そして私たちは帰路に着き、再び日常を繰り返すのである。
遠くの街へ
(本稿を下書きとして保管)
2024.2.28 藍
イヤなこと全部投げ出して、知っている人が誰もいない遠くの街へ行って、新しい自分になれたらいいのに
…なんて思っても、実行する勇気はないんだ
結局この場所でショボくれたまんま生きていくしかないんだよね
それが自分の人生だから
遠くの街へ行きたい
自分のことを何も知らない、自分も何も知らない
そんな遠くの街へ行きたい
遠くの街で生活がしたい、静かに、のんびりと暮らしたい。
何も考えず、何も欲せず、ただただ毎日のんびりと。
春に桜を見て、夏にひぐらしの声を聞き、秋の夜長に故郷に思いを馳せ、冬は1年を振り返りながら炬燵でみかんを頬張る
そんな暮らしがしたい
その理想の為にも、遠くの街へ行きたい
遠くの街…僕の理想とする遠くの街…
理想の中の街だから、遠くの街
遠い街に
君に会いに行こう
10年前のように
一緒に遊ぼう
公園に行って
駄菓子屋に行って
海を一緒に見よう
そう思って足を動かした
お題『遠くの街へ』
遠くの街へ……これまでに訪れたことのある、いちばん遠い街を思い出してみる。
伊勢だ。伊勢神宮。街じゃないけどまあ良い。
当時の私はまだ就学前の年齢だったが、伊勢の記憶は鮮やかに残っている部分が多い。最も鮮明で、かつ大好きな記憶は、五十鈴川である。
だいたい私は、たいていの場所の水が怖かった。長じてみると、何故「怖い」と感じていたのかは解るようになったが、幼児のときは、“理由はわからないけどここの水は怖い”ところがほとんどだったから、五十鈴川の「まったく怖くない、あかるく澄みきった水の流れ」には本当に嬉しい新しさを感じたのだ。しかも当時、五十鈴川には錦鯉が放されていて、私は五十鈴川の縁にしゃがみ、水の中を飽きずにのぞき込んでいた…ら、母が何か叫びながらこちらへ走ってきて、あっという間に私の襟首を掴んで川から離してしまった。
私はとても残念な気持ちだったが、今考えると当然だった。常識的に、幼児の体格で川に落ちれば危ないと判断する。…今もって五十鈴川でそんな危険があるとは思えないというのが私自身の本音だけれども…でも、そんな私も自分の子どもが同じことをしていたら、母と同じようにするだろう。
友人が昨年の夏に伊勢詣りに行ってきた。今の五十鈴川には錦鯉は居ないと言っていた。