『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰かのためになっている
そう言い聞かせると
自分に自信を持てる
今日も自分のことを必要としている人がいると…
『誰かのためになるならば』
これを見てるあなたへ。
今日も1日乗り切ったね。お疲れ様!
明日休みならゆっくり休んでね?
そうじゃないのなら一緒にまた明日を乗り切ろう!
こういう形でも巡り会えたこと本当に嬉しいんだよ。
少しでもあなたの寂しさや疲れが癒えればいいな…。
誰かのためになるならば
まずは自分を満たしてからではないと。たとえば…
トイレをギリギリまで我慢して1分1秒を争うような時に
お先にどうぞとは言えない。
気圧で頭痛が酷い時の痛み止めが最後の1錠だったとしらたら人にはあげれない。
余裕を持って過ごしたいのでバタバタしないように心がけている。
それはきっと誰かのためになる。
「誰かの為に生きなくたっていいんだよ、
自分の為に生きても良いんだよ」
そう言ってくれる人がいるだろうか。
私は、言えるのだろうか。
あなたは、言えるのだろうか。
誰かのためになるならば
突如誰かのために勝負することになった岐阜と富山。
岐阜「僕は誰かのためになるなら、全力で戦うよ!」
富山「俺も誰かのためになるならば、手加減しないぞ」
バトルスタート!
岐阜「いくよ!鵜飼バスター!」
富山「ぐあっ!」富山、負傷
富山「反魂丹!これで全回復を…」富山、体力半分回復
富山「なっ…なぜ全回復しない!?」
岐阜「富山の薬にはいつも世話になってるから」
富山「まさか…」
岐阜「この鮎は食品サンプルだよ」
富山「くっ…読まれたか…ならば、これをくらえ!」
岐阜「これは…!」
富山「黒部ダム!放水!」
岐阜「うわっ!」岐阜、負傷
岐阜「なかなかやるね…発動!ギフト!」
無数の刃物が富山を襲う。しかし…
シュン!
岐阜「消えた!?」
富山「蜃気楼だ。今度はこれだ!氷河ブレード!」
岐阜「ぐあっ!」岐阜、さらに負傷
富山「とどめだ!ブラックスパイラル!」
ブラックスープが岐阜を襲う。しかし…
バシュン!
富山「なっ、ブラックスープが消えた!?」
岐阜「発動!金の信長!」
富山「まさか…それを発動するとは…」
岐阜「鉄砲隊!いけー!」
バババババ!
富山「ぐあー!」富山、戦闘不能。岐阜の勝ち
岐阜「富山、とてもいいバトルだったよ」
富山「お前もとてもいい戦いだったぞ」
こうして、岐阜と富山はお互いを認めあったのでした。
そこに見返りを求めない
そんな人間になりたい
#誰かのためになるならば
29日目
従兄弟のために蝶を捕まえよう
姪っ子のために花を手折ろう
彼のために魚を捌こう
彼女のためにアイツを刺そう
誰かのために僕は死のう
生きたいと願う誰かのために
誰かのためになるならば。
仕事を一生懸命にする。
役に立ってる実感はないけれど。
きっと役に立ってるのだと。
自分に言い聞かせながら。
“次に使う人”のことを考える
「ためになる」とはちょっと違うかもだけど、
見えない誰かにも気持ちよく使ってもらいたいし、
巡りめぐって、私もそうしたいから。
日々のちょっとした心がけ。
115:誰かのためになるならば
いるだけでいい。
笑うだけでいい
そこにいるだけで
尊い。
それだけできっと誰かの
支えになっているはず、
誰かの
ためになっているはず、
素晴らしいね!
「誰かのためになるならば」
誰かのためになるならば
そんな誰かを想い続けたい
苦しい日々も辛い日々も
きっと涙する日もあったよね
私の想いが誰かの苦しみを
和らげる事ができるならば
そんな誰かを抱きしめたい
誰かのためになるならば
自分を愛し許したい
苦しい日々も辛い日々も
1人で涙する日々も…
大切な人の想いで
救われているから
そんな大切な人の想いごと
私は私を抱きしめたい
(いやぁ、微妙だわ。あかん。)
誰かのためになるならばと思ってやると
大体、誰の為にもなってなくて
虚しくなる
誰かのためになるならば自分を犠牲にできる人に憧れる。
その優しさも強さも私にはないから。私は臆病で卑怯で「誰か」はおろか「あの人」のためになることもできない。
だから誰かのために何かをできる人を美しくて格好いいと思う。そうなりたいと強く思う。
それなのに、あの人が誰かのために自分を犠牲にした時だけは美しいとか格好いいとか、そうなりたいとか思えなかった。
『誰かのためになるならば、自分を犠牲にしてでも護るよ』
いつかの昔。
かつてヒーローだった頃、かつての仲間に向けて言った言葉。
そのときの、仲間のかおが、声が、言葉が、思い出せない。
護るべきものが、確かにあったころ。
結局、その護るべきだった人たちは護れなかったけれど。
未だにそのときのことがフラッシュバックして、後悔と未練で焼き尽くされそうになる。
でも、乗り越えないと。未練を捨てないと。
そう思いながら、日々胸の奥の痛みと闘っている。
「護るべきもの…か」
微かにひぐらしののなく声が聞こえてくる田舎。
予定の空いていたメンバー数人であるところの旅館に泊まっていた。
一足先に風呂から上がった僕は、丸い月のような窓枠に腰掛けて思いに耽っていた。
「透?」
誰かが入ってきた音に気付かなくて、うわあっ、と声を上げて窓枠から転げ落ちてしまった。
「わあ、大丈夫ですか?」と、彼から手を差し伸べられたから、その手をとった。
ふわりと広がった黒い癖っ毛は、濡れたまま緩く結われている。
その姿が、そういう意味ではないけど妙に艶っぽい。
「物思いに耽るなんて珍しいじゃないですか。なんかありました?」
そう言うと、彼は二人分の酎ハイ缶の一つを差し出した。
「吞まないんですか?…なら俺が飲んじゃおっかなあ?」
そう言われたので、僕は目の前の缶を取ってプルタブを開けて一口飲んだ。
勢いで吞んだからか、喉が灼ける感じがした。
「あは、結局飲むんじゃないですか。じゃあ俺も飲も」
彼はカシュッと音をさせて缶を開け、こくこくと喉を上下させて飲んでいた。
「それで?話を聞かせてくださいよ。護るべきものとやらの話」
酔いやすい性質なのか、既に少し頬を紅潮させた彼は、いつもよりも高いトーンでそう言った。
10年ほど前に、我が家の真ん前の家に
1人暮らしのおばあちゃんがいた。
おばあちゃんは、とても繊細で
朝から晩まで血圧計を片手に一喜一憂
してはご近所さんに助けを求めていた
体調と言うのは個人差が大きいので
おばあちゃんの言い分も間違っては
いないのだけれど、「それで病院行く?」
くらいな勢いで私にも電話を掛けてきた
ふと時間を見ると夜中の12時前だったり
深夜、病院のロビーで待機なんて言う事も
あった…
周りから「あなたはやり過ぎよ」と
逆に呆れられたりもしたけれど
「誰かのためになるならば」と自分自身を
納得させながらお世話をした
けれど、人様に情をほどこす事で
我が身でなくとも、自分の大切な人たちに形を変えてかえってくる…
そんな経験も沢山した
だから、結局は「誰かのために…」は
巡り巡って我が身にかえってくる
これは、多分悪い事をしても一緒なんだと
いつも自分に言い聞かせながら生きている…
誰かのために生きることを全うした
父の人生白い槿よ
♯誰かのためになるのなら
誰かのためになるならば。この言葉、よく昔は唱えてたな。誰かのために頑張ろう。誰かのためになるならこれで良かった。誰かのためにって言ってる自分偉い、かっこいいって思ってた。笑。でも、その誰かは、実際なにも思ってないし、忘れてるし。笑。だから結論、私の場合は誰かのために行う行動は意味ないというか、自己肯定感下がりまくっていた。この数年自問自答する経験(会社退職、仕事の向き合い方、友だちとの距離の取り方、自分の取説)をすることで自分のためにやることが一番大事だと思った。その過程で誰かのためになってたらいいなくらいがちょうどいいなと思った。だからこれからの人生自分のためにたくさんいろいろなことに挑戦したいと思う!!
チャレンジ6(誰かのためになるならば)
高校生の頃、街で募金箱を見かけると必ず、小銭を入れていた。誰かのためになるならばと願っていた。困っている人に手を差し伸べたい。自分は救援に行けないけれど、何か協力したい。
募金することは、見知らぬ人と自分をつなぐ。不謹慎な例えだが、自分が小説の登場人物になったかのような、甘い陶酔があった。誰かと関わる自分、心のつながり。わずかな募金額で、つながりの実感を手に入れようとしていた。この安易な発想は、歳を重ねた今もあまり変わっていない。
誰かのためになるならば、ひと肌脱ぐ気持ちはある。ただ、覚悟を決めて行動しないと、単なる親切の押しつけになりかねない。相手が必要としない手助けは、迷惑以外の何物でもない。本当に相手を思い、必要なタイミングで、さりげなく手を差しのべる人間になりたい。
ところが、理想と現実は違うようだ。
私は、あれこれと見当違いな行動をしては、周囲に迷惑がられている。思いやりのある人間になるのは、とても難しい。人間力のある人がうらやましい。
誰かのためになるならば
なんて思わない
君のため自分のため
だけに動きたい
たとえ君がそれを望まなくても
いつまでも君のために
これからの暑さこれからの猛暑これからの夏場が終わる日が見えてこない💦