チャレンジ6(誰かのためになるならば)
高校生の頃、街で募金箱を見かけると必ず、小銭を入れていた。誰かのためになるならばと願っていた。困っている人に手を差し伸べたい。自分は救援に行けないけれど、何か協力したい。
募金することは、見知らぬ人と自分をつなぐ。不謹慎な例えだが、自分が小説の登場人物になったかのような、甘い陶酔があった。誰かと関わる自分、心のつながり。わずかな募金額で、つながりの実感を手に入れようとしていた。この安易な発想は、歳を重ねた今もあまり変わっていない。
誰かのためになるならば、ひと肌脱ぐ気持ちはある。ただ、覚悟を決めて行動しないと、単なる親切の押しつけになりかねない。相手が必要としない手助けは、迷惑以外の何物でもない。本当に相手を思い、必要なタイミングで、さりげなく手を差しのべる人間になりたい。
ところが、理想と現実は違うようだ。
私は、あれこれと見当違いな行動をしては、周囲に迷惑がられている。思いやりのある人間になるのは、とても難しい。人間力のある人がうらやましい。
7/26/2024, 10:35:55 AM