『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「誰か、そのひとのためになるならって、やった行動で自分が傷ついた事例なら複数個あるわ」
今日も今日とて手強いお題がやってきた。某所在住物書きはガリガリ頭をかき、どう物語を組むべきか、相変わらず途方に暮れている。
「何年も昔のハナシだけど、一番困ったのがコレよ。『こういうハナシが読みたいのか』って、コメントそのままの物語書いたら、コメントよこした本人から『それ私地雷です』って。……あのさぁ」
意外と、『そのひとのためになるなら』って行動を何もしないのが、そのひとのためになる説。
物書きは昔を想起し、うつむいて床を見た。
――――――
職場の後輩に、アパートの自室で使っていた私の焙じ茶製造器……茶香炉をせがまれた。
「私にとっては、結構、大事な思い出なの」
後輩は言う。無償譲渡が不満であれば買い取る、とまで提案してきた。
フリマアプリにネットショップ、専門店、100均の代用品等々、自分の好みに合致するデザインなら、いくらでも探せるものを。
それでも、後輩は「その」茶香炉が欲しいという。
茶葉から淹れて茶を飲む習慣の無い後輩に、茶葉を消費して香るそれは、無用の長物のように感じた。
きっかけは職場だった。
『先輩、焙じ茶製造器まで処分しちゃうの?!』
室内の余分な家具だの小物だのを、理由あって、整理し片付けている最中だった。
『他人に売っちゃうくらいなら私欲しい、なんなら私買ってもいい』
今日も、仕事の帰りに小物を売り払おうと、小箱3個を職場に持ち込んでいた。
その中に茶香炉が含まれていて、後輩に見つかり、「処分しちゃうの」、に繋がったワケだ。
茶香炉は、プチプライスショップ等のアロマポットでも代用可能な香炉で、オイルの代わりに茶葉を熱し、その過程で焙じ茶の茶葉と香りを作り出す。
緑茶、紅茶、ハーブティー。遊びで山椒の葉をブチ込んだこともあった。
たまに私の部屋に来る後輩は、この香炉の香りがひとつの癒しになっていたという。
「記憶が間違ってなかったら、直近だと多分6月25日とか、5月10日とか」
後輩は具体例を挙げた。
「私が精神的にバチクソ疲れて、先輩の部屋に厄介になったとき、先輩、部屋で焚いてくれたじゃん。
先輩には小さい気遣いだったかもしれないけど、私、その気遣いがメッチャ嬉しかったの」
だから、処分しちゃうくらいなら、欲しいなって。
相当思い入れがあったらしく、後輩は私がイエスともノーとも言わないうちに、茶香炉を大事そうに、両手で包み抱えて、自分の机に置いてしまった。
「茶香炉には、茶葉が必要だ。お前わざわざ茶香炉用に、淹れる習慣の無い茶葉を買うつもりか」
「買うもん。淹れるもん」
「淹れた後の片付けが面倒だぞ」
「お茶出しパック使うもん」
「あのな」
「お願い。処分しないで」
「……」
お願い。
後輩は再度呟き、私を見て、香炉を遠ざけた。
こうなったら後輩は譲らない。テコでも動かない。キャンドルと茶葉の出費も、黒いスス取りの手間も、後輩には何の説得効果も無い。
「私の負けだ。認めよう。参った」
茶香炉を自室に留めておくことで、誰かの、後輩のためになるなら、無理に手放す必要も無いだろう。
「それは処分しない。香りが欲しくなったら、これまでどおり、私の部屋に来ればいい」
ため息ひとつ吐いて茶香炉を取り上げると、後輩は安心したような、嬉しそうな笑顔で、私を見た。
〜誰かのためになるならば〜
誰かのためになるならば…
あいにく私にはそんな感情持ち合わせていない。
そもそも現代においてこういった感情を持ち合わせている人はいないと言い切ってしまえるほどではないだろうか?
もし「誰かのためになるならば」と何か行動を起こすとすれば、それは大なり小なり損得勘定がついてくる。
例えば、仕事上で自分のイメージを良くしたい、給料UPや出世するためなど…
「誰かのため」とは言い変えれば「自分のため」なのだ。
しかし、それとは別の特別枠は存在する。
こう言った思想が乏しい私の脳をフル回転させて思い返してみるといくつか特別枠が存在した。
それは家族、幼少期(私の場合、小学校)から繋がる友人、ペットだ。これらの存在はその時の感情がマイナスでない限り、「〇〇のため」の〇〇に当てはまる。
私にとって特別枠は「与えられ与え返す」存在だ。損得勘定がある上でそれを上回る深い結びつきを持つもの。
何かあれば力を貸したいと純粋に思えるのはナゼかを考えてみると、それは相手が与えてくれる時に限りなく純粋に見返りや疾しい気持ちが無いことが分かるからなのかもしれない。
つまり与えてくれた相手も純粋だから私もそれに応えるように純粋に与え返すということだ。
「無償の愛」とは異なるがそれに限りなく近い。
そう思うと純粋であればあるほど無償の愛は生まれやすいのかもしれない。
普段は考えない「誰かのためになるならば」
改めて自分の思考を知る機会を与えてくれたこのお題が正に「誰かのためになる」存在である。
誰かのためになるならば。
そんな素晴らしい事、私には出来ない。
自分が生きていくだけで、必死だから。
生きているだけで、誰かのためになる。
常日頃、そんな実感もない。
誰かのためになるならば、
何か行動に移せる人になりたい。
#誰かのためになるならば
私はこの街のヒーロー
誰かのためになるなら進んで自分の身を削る
助けを求める人がいるなら覆面付けて今日も世界平和。
でもできれば誰かに知ってほしい、自分がこの街を守ってるヒーローだって。
テレビやネットで素顔を出してチヤホヤしてほしい、できればもっと感謝してほしい。
結局自分が一番かわいい、私はそんな街のヒーロー。
誰かのためになるのなら、できる限りのことをしたい。
それは果たして、誰かのためなのだろうか。
美徳として語られるこの文言は、良かれと思ってやったことが牙を剥く時があるので全て信用はできない。
結局は誰かのためではなくて、自分のためなのだ。
【誰かのためになるならば】
「身を削るほどの奉仕は美徳だから」
と、信じていたのはいつの頃からだっただろうか。
川に流された子を命と引き換えに助けた親の話。
怪我した恋人を寝ずに看病した女性の話。
あれは良い事ですと刷り込まれた自分は、愚かにも真似した結果、体を壊してしまったのだから恥ずかしい。
3日目になる白い天井を眺めていると、看護師が点滴を取り替えに顔を出すのに気づいた。
「体調いかがですか?」
若い男の看護師さんだ。
男もいるんだな、いや当たり前か。などと思いながら僕は小さく縮こまった。
「体調は、変わらないです。すいません、色々やってもらって」
「構いませんよ。仕事ですから。それよりあまり動かないでくださいね、まだ腰の骨がくっ付いてませんから。……トラックに跳ねられたそうですね」
「はい……」
子供を助けようとして、トラックに跳ねられた。
それが僕の犯した事だった。
見通しの悪い十字路。帰宅途中の子供が信号無視のトラックに轢かれそうになったのだ。
慌てて走り出し、子どもを迫る車の前から突き飛ばしたが、僕はトラックを避けきれなかった。
その後鈍い音がしてーー何が起きたか、実はよく覚えていない。跳ねられたんだと思う。あまりの痛さで記憶が麻痺したんだ。
でも目が覚めた時は救急車に運び込まれる時で。
ーー助けた、と思った子どもが、遠くから顔面蒼白で僕を見ていたのに気づいた時。僕は間違ったことをしたのに気がついた。
人助け、出来てなかったのかも。
……と。
「そうですね、恩の押し売りかもしれませんね」
「はは、は、すいません」
点滴を調節しながら看護師は言った。
そうかもしれない。と僕は思う。グサリと刺さる言葉を乾いた笑顔で隠そうとしたが無理だった。
「でも、どうしたらいいか、僕にはわからないです」
わからないんだ。
だって人助けは美徳だと教わって生きてきたから。家族だって素晴らしいと讃えてくれた。
でも脳裏にこびりつく。あの子供の顔。
助けたことは後悔してないけど、あの時どうしたらよかったのか、答えが出ずにいる。
「あなたも助かればよかったんですよ」
看護師は当たり前のように言った。気がつけば点滴の交換はもう終わっている。
え? と顔をあげる僕に差し出されたのは封筒だ。
それも束になっている。
なんだろう、これ?
「君が助けた女の子が、毎日来るんです。『私を助けてくれた人は直りましたか』って尋ねて、手紙を置いてくんですよ。子供は病棟に入れないので」
「毎日?」
「そう、毎日。あなたが怪我をしたのは自分のせいだと思っているのでしょう」
看護師はそう言うと、機材を片付けながら独り言のように言う。
「私たち看護師もいつも誰かのために働いています。でも、無理はしません。する時もありますが、私たちが倒れたら悲しむ人がいるのを知っているので無理しないんです」
ーー誰かを助ける為には、自分も助けなければいけない。
だから難しい、と言って看護師は苦笑した。
僕は目から鱗で、唖然としてしまった。自分も助かると言う発想がなかったのだ。
当たり前のことなのに。気づかなかった。
そうか、あの子は僕が怪我をしたから、あの時泣いたのか。青い顔をして。
「僕、無駄なことしちゃいましたかね」
「あなたの活躍も、人を助けたんです。無駄ではありませんよ」
「ははは、だといいな」
でもやる事は……学ぶ事はあったんだ。
病室を後にする看護師に、すいませんとまた苦笑する。
手紙の封を開けようとすれば、腕の点滴の針で痛んだ。
生きてる証のチクリとした痛みが、僕の心の中の小さな黒を蹴飛ばそうとしているみたいだった。
『誰かのためになるならば』
「誰かのためになるならば」と、意気込んで生きてはいないのですが、誰かの役に立てたら、それは、とても嬉しいことだと思います。
昨日、職場の駐車場に大量の伝票が落ちていたので、目に写る限り拾い集め、伝票に記載のあった宅配業者へ電話したところ、ドライバーがすぐに取りに来て「助かりました!」と、お礼されました。
どうやら、割りと重要な伝票だったようです。
破棄しようか迷った末に電話したので、わたしの独断で破棄せずに良かったと思いました。
誰かの役に立てると、自分まで嬉しくなりますね。
接客業をしていると、お客様の善意に触れることが多々あります。代金をいただいているのに、差し入れをいただいたり…。きっと「誰かのためになるならば」という気持ちは、特別なことではなく、誰もが抱く想いなのだと思えてなりません。
#誰かのためになるならば
誰かのためになるならば、人のためになるならばと言い、命をも投げ出す人を私はすごいと思う。…けどそれと同時に、酷いと思ってしまう。
…だって、それで、それで命を落として仕舞えば、それは自殺行為となってしまうじゃないか。帰りを待つ人を一方的に置いて行ってしまう。
…だからこそ私は、酷いと思うんだ。
私が自然にしていても
誰かの役に立てられたら
それが一番いい
誰かの役に立ちたいと
頑張ったり
努力したり
そんなことしなくても
ありのままの私が
誰かの役に立てられたら…
そんな人になりたいです
窓に映ったあなたは誰かになるのでしょうか
雨がつたう窓辺のあなたは
まるで泣いているみたい
ふとあなたが誰かに見える時
そうっと甘えて
ぐうっと甘えて
大丈夫だよ
「誰かのためになるならば」
嘘と一言で表現してみたところで
価値や意味を決めつけられるわけではないし
いつだって私は私のために息を吐いている
幸せです
と見知らぬ誰かが笑っている
胸がいっぱいです
と見知らぬ誰かが震えている
このまま死んでしまいたいね
と隣で彼女が微笑んでいる
それは陽炎のようでただそこにある
私が私であるために
私は誰かをかきわけていく
言い訳みたいに泣いてみる
テーマ 誰かのためになるならば
都会を捨てて、森の中で暮らし始めて随分と長い月日が経った。その間、私と同じく糸に導かれてここを訪れる人が何人もいた。中には私と同じように、そのまま住み始める人もいたが、その人も先日、別の糸に導かれてここを去った。
別れの挨拶に来たその人に、私は小さなハサミをあげた。いつか、自分の手で運命を決めるときに、必要になるかもしれないから。
私はこれからも、ここで暮らし続けるだろう。ずっと昔、都会で一緒に暮らした彼のその後が気にならないでは無いけれど。それでも、私はここにいて、時折糸に導かれてやって来る人に、私がここに来た時のことを、面白おかしく語るのだ。
──絶望した人たちの、最後の砦となるために。糸は、絶望した人の前に現れるのだから。
(誰かのためになるならば)
今夜は月に贄を捧げる日。
その日のためだけに買われたぼく。
周りの人たちはぼくを冷たい目で見る。
でもきみだけがぼくを優しい目で見る。
話しかけてくれたし、一緒に遊んでくれた。
ずっと一緒だよ。ときみはぼくに言ってくれた。
その時に決めたんだ、きみのためにぼくは命を捧げよう、と。
そしてその日が来た。今夜は赤い満月だ。
周りの人たちはぼくを狂った目で見る。
祭壇に着くとむせかえるような血の匂いがした。
そしてそこにはきみがいた。
虚な目でぼくを見るきみの首
ぼくの頭の中は真っ白になった。
ぼくの体を押さえつける大人たち
(あいつもこの日のために買った)
きみの血がこびりついた大きな斧
(生贄はふたり必要なのだ)
ぼくは絶望して叫ぶ
(その絶望が最大の贄だ)
振り下ろされた斧、途絶えた叫び。
#誰かのためになるならば
お題 誰かのためになるならば
「誰かのためになるならば、なんだってやれる!」
そう言っていた彼女は今多くの人を支えている。
有言実行だなと僕は思う。
でも...いや、なんでもない。
昔からこんなことをよくアニメ、漫画、ドラマなどで言われている。
「一人の犠牲を元に大多数の命が救われる。」
みたいな言葉。
これは本当のことだったらあなたはどっちがいいと思うだろうか?
一人を助け、大多数を見捨てる。
大多数を助け、一人を見捨てる。
多くの人が大多数を助けるだろう。
僕はどっちもできなかった人間だ。
人を見捨てるのが怖くて、怖くて。
彼女は自分を犠牲にしたよ。
彼女らしいな。悪い意味でね。
あなたは、多くの人々を思い遣る人でした。そして、子どもたちにも、よくその教えを説く人でした。ただ、子どもの一人が「あなたのようになりたい。」と言うと、あなたは、はっきりと「わたしのように成るな。」と言いました。
『首切り執行人』それが、あなたの役職でした。この国では、非公式のお役目です。非公式といえば、聞こえは良いですが、ようは殺し屋、『暗殺者』でした。その中でも、あなたは最高位の『死神』と呼ばれる人でした。
その地位に就けるのは、僅か四人でした。それぞれ、銃術、棒術、剣術、体術を極めていました。
あなたは、剣術の中でも刀術を極め、四人の中で最も相手に苦痛を与えない処刑人でした。そして、最も現場を汚さなかった。血の一滴たりとも、現場に残しませんでした。もし、血が残されていたら、生存者がいるとされるほどでした。
この国での『暗殺者』の役職は、人々が安全に暮らすための仕組みでした。稀に特権階級や市民階級の富裕層の人々の一部が、賄賂などで罪が軽くなることがあります。
王や大臣たちは、その事実に警告する権力も無く、その対応策として『暗殺者』の役職を作りました。『暗殺者』とは、見張り役と始末役を兼ねた役目でした。その役職を信頼する家々に、裏家業として、血縁関係なく、実力がある者のみに就かせました。
あなたは、その役職を全うし、その生涯を閉じました。
あなたは、処刑した罪人の子どもたちを必ず引き取り、自分の子どものようにたくさんの愛を注ぎ、育てました。
そして、あなたは、よく私にこう話してくれました。
『わたしの自慢の子どもたち、わたしの宝物たち』と。とても嬉しそうに、とても幸せそうに。
■誰かのためになるならば
誰かのためにと言いつつ、誰かのためになりそうなものの中から結局自分がやりたいことを慎重に選んで行っているだけだったりする。あくまで、私の場合だが。
誰かのためになるならば。もう性善説は通じない世の中よ。そういうお題じゃないかもしれんが。
どれだけいいことをしても揚げ足とりのように細かいことを突っ込まれる時代だ。なにもしないが最適解だ。昔からかもしれないけどな。
さわらぬ神に祟りなしだ。でも情けは人のためならずとも言うからな。ケースバイケースか。ぶっちゃけリアルでいいことをして悪い結果になることはほとんどないだろうしな。
まぁ俺は誰かのためになんてまっぴらごめんだけど。そもそもそんな余裕がない。貧すれば鈍するってのはマジだな。貧乏は心を歪ませる。
今日のお題はいまいち書くことないし今日読んだ雑誌のことでも書くか。今日は新連載を二つ見たからその感想をば。
まずはヤンジャンで見た新連載。ゴールデンカムイの人の新作。アイスホッケーを題材にした作品。氷上の格闘技とか言われてるんだっけ。あんま興味ない題材だ。
でも読んでみるとすらすら読めてまぁまぁ面白かった。絶賛するほどじゃないけど次も読むレベル。流石に長期連載のヒット作をやっていただけはある。
次も読むけどタイトルは確認するの忘れてたから来週確認しとこ。
もう一つ読んだ新連載はチャンピオンのやつ。ゴルフを題材にした作品。これも題材に興味ないな。感想はつまんなかった、目が滑る。以上。
なんかチャンピオンってほんと読むものないな。俺が好き嫌い多いってのもあるけどこれ読んでるやついるのかよってレベルが多い。
でも廃刊になってないってことは利益があるんだろうしチャンピオンを読んでる奴がいるんだよな。誰が読んでるんだよあれ。謎の雑誌だ。
誰かのためになるならば、何だってする…
そういう人だったね、君は…
見知らぬ人でも、困った様子ならば必ず声をかけ
助けていた
「誰かのためになるならば、私は何だってする。」
僕にはわからなかったけどね
誰かのためになるならば、
自分は死んでもいいって言うの?
きっと、君の心は
嫌っていうほど
綺麗なんだろうな…
自由研究って本当にする必要があるのか?しかも、2つも。世の中の為に、日々謎を解明している科学者の方の研究は、本当に世の中のためになっている。でも、私がやる研究って、あくまで自分のためだ。自分が怒られない為、先生からの評価を上げるための。それって全く面白くないし、時間がなさすぎて、「自分が楽しめるかどうか」なんて二の次になってしまう。
誰かのために頑張るのって、大変だが案外気持ちは楽だ。でも、それが自分のため、となると、途端に嫌になってしまう。
もっと、自分のために頑張れる人になりたいなぁ…。
「あ、すいません…。」
俺は通行人を避けながら、交差点に落ちていたゴミを拾った。
誰かのためになるならば、と思って続けてきた習慣だが、中には不審者でも見るような、うろんな目で俺を眺める奴もいる。
近所のじいさんは、よく声をかけてくれるが、区の吸い殻パトロールの親父は、ライバルが出現したとでも思うのか、完全無視だ。
小学校の旗振りのオヤジも、俺を見て見ぬふりをする。
「何でそんなことしてるの?」と、明らかに不審の目を向けてくるやつもいる。
だが、俺の毎朝の働きのおかげで、カヤが生え放題だった都会の交差点は、すっかり綺麗になった。
いいことをして何が悪い!と俺は言いたい。善きことに不審な目を向ける奴は、魂レベルが低いんだと思っている。
【誰かのためになるならば】