『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
嘘と一言で表現してみたところで
価値や意味を決めつけられるわけではないし
いつだって私は私のために息を吐いている
幸せです
と見知らぬ誰かが笑っている
胸がいっぱいです
と見知らぬ誰かが震えている
このまま死んでしまいたいね
と隣で彼女が微笑んでいる
それは陽炎のようでただそこにある
私が私であるために
私は誰かをかきわけていく
言い訳みたいに泣いてみる
テーマ 誰かのためになるならば
都会を捨てて、森の中で暮らし始めて随分と長い月日が経った。その間、私と同じく糸に導かれてここを訪れる人が何人もいた。中には私と同じように、そのまま住み始める人もいたが、その人も先日、別の糸に導かれてここを去った。
別れの挨拶に来たその人に、私は小さなハサミをあげた。いつか、自分の手で運命を決めるときに、必要になるかもしれないから。
私はこれからも、ここで暮らし続けるだろう。ずっと昔、都会で一緒に暮らした彼のその後が気にならないでは無いけれど。それでも、私はここにいて、時折糸に導かれてやって来る人に、私がここに来た時のことを、面白おかしく語るのだ。
──絶望した人たちの、最後の砦となるために。糸は、絶望した人の前に現れるのだから。
(誰かのためになるならば)
今夜は月に贄を捧げる日。
その日のためだけに買われたぼく。
周りの人たちはぼくを冷たい目で見る。
でもきみだけがぼくを優しい目で見る。
話しかけてくれたし、一緒に遊んでくれた。
ずっと一緒だよ。ときみはぼくに言ってくれた。
その時に決めたんだ、きみのためにぼくは命を捧げよう、と。
そしてその日が来た。今夜は赤い満月だ。
周りの人たちはぼくを狂った目で見る。
祭壇に着くとむせかえるような血の匂いがした。
そしてそこにはきみがいた。
虚な目でぼくを見るきみの首
ぼくの頭の中は真っ白になった。
ぼくの体を押さえつける大人たち
(あいつもこの日のために買った)
きみの血がこびりついた大きな斧
(生贄はふたり必要なのだ)
ぼくは絶望して叫ぶ
(その絶望が最大の贄だ)
振り下ろされた斧、途絶えた叫び。
#誰かのためになるならば
お題 誰かのためになるならば
「誰かのためになるならば、なんだってやれる!」
そう言っていた彼女は今多くの人を支えている。
有言実行だなと僕は思う。
でも...いや、なんでもない。
昔からこんなことをよくアニメ、漫画、ドラマなどで言われている。
「一人の犠牲を元に大多数の命が救われる。」
みたいな言葉。
これは本当のことだったらあなたはどっちがいいと思うだろうか?
一人を助け、大多数を見捨てる。
大多数を助け、一人を見捨てる。
多くの人が大多数を助けるだろう。
僕はどっちもできなかった人間だ。
人を見捨てるのが怖くて、怖くて。
彼女は自分を犠牲にしたよ。
彼女らしいな。悪い意味でね。
あなたは、多くの人々を思い遣る人でした。そして、子どもたちにも、よくその教えを説く人でした。ただ、子どもの一人が「あなたのようになりたい。」と言うと、あなたは、はっきりと「わたしのように成るな。」と言いました。
『首切り執行人』それが、あなたの役職でした。この国では、非公式のお役目です。非公式といえば、聞こえは良いですが、ようは殺し屋、『暗殺者』でした。その中でも、あなたは最高位の『死神』と呼ばれる人でした。
その地位に就けるのは、僅か四人でした。それぞれ、銃術、棒術、剣術、体術を極めていました。
あなたは、剣術の中でも刀術を極め、四人の中で最も相手に苦痛を与えない処刑人でした。そして、最も現場を汚さなかった。血の一滴たりとも、現場に残しませんでした。もし、血が残されていたら、生存者がいるとされるほどでした。
この国での『暗殺者』の役職は、人々が安全に暮らすための仕組みでした。稀に特権階級や市民階級の富裕層の人々の一部が、賄賂などで罪が軽くなることがあります。
王や大臣たちは、その事実に警告する権力も無く、その対応策として『暗殺者』の役職を作りました。『暗殺者』とは、見張り役と始末役を兼ねた役目でした。その役職を信頼する家々に、裏家業として、血縁関係なく、実力がある者のみに就かせました。
あなたは、その役職を全うし、その生涯を閉じました。
あなたは、処刑した罪人の子どもたちを必ず引き取り、自分の子どものようにたくさんの愛を注ぎ、育てました。
そして、あなたは、よく私にこう話してくれました。
『わたしの自慢の子どもたち、わたしの宝物たち』と。とても嬉しそうに、とても幸せそうに。
■誰かのためになるならば
誰かのためにと言いつつ、誰かのためになりそうなものの中から結局自分がやりたいことを慎重に選んで行っているだけだったりする。あくまで、私の場合だが。
誰かのためになるならば。もう性善説は通じない世の中よ。そういうお題じゃないかもしれんが。
どれだけいいことをしても揚げ足とりのように細かいことを突っ込まれる時代だ。なにもしないが最適解だ。昔からかもしれないけどな。
さわらぬ神に祟りなしだ。でも情けは人のためならずとも言うからな。ケースバイケースか。ぶっちゃけリアルでいいことをして悪い結果になることはほとんどないだろうしな。
まぁ俺は誰かのためになんてまっぴらごめんだけど。そもそもそんな余裕がない。貧すれば鈍するってのはマジだな。貧乏は心を歪ませる。
今日のお題はいまいち書くことないし今日読んだ雑誌のことでも書くか。今日は新連載を二つ見たからその感想をば。
まずはヤンジャンで見た新連載。ゴールデンカムイの人の新作。アイスホッケーを題材にした作品。氷上の格闘技とか言われてるんだっけ。あんま興味ない題材だ。
でも読んでみるとすらすら読めてまぁまぁ面白かった。絶賛するほどじゃないけど次も読むレベル。流石に長期連載のヒット作をやっていただけはある。
次も読むけどタイトルは確認するの忘れてたから来週確認しとこ。
もう一つ読んだ新連載はチャンピオンのやつ。ゴルフを題材にした作品。これも題材に興味ないな。感想はつまんなかった、目が滑る。以上。
なんかチャンピオンってほんと読むものないな。俺が好き嫌い多いってのもあるけどこれ読んでるやついるのかよってレベルが多い。
でも廃刊になってないってことは利益があるんだろうしチャンピオンを読んでる奴がいるんだよな。誰が読んでるんだよあれ。謎の雑誌だ。
誰かのためになるならば、何だってする…
そういう人だったね、君は…
見知らぬ人でも、困った様子ならば必ず声をかけ
助けていた
「誰かのためになるならば、私は何だってする。」
僕にはわからなかったけどね
誰かのためになるならば、
自分は死んでもいいって言うの?
きっと、君の心は
嫌っていうほど
綺麗なんだろうな…
自由研究って本当にする必要があるのか?しかも、2つも。世の中の為に、日々謎を解明している科学者の方の研究は、本当に世の中のためになっている。でも、私がやる研究って、あくまで自分のためだ。自分が怒られない為、先生からの評価を上げるための。それって全く面白くないし、時間がなさすぎて、「自分が楽しめるかどうか」なんて二の次になってしまう。
誰かのために頑張るのって、大変だが案外気持ちは楽だ。でも、それが自分のため、となると、途端に嫌になってしまう。
もっと、自分のために頑張れる人になりたいなぁ…。
「あ、すいません…。」
俺は通行人を避けながら、交差点に落ちていたゴミを拾った。
誰かのためになるならば、と思って続けてきた習慣だが、中には不審者でも見るような、うろんな目で俺を眺める奴もいる。
近所のじいさんは、よく声をかけてくれるが、区の吸い殻パトロールの親父は、ライバルが出現したとでも思うのか、完全無視だ。
小学校の旗振りのオヤジも、俺を見て見ぬふりをする。
「何でそんなことしてるの?」と、明らかに不審の目を向けてくるやつもいる。
だが、俺の毎朝の働きのおかげで、カヤが生え放題だった都会の交差点は、すっかり綺麗になった。
いいことをして何が悪い!と俺は言いたい。善きことに不審な目を向ける奴は、魂レベルが低いんだと思っている。
【誰かのためになるならば】
誰かの為になることで
自分の居場所を確保しようと
必死だった。
誰かの為になることなんて
誰も気付かないことなんだと…
知ってからは、後ずさり。
空回り。恥ずかしい。偽善者。
こんな風になるなんて…と
自分で貼り付けてしまった
レッテルを、泣きながら剥がした。
誰かの為は誰の為…
分からぬまま、彷徨いながら
私は塵になる。
【お題:誰かの為になるならば】
誰かのために私達は何をすればいいんだろう
正直ない
あるとしたら
老人の話を聞くとか
社会に貢献するとか
こんな私達ができることなんて
指で数えられるくらいだ
自分の人生で精一杯なのに他の人を考えてられない
だから私達はただ祈るだけ
みんなが幸せになりますようにと
〈誰かのためになるならば〉
誰かの代わりに自分が死ぬ状況って
きっと私は死ぬことはできない
誰かのためにとか
私は死ねない
きっと愛するものができたなら
私はきっと死ねるかも
─────『誰かのためになるならば』
誰かのためになるならば
私は進んで前に出よう
誰かのためになるならば
私は手段を厭わない
誰かのためになるならば
私は、私は
私はこの続きを書けなくなってしまった。
誰かより自分を大切にすれば良いのです
道行く人のたった一言
"ここに花が咲いていたら"
それを叶えることが
誰かのためになるならばと
始まりはそんな些細なことだった
長い時間をかけ作り上げた景色のなかで揺れる花々が
私に生きていていいのだと言っている気がした
(誰かのためになるならば)
誰かのためになるならば、を免罪符にしない。
誰かのためになる、を私の存在理由にしない。
「誰かのために」が悪いことではないんだけど、「誰かのせいで」と紙一重になる気がしてね。どうも苦手なんです。
……コーヒーを飲みながら目の前の女は話す。喫茶店に人はまばらで、こちらを見る人はいない。
ほら、私たちが動くと人間ってすぐ有難がったり、怖がったり、すがったりするでしょう? その逆もたくさんあって。
私たちが「助けていたのに何事だ」って言うのも、なんか違う気がするのよ。そういうのばっかり見てたら、疲れちゃって。
「本当に、お疲れさまです」
いいのよ。人間なのにわざわざこうやって話聞いてくれるだけで、私たち嬉しかっんだから。
女は立ち上がり、店を出るためにドアのほうに向かった。自動で開くはずのドアは開かず、女は“通過”して外に出た。
「本当に、そうですね。『誰かのために、という自分のため』くらいでいいと思います」
コーヒーは、飲みかけのままそこに置かれていた。
誰かのためになるならば
立派な考えだけど
私には明確な
私は他のだれでもなくて
あなた達のためになるならば
全てを差し出してかまわない
~誰かのためになるのなら~
誰かのためになるなら命も掛けられる。
そんな人はあんまりいないと思う。
恋人 友達 先生 親 赤ちゃん いとこ
色々あると思う。
もし恋人がいてその人のことが本当に好きなんだったら命はかけられるかもしれない (特に男
友達も、親だってそうだ本当に本当に好きで大切だったら命も掛けられる。
命をかけるということは生きていないといけない。
君たちは大切な人、誰かのためになりたい人は居るかな?
まだ私はいない……
だから私はその大切な人を見つけるためにまだ生きてます
♯誰かのためになるのなら
ここにいて それだけでいいと君が泣く
それだけの理由 それでよかった
#短歌 #書く習慣 20230727「誰かのためになるならば」
僕は、どんなに苦しいときでもずっと我慢してきた。
自分の時間や体力を削ってでも頑張ってきた。
「誰かのためになるならば」と言い訳をしながら。
我慢していれば、きっと先に光が見えると思っていた。
まだ誰も見ぬ、素晴らしい光が。
でも、それって結局は自分のためなのでは と気づいた。
まだ見ぬ光を誰かに見せびらかしたいだけなのでは と。
その瞬間、「僕」というものが崩れた。
「僕」は完璧じゃ無かった。
もろくて、細かくて、少し冷たかった。
#誰かのためになるならば