『誇らしさ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
それを感じる事が出来るのは
自分に対してであっても
他人に対してであっても
それまでの過程の中にある
努力や挫折 葛藤や苦悩を
慮る事が出来るようになってからであって
単純に簡単に上辺だけの形で
表現出来るそれとは
全く別のものであるのだと思う
確かに生きているだけで
人には満点が約束されてはいるが
その気持ちを抱く事に関しては
満点の上で 何かに挑んだという事実と
目標を立て それに向かう姿を
自分にも あるいは他人にも
認める という 肯定的な感情を
持てるか否かに拠るものではないか
いつか
自分に対しても 他人に対しても
その感情を持てる様になるために
せめて腐る事だけは
食い止めて生きようと思う
社会的な成功とは違う事も理解したい
《 誇らしさ 》
誇らしさってなんだ。
正直わからない
だが人生の中で自分の誇らしいところを知っている人こそ楽しくていつも笑顔なのだと思う。
そういう人になりたい。いつも笑顔で友達に囲まれるような生活をしたい。
がんばる
給料のいい企業に務めてるとか、エリートだとか、そんなものじゃない
誇らしいというのはたぶん、自分の利益を考えないで単純にその人の笑顔のためになにかできることなんだと思う
『誇らしさ』
それは見えないもの
夢、未来、等々
初めは自信だと思っていたが、相手を思う誇らしさに自信という言葉は当てはまらないように感じた。
自信を持っていれば世の中
明るい視点で見れるのかも
でも、自信がありすぎると自分しか見れないような人になってしまう気がする。
見えないものを扱うのは私にはまだ早かったらしい
ちゃんとした考えがまとまらない
誇らしさ。
あなたは自分自身を誇らしく思ってますか?
そういう生き方してますか?
でも、これが1番難しい。
泣きそうなくらい。
『誇らしさ』
力強くて優しくて、
すごく素敵な言葉だと思った。
こんな言葉を思ったり使ったり出来るよう、
今は地道に過ごしていこうと思う。
瓶に詰められた濃い夜の上澄み、未知の味覚にもうめろめろで病みつき
咄嗟に湧き上がるなにもかもめちゃくちゃにしてしまいたい衝動というものか
理性はあちらの方角で滑稽に踊る、躊躇を食い荒らす
誇らしさなど、優越などまるで汲みとれない嗚咽が込み上がるほどがらんどうな部屋に
ぽっかりと浮き上がった孤独な2人を祝福する如く、知性のない雷が唸った
「皆さんの「誇らしさ」ってなんですか?」
道徳の授業中
先生が生徒にこう問う
皆が次々と手をあげ、当てられ、発表する
中には教科書に隠れ、寝ている者もいた
きっと、ずっとこの日常が続いていく
そう確信ができるくらい、平和だった
好きな子が手をあげ、当てられた
「自分の誇らしい事は、、、」
先生の無茶振りに備え、考えていた答えと同じで鳥肌が立つ
私の場合、誇らしさとは、まず、他人に対してなるべく寛容になりたいと言うことかなぁ。常に自分の気持ちを殺して相手に優しくしてあげるのが一番の誇りです。
『誇らしさ』
私は自分を誇れない
自慢するような事もしてないし
褒められる事もしてこなかった
人生で誇らしさを感じた事はない
誇らしさはないけれど毎日なんとなく楽しい
それで充分だと思ってる
私が私であること
なんて言ってみたかったな。
「誇らしさ」
何処にもなくて
何処を探しても見つからなくて
仮にあったとしても、とても他人には言えない
否定し続けて、上と比べ下ばかり見て
見えないふり、見てないふり
これ以上、傷つきたくないから
否定されるのが怖いから
傷つけるのが怖いから
隠しておけば、閉まっておけば、傷つく事も否定されることもない。
ただ薄れていく、失っていく、錆びていく。
誰の目にも触れず、評価もされない。
どれだけ価値があっても、その価値に気が付かなければ
意味が無い。判断出来ないそれはゴミと同じになり
やがて捨てられる。
自らの手で自分の誇れるものを沢山、捨てているのかもしれない
誇らしさというものは、ある種自己満足とも言える。
誰もが羨む才能も、きっと、羨望と自慢が交差する自己満足の世界に存在する。
私は彼女に、それに似たような感情を持ちながら、自身と重ねる部分があった。
私だってあの子のように褒められたくて、私だってあの子のように好かれたかった。しかしながら、私はいつだって劣等生で、下から数えた方が随分早かった。だから、確実にあの子よりも能無しであの子のようなものは何も無かった。
しかし、その子の成果すら覆して私が褒められたのは、これだった。
文章。
卒業文集の、なんてことの無い四百字が、あの子よりも勝っているというのだ。今まで私が貼られてきた「劣等生」のレッテルは、その、たった一枚の原稿用紙で値札が貼り変わった。
彼女はそんな私を見て、さすがだね、と言った。
今まで思っていたのなら、もっと早く伝えてくれれば良かったじゃないか。何を、今更。
だけど、地に落ちた私という概念は、その言葉に興奮していた。私にも才能がある、自慢出来ることがある。凄いだろう、ほら、ほらもっと、私を見ろ。
他者からの羨望の眼差しと、自己満足の世界が繋がる。他意識と自意識が、交差する。
上手い文章が書ける、この「私」が、何よりも、どんなものよりも誇らしいのだ。
彼女か経験した日々
人よりも辛かった人生
それを越えた笑顔をみると
なんだか誇らしく思える
本当に苦労を知っている人ほど
笑っていることが多い
私はそんな人から沢山の事を学んだの
100回否定されても
自己否定の後遺症に悩まされても
命を繋いで
正しいものと疑わしいものを間違えながら
選り分けて
歪められた自己認知のメガネをかけながらも
ぶつかっては怪我を作りながら
前へ前へ進んできた
そのなかで、もともと持っていた資質
当時の大人から危険視され
潰されかけた資質が
再び芽吹いたこと
これが私の誇り
年齢を言い訳にしないで、新しい事に興味をもつこと。
達成感というものは誇らしいということなのか。
頑張って頑張って結果にたどり着いて、スカーっと言う気持ちになる。そして褒められる。これが小さな頃の誇らしさだった。どれだけ下手でも誰かが見ていてくれて、褒めてくれる。誇らしかった。
今はどうだろう。他人はいつも他人事で。悩みを真剣に打ち明けても,自分がこの状態ではないからいつも軽く流す。でもいつも私たちは誇らしさを追い求めている。どんな些細なことでも気を配り、真っ直ぐに道を進んでいる。
もしもあれ以来の褒め言葉をもらったのならば,今の私はどんな言葉でも誇らしく感じるだろう。
きっと私は今凄く疲れている。誇らしいと感じるのは人から愛をもらった時なのではないかなどと考えてしまう。 愛。この世で一番理解不能な物質であり気体である。これを自ら掴むなんて…
誇らしさ。
自分が
ノーと言えるのは
誇らしさだな。
皆んな
「イエス」って
言い過ぎなのかも?
「美しさっていうのはね自分にしか出せない魅力の事なんだ。」
綺麗なフィリップは僕に絵の具をくれた。
「博識な人とは自分が興味のある事をどんどん調べ、突き進む人のこと。」
賢いアレックスは僕に本をくれた。
「勇敢な人ほど本当の自分を知ってるものよ。どこまでやれるか、自分にできるのか」
格好いいウェンディは僕に帽子をくれた。
「愛は誰にあげても喜ばれるもの。あなただけが持ってる愛情を誰かにあげてね。」
優しいアリスは僕の頬にキスをした。
これは僕が僕であると証明する一夏の思い出物語。
〜2003年3月3日第3日曜日、全国地上波放映〜
そんなものない、と言えたら楽になるだろうか
自分のプライドに誇らしさを持っていなかったら、
自分の言葉に相手は傷つかなくなるのだろうか
自分のプライドに誇らしさを持っていなかったら、
後からずっと相手の傷付いた顔がフラッシュバックする事は無くなるのだろうか
自分のプライドに誇らしさを持っていなかったら、
リーダーみたいに先頭に立つ、近所のおばさんみたいに同い年にガミガミ言うことはなかったのだろうか
誇らしさを少なくしたらいいのかどうかもまだ分かってない、どうしようか
#1 誇らしさ