『誇らしさ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誇らしいことなんて何もない
毎日生きていること、笑うこと、泣くこと
それだけでも立派なことだ。
目標に向かって進み続けること
誇らしさというのは、自分が自分自身で守るべきものだと思う。何かに失敗してしまったとき、自分の誇りがまるで全て失われたような気になってしまうこともあるだろう。でも、それは絶対に違う。間違った行動をしてしまったとき、怒られてそこで反省をする。次はどうしようかと考える。それが積み重なることによってできるのが、きっと、誇り。だから、誇りを高く持ち続けなくてもいい。成功の有無よりも、その後に自分がどのような選択をするのかそれが最も大切なことだ。私は、失敗するだけで終わらない、そこから少しでも掴み取れる人でいたい。
憧れの ユニフォーム着て 夏の空
誇らしさ
分からない。
まだ私にはないものだから。いつかきっと見つけたい
誇らしさ
その言葉さえ、感覚さえ忘れていた
愕然とする いつからだろう
誇らしさの欠片もない自分
いつかまた
変われるだろうか
『誇らしさ』
誇らしさ
そんなところは
わたしにあるだろうか
泣いてばっかり
止まってばかり
でも
泣いてばっかりでは
止まってばかりでは
なにも新しいことは
始まらないよね
だから
前を向いて歩く
いつか
自分のことを
「誇らしく思う」
そう言える日が
来ることを願って
人生まだまだ道半ば。
それでも振り返ってみれば、
どうやらずいぶん長い道を歩いて来たみたい。
飛び上がるほど嬉しいこともあった、
震えるほど悔しいこともあった、
挫折と諦めを知り、自らの過ちによって
失意のどん底に落ちたこともある。
昔、とっても羨ましく見えたあの人なら、
もっとスマートに生きられたのかな?
…でもね、
『この人生を乗りこなせるのは、
やっぱり自分しかいない!』
と、思ったり…
これって誇らしさ?
▼誇らしさ
立派とは縁遠いところで
ただここに立って 天を見ている
誇れるようななにかを
成したこともない
自分の足で立っている感覚も
自分で人生を切り開く感覚も
わたしは持たない
しかし人には
自らにも自覚し得ない力が
確実に備わっていて
ある日を境にそれまでの日々が
予測なしに覆ることがある
自分を見つめ 天を見つめ
自分を取りまく周りの命を
もっとも第一に見つめること
それこそは
自分を生かすことだと
わたしは一途に信ずる
#誇らしさ
誇らしさ?
あいにく自分に値打ちがあるなんて
一度も思った事はないよ
強いて言うなら詩を作る事
なんて嘘だよ、言ってみたかっただけ
どうしても書けないんだ
誰かの為に前向きに頑張れと
背中を押せるような詩も
誰かの為に優しく大丈夫だよと
包み込めるような言葉も浮かばず
結局自分の為だけに書いてる
吐き溜めみたいな僕の詩が
自分の誇らしさなんてあまりにも傲慢だ
それでも苦しいが消えないこんな夜は
自分の言葉で吐き出さなきゃ
本当に死んでしまいそうで
それはきっと僕だけじゃない
その中で
頑張れと真っ直ぐな詩を書いてる人がいた
泣いちゃうくらい優しい詩を書いてる人も
キラキラと輝くような恋の詩を書く人も
難しい言葉を綺麗に紡ぐ詩を書く人も
比べてしまう自分が情けないけれど
そんな詩を僕も書けたら…と
今日も誰かの詩を読む
他の人と違う意見。
ひとりぼっちのあの子を庇う。
自分までひとりになってしまうんじゃないか?
怖いよね。
だけれども
言い終えた時
恐ろしさよりも
誇らしさな方が勝ってるんだろうな。なんて妄想。
胸張って
生きる。
堂々と生きる。
ものすごく怖いことだけれど。
でも
後から自分で自分を責めるよりも。
こうやって勇気出して
自分を誇る方がきっと良いよね。
だけど怖い。
人の目が怖い。
みんながみんな。
いい人ばかりではないけれど。
理解してくれる人はきっと居るよね。
そんな人を
誇らしく思うような人に、なりたい。
「誇らしさ」
012【誇らしさ】2022.08.16
あぁ、やなお題。ネットニュースのタムラインで、「自己肯定感の高め方」なんて文字列あったら、わらにもすがる思いでポチッとしては、自分にはかなわないと失望ばかり重ねてます、ってーの。
どうかおねがい、私の黒歴史をえぐりに来ないで、自己肯定感の高い人たちみんな敵です。
正直、今回のお題はスルーだな、と思った。
だけど、そのわりには。意外にふんわり、いまの自分にマッチしてて。「誇らしさ」という言葉が、自分を温かくつつみこんでくれる感じがしたんだ。
ちょっとだけ背筋が伸びて。いつもより目が輝くような感じがして。なんだよこの言葉。おもったよりもいごこちいいじゃん。
自己肯定感とか自尊感情とかが大事です、とか近頃とみに喧しいけど、ぶっちゃけ目指す姿がよくわからないよね。そんなときは自然に学ぼう。だって、いまちょうど、庭にテッポウユリの花が咲いてるから。
長く茎をのばして、ひとりきりですっきりと立って。たくさんつけた蕾をひとつづつ、いま、花開かせている。見られていようがなかろうがおかまいなく、地べたになぎ倒されていようがおかまいなく。
自分は自分として、花開いて、やがて、花は落ちて、雌蕊は種になる。
テッポウユリは、枯れてゆく様さえ、誇らしさを体現している、と私は思うんだよね。
あの人と仲がいい
あの人とよく話してる
あの人に似てきてる
私はそんな事を言われて
誇らしさ を感じてしまうんです
『 誇らしさ 』
誇らしさ…というか
誇れるもの…の方が
書きやすいのかも知れない。
自分にとって誇れるものとは
ここ最近では
『『 運の良さ。 』』かな。
お出かけした先の
混んでる場所での駐車場は
ほぼ待つこと無く停められたり
(目の前で車が出てくれる)
移動中、大きな通りに進入する時も
車が途切れてすんなり進入できたり
欲しい品も、在庫切れもなく
短時間で手続きできたり…と
たまたまだよっと言ってしまったら
それまでだけど
タイミングよく
スムーズにことが運ぶのには
周りの人もすごいって言ってくれる。
そんな自分が誇らしい。
『 誇らしさ』
推しがいるとゆう事
私の友人はとてもかっこいい。
勉強は出来ない。運動はそこそこ出来る。
顔は···。まあ、普通。
でもね、
あなたの笑顔はみんなを笑顔にする。
誰かが泪を流していれば、声をかける。
理不尽な事があれば、相手が誰であろうと怒る。
困ってる人がいれば声をかける。
捨て猫も何匹拾ってるかわからない。
泣いている子供がいれば、泣き止むまで一緒にいる。
ほら、誰よりもかっこいいでしょ?
そんなあなたの親友であることが私は誇らしいの。
自分の人生に
誇らしさを持てるように
なりたい
誇らしさ
私には弟がいる
それはそれは可愛い弟だった
何でもお姉さん振りたかった私にとって
年下の可愛い弟は天使そのものだった。
私が遊ぶのや喋る事を真似て
何処でも私について生きたがった
そんな弟が愛らしくて仕方がなかった。
よくお姉ちゃんなんだから
しっかりする!守る!
…と自分から言っていた。
そこから少し経ち
弟はとても頭が良い天才だと
よく言われるようになった。
私はとても誇らしかった。
お姉ちゃんとして
よく導いてきたお手本として。
本当に心から
弟が褒められるのが嬉しかった
だけど、それがずっと続いて
私の心は変にねじ曲がった
弟は相変わらず天才と言われ
親も段々弟だけを見るようになった
あんなに誇らしかったのに
いつしかその誇らしさは
妬ましさに変わっていた
弟だけずるい。
私がお姉ちゃんなのに。
私の真似をしてきた癖に。
どうして。
可愛い弟は何処にいったの。
こんなの私の弟じゃない。
そう…言ってしまった
弟はただ驚いた顔をして
そして
僕の姉さんは、ずっと姉さんだけだよ
…そう言われてしまった
昔から変わらない真っ直ぐな目をして
…あー馬鹿らしい
私だけが捻くれて
弟は何も変わらず
こんな私を姉だとそう言い切ってくれるのに
…私は今でもこの子のお姉ちゃんなんだ
なら…こんな捻くれてられないや
弟にとって誇らしい姉でありたい。ずっと。
可愛い弟のために。
そんな弟は今度
成人というものになるらしい
成人として私が立派な背中を見せているのだから
絶対立派な大人になれる筈だ。
いつまでもお姉ちゃんは
君への誇らしさでいっぱいだよ。
誇らしさって別、いらなくない?
個人の意見なんてさ、
なんの得にもならないし、
僕にとって誇らしさとはなんだろう。
君が僕に教えてくれた誇らしさは生きるだった。
けれど君はこの世を去った。
今僕が生きて上司に罵倒されて死にかけて過ごせれるのは
君が僕に誇りを与えてくれたからだ。
僕にとっての誇らしさは生きる自分自身であると僕は思う。