誇らしさというものは、ある種自己満足とも言える。
誰もが羨む才能も、きっと、羨望と自慢が交差する自己満足の世界に存在する。
私は彼女に、それに似たような感情を持ちながら、自身と重ねる部分があった。
私だってあの子のように褒められたくて、私だってあの子のように好かれたかった。しかしながら、私はいつだって劣等生で、下から数えた方が随分早かった。だから、確実にあの子よりも能無しであの子のようなものは何も無かった。
しかし、その子の成果すら覆して私が褒められたのは、これだった。
文章。
卒業文集の、なんてことの無い四百字が、あの子よりも勝っているというのだ。今まで私が貼られてきた「劣等生」のレッテルは、その、たった一枚の原稿用紙で値札が貼り変わった。
彼女はそんな私を見て、さすがだね、と言った。
今まで思っていたのなら、もっと早く伝えてくれれば良かったじゃないか。何を、今更。
だけど、地に落ちた私という概念は、その言葉に興奮していた。私にも才能がある、自慢出来ることがある。凄いだろう、ほら、ほらもっと、私を見ろ。
他者からの羨望の眼差しと、自己満足の世界が繋がる。他意識と自意識が、交差する。
上手い文章が書ける、この「私」が、何よりも、どんなものよりも誇らしいのだ。
8/16/2022, 4:30:43 PM