『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【私の当たり前】
皆の当たり前を私には出来ない。朝起きてご飯食べて行ってきますって仕事に行けない。
毎朝、起きたらすぐに吐き気が伴う。実際に吐くことは少ないが体調が良いっていうことがほとんどない。この前よりは体調いいかな?とかそれよりは悪いなとか……。
それでも薬も飲まないとダメだし、ご飯は食べないといけないから何とか朝食を食べ薬を飲む。そして支度をしてるけどどんどん吐き気は強くなる。吐き気が強くなると動悸が激しくなり心臓が飛び出るんじゃないか?ってぐらい動悸が凄いが、仕事に何とか行く。
仕事をするのが当たり前ではないのだ。私にとっては仕事に行けて偉い。よく行けたね。1日ももったの?凄いね!が私の日常。甘えと捉えられるかもしれないし、
体調悪いとき、アピールしてる?って思うかもしれないが、アピールじゃない……。なら代わってくれ。結構普通にキツいからな……。
1ヶ月休みなく行けてるのめちゃくちゃ凄すぎなんですが?
「頑張って」→『いや、かなり頑張ってるんですよ……。』
「辞めるって言わない限りはたぶん平気だよ」→『すみません、もう辞めたいんですが。』
「またそうやって仕事辞めようとしてる?そうやって自分は病気ですってアピールしたいの?別に仕事に慣れてきても気持ち悪いふりしなくていいんだよ。頑張ってること知ってるし」
『吐き気止まらないんです。好きでやってるわけない』
『なら、変わってくれよあんたの元気な心と体を私にくれ。その考え方もくれ。』これが切実な願いであり何にも理解してくれてないよなって感じてしまう。
「働いてるのが偉いんじゃないからな!当たり前なんだぞ!」
『その当たり前が今まで出来ていなかった人間なんです。だからそれを今頑張っているんです。』
だから静かに見守っててください。このやり取りも含めて私の日常。
賞味期限切れ
2024/07/09㈫日記
備蓄するようになって
あまり気にしなくなった。
避難リュックの中身の入れ替えを
ちょっとだけした。
水の賞味期限が切れていた。
ペットボトルの水って
賞味期限切れても飲めるらしいね。
それでも交換したけれど。
賞味期限切れた水は生活用水に
もしもの時に使うつもり。
一昨日、コンビニで一つ買ったら
一つもらえるという販促を知らずに
水を買った。
5本買ったので、引き換えのレシートを持って行くと、あと5本貰える。
半額で買えたことになるから得したな。
水は、もしもの時には足りない気が
ずっとしている。
今夜は素麺で作ったラーメン。
素麺、粉末スープは賞味期限が
切れている。
モヤシと茹でタマゴと叉焼とメンマを乗せて。
備蓄して賞味期限切れた物を
組み合わせて作る料理は、そんなに
悪くないと思うんだけど、人には
勧められないなあ。
「昨夜、何食べた?」と仕事場の
女性が時々、聞いて来るんだよね。
メニューの参考にしたいそうで。
明日、もしも聞かれたら
ただラーメンと答えよう。
おやすみ。
私の当たり前
私は小さな喫茶店の店主です。
いつも通ってくれる常連さんは、何人かいらっしゃるのですが。
その中でも、最近毎日通ってくれる彼は、今までにいらっしゃらないタイプのお客さんで。
「今日もアンタは綺麗だな、これ、やるよ」
と、店に顔を出しては、私を褒めて。
花束をプレゼントしてくれるのです。
「ありがとうございます。ですが、お客様から物をいただくなんて出来ませんよ」
それに、花束なんて、男の私にあげるより。
花の似合う女性に贈った方が良いのでは?
そう言って、私はいつも、彼からの花束を遠慮するのですが。
「いや、これは客としてじゃなく、一人の男として。
アンタに受け取ってもらいてぇーんだ」
それに、アンタより花が似合うヤツなんて、俺は知らねぇーしな、と。
彼もいつも、私が受け取るまで引き下がらないので。
彼の強引さに負けて、受け取ってしまう私。
ありがとうございます、と。
私が彼からの花束を腕に抱えれば。
彼は鋭い目を細めて、満足そうに笑う。
「やっぱ、アンタには花がよく似合うよ。まぁ、花よりもアンタの方が何倍も綺麗だけどな」
なんて。
あまりにも彼が私を褒めてくださるので、何だか気恥ずかしくなってきてしまう。
「ご注文は?今日もコーヒーでよろしかったでしょうか?」
「あぁ、頼む。アンタがコーヒーを入れる姿は何回見ても見惚れちまう」
そう、また彼が私を褒める。
「ありがとうございます」
私がコーヒーを入れるのを、食い入るように見つめてくる彼の視線が、熱くて。
恥ずかしい……のに、心地良く感じるようになったのは、つい最近のこと。
「お待たせいたしました」
「おう、さんきゅ」
と、私が差し出したコーヒーカップを手に取り、彼がゆっくりと口をつけた。
そして。
「うん、美味い。アンタの入れるコーヒーは最高だ」
なんて。
浮かべていた笑みを深める彼。
普段は鋭い目付きから、近寄り難い雰囲気がある彼だが。
意外にも笑顔を見せてくれるし、笑うとどことなく子供っぽくもなって、可愛らしく感じる。
そう伝えれば、貴方はどんな顔をするのだろう。
見てみたい気もするけれど、彼は大切な常連様だ。
気分を害してしまうようなことは、あってはならないし。
それで、彼がお店に来てくれなくなるのは。
何より、私が寂しいから。
だから、どうか。
明日も明後日も、私に笑顔を見せに来てくださいね。
貴方の存在が、私の当たり前になってしまったんです。
そんな思いを込めて、いつも、彼にコーヒーを入れる私だった。
End
言葉選びを間違えた、とでも言うべきか
授業中、分袖の裾から見えた無数の傷に気づいてしまった。
「カミソリ?」
「え、あうん。切った」
ここで間違えた。
切った、じゃなくて切れたで良かった
まだ誤魔化しようがあった。
腕は先生にとめられたから、腕じゃないならいいのかと
足を切った。
ばれた、夏が熱いせいだ。
気づかなくてよかった、気づいても見ていないふりをして欲しかった。
こんな腕をさらけだしといて我ながら理不尽だと思う。
猫のせいにした、さすがに無理があった。
なんだか猫に罪悪感を抱いた。
とは言っても数センチの傷、かまってちゃんだという自覚はあるが
逆に堂々としていればバレないと思っていたのもまた事実。
それなら堂々とかまってちゃんをしていればよかったと後悔する。
最後の最後には
なんだか自分というものが分からなくなってしまった。
ほんとうにつらそうなひとをみるとでんせんしちゃうね
ねるねるねるねの色が変わるのは
当然だと思っていた。
私の当たり前は
あなたにとっての
非常識だったのだ。
人に優しくするのは当たり前。
歳上を敬うのも当たり前。
勉強で良い成績は当たり前。
運動も出来て当たり前。
悪い子は罰を受けて当たり前。
そう私に教えてくれた母はとても厳しく優しい人だった。
『 私の当たり前』
当たり前のように起きて、
朝ごはんを食べて、
学校に行く。
当たり前のように授業を受けて、
給食を食べて、
部活に行く。
これが私の当たり前。
これは当たり前のように挑戦している証拠。
そして、当たり前のように、誰かに愛してもらい、支えて貰っているということ。
お題《私の当たり前》
日常の片隅空想にふけること。
綴ること。
物語の海を游ぐこと。
ひとりきりの世界に星が瞬き、星の海となる。
ひとりきりじゃない。
私のそばには《物語》があった。
【私の当たり前】
あたりまえ…
毎日かならずメイクする
毎日かならず朝ごはんを食べる
…
私の当たり前はそれくらいかな?
あっ、あと
なるべくいつもおなじでいる
私の当たり前が
あなたの当たり前でないように
あなたの当たり前は
私の当たり前ではない。
なのに
私達が手を取り合って
仲良く前に進めるのは
何故だろう
これが"普通の家庭"そう思っていた。
これが一般の、いや今思えば
"私の普通"だったのかもしれない。
私の家庭は片親で祖母が居て姉がいて私が居るそんな家庭だった
母は、私と姉を何時もほったらかすんだ。
買い物行こうとか言ってみても仕事,仕事ばっかでなにもしてくれない。
誕生日だって1度も当日に祝ってもらったこともないし、
仮に祝ってくれても1年後や半月後とかだ。
家の母は育児放棄をしているのと同じなんだ。
1週間帰ってこなかったりする時もあるし、それなのにいつもいつも祖母にお金せびって返すからなんて言葉聞きあきた。
そのセビルたんびに祖母が怒り私は恐怖心でいっぱいだった。
もしな寝てる時に母が祖母を殺しに来たら、とかそんなだ。
寝る時いつも必死に願うんだ。平和で寝れるように。
祖母がいなければ母は私たちにお金をせびっていたかもしれない。
虐待するかもしれない。育児放棄で警察に連れていかれてたかもしれない。
でもつい最近までこれは普通の家庭も一緒だと思っていた。
でも友達に話すうちにズレに気付くようになった。
それから気づいたんだ。私の普通は皆の普通じゃないって。
もう辛いや 笑
家に帰れば愛犬がいる。
それが私の当たり前。
ずっと続いてくれたらいいのに。
無理だとわかっていても、そう願ってしまう。
私の当たり前
私は幼い頃から、人と関わる事が苦手で小学生の時も中学生の時も友達もほとんど居なかった。そのため学校生活にずっと孤独を感じていた。それは高校生になった今も変わらないままだった。
そんな時に当たり前について考え始めた。私にとっての当たり前はありのままで常に自分らしく居る事。どんなに辛くて苦しくても自分らしく居れればそれで良いんだと自分の心に言い聞かせてきた。心が折れそうになったときでも自分らしく居るという事を大事にしたいと思う。
私の当たり前は、一年前から始まった。
一年前までは引きこもりだったけど、アルバイトを始めて、もう一年。
すっかりアルバイトにも慣れた。
頑張ったね、私。
先生曰くわたしは「誰も」信じていないらしい。自分の親すら信じることができていないのだという。
ストンと腑に落ちたことにびっくりした。
ただ、いくら長く一緒にいる人だろうとも、分かり合えない感情はあるんだから。全てを信じるのは無理だろう。そう思って母に、
「いくらなんでも全部相手に預けるのは無理あるよね、?」
と聞いたら、少しショックそうにしていた。
母にとっては目の前の相手によりかかるのは当たり前らしい。わたしは初めて、自分の当たり前が少し寂しいものなんだと自覚した。
私の当たり前
自分の人生になかったことが気になった曲の歌詞にでてちょっと悲しくなる
寂しいけど一人は大好きで
明るめのラブソングは解釈不一致で
何者かになるでしょう、ならなければいけないっていう予報が私の当たり前で
レプリカ、ダミー、劣化版
にならないよう足掻いている感覚が常に背後にある
目覚めながら絶望しているけど
一日の中で品なく笑えるのならきっと大丈夫ではある
最近好きなことが習慣に、言い換えて私の当たり前になった
意外と日常への痛み止めになっている
【書く練習】
仕事で一日誰とも話さないと
退社後に悪口を言われてる気がして
いてもたってもいられなくなる
誰にも頼れないと精神的に苦しい
苦しいが積み重なると悲しくなる
悲しくて悲しくて自己肯定感が著しく下がる
自分の存在が無用に扱われるようで
恐ろしくなりじっとしていられない
いっそ駆け出したくなる
周りの空気が悪い気がして息がしずらい
呼吸が浅く短くなる
周りの空気が纏わりついて自分を押し潰そうとしてくる
自然と下を向き肩が落ちる
歩くのがしんどい
足が重い
嫌だ
毎日ママが起こしてくれて、毎日ママが洗ってくれたシャツを着て、毎日ママが作ってくれるご飯を食べて、それが私の当たり前。
ねえ、当たり前はいつまでも続くものっていつから錯覚していたの?
私は小さくなったママを抱きしめた。
他人の当たり前、となると、それは常識のことを問われているのだろうか、と感じる。
私の当たり前。他人と同じではないところか。
つくづく思うのだが、私は「他の人も同じだろう」と思うことで安心感を得ることもあれば、「これは私だけがしていることだ」とマイノリティに属することで優越に浸ったりしている。
「当たり前」とまで言える領域に達していないこと言える。読書だとか。
だが、当たり前とは、言い換えれば習慣だ。
「習慣にしたい」とか、そういう意識を持ってしまったら余計やる気がなくなる。なんのために読書習慣をつけたいのか忘れてしまいそうになる。
何度も考えているのだが、これは自己目的化と環境の問題なんだと思う。
読書そのものを楽しむ意識を持つ。後は環境。
環境のせいにしないようには、やはり環境をデザインするしかない、と今の私は思っている。
スマホを触ってしまうなら、スマホを封印していればよい。単純だ。自制心なんて関係ない。
まあ、休みの日位しかうまくいかないのだが。
やりたいことには二種類あると感じる。
一つ目は刹那的なやりたいこと。これは半ば無意識的なものだ。惰性ともいう。なんとなくツイッターを見てしまったり、スマホを触っていたり、気づいたらユーチューブを開いていたりと。スマホ依存なんじゃないかと思うくらい、私はスマホがあるとダメ人間になる。
二つ目は、少しハードルが高いが、その分リターンも大きい意識的な行為だ。読書であったり、買い物であったり、まず意識しなくてはできないような行為。
お題から話がそれたが、私が言いたいことは「当たり前(習慣)を作れたとしても、本来の目的を忘れてしまっては意味がないし、いやいややりながら習慣を樹立させることはまず無理だから、自己目的化と環境を意識して当たり前を作っていこう」ということだ。
動物が好き
緑色が好き
メロンが好き
マンガが好き
アイスクリームが好き
ずっと変わらない 私の「当たり前」
#私の当たり前