ぬえ

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他人の当たり前、となると、それは常識のことを問われているのだろうか、と感じる。

私の当たり前。他人と同じではないところか。

つくづく思うのだが、私は「他の人も同じだろう」と思うことで安心感を得ることもあれば、「これは私だけがしていることだ」とマイノリティに属することで優越に浸ったりしている。

「当たり前」とまで言える領域に達していないこと言える。読書だとか。

だが、当たり前とは、言い換えれば習慣だ。

「習慣にしたい」とか、そういう意識を持ってしまったら余計やる気がなくなる。なんのために読書習慣をつけたいのか忘れてしまいそうになる。

何度も考えているのだが、これは自己目的化と環境の問題なんだと思う。

読書そのものを楽しむ意識を持つ。後は環境。

環境のせいにしないようには、やはり環境をデザインするしかない、と今の私は思っている。

スマホを触ってしまうなら、スマホを封印していればよい。単純だ。自制心なんて関係ない。

まあ、休みの日位しかうまくいかないのだが。

やりたいことには二種類あると感じる。

一つ目は刹那的なやりたいこと。これは半ば無意識的なものだ。惰性ともいう。なんとなくツイッターを見てしまったり、スマホを触っていたり、気づいたらユーチューブを開いていたりと。スマホ依存なんじゃないかと思うくらい、私はスマホがあるとダメ人間になる。

二つ目は、少しハードルが高いが、その分リターンも大きい意識的な行為だ。読書であったり、買い物であったり、まず意識しなくてはできないような行為。

お題から話がそれたが、私が言いたいことは「当たり前(習慣)を作れたとしても、本来の目的を忘れてしまっては意味がないし、いやいややりながら習慣を樹立させることはまず無理だから、自己目的化と環境を意識して当たり前を作っていこう」ということだ。

7/9/2024, 12:28:20 PM