『私の名前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私、アラカンのおばさんなんやけど、めちゃくちゃ昭和やねん、私の名前。
平和の和に恵むって書いて、和恵。
名前に濁点が入ってるの嫌やったわ。
「ず」ってな〜。
まぁそれで「ずー」っていうアカウント名つけたんやけどな。
せめて「和子」か「和美」やつたらよかったのに「ずえ」っていう響きがイヤやねん。
自分の名前が好きっていう人は羨ましい。
【私の名前】
わたしはずっとNoName
これまでも
これから先も
名無しの気楽さよ
どうしてこの名前にしたのかよくわからない。
この字が好きだからこの名前にしたのかもしれない。
でも今後名前を変えるかもしれない。
よくわからない。
私は母がつけてくれた!
アニメの主人公。
主人公のように器用でもないしバラ色人生じゃないけど楽しく生きれれ日それで良い!
「私の名前」
私の名前。私は自分の名前が好きではなかった。
でも、ある時君が、私の名前を「良い名前だね!」と褒めてくれた。それからは、自分の名前が少し好きになった。
君に、名前を呼ばれると嬉しくなる。
人と話すことで考え方が変わる事は本当にあるんだなと思った。
私の名前は非常に簡単な文字だけで構成されていて、小学一年生でも習った漢字でかける。
しかも名前は平仮名だから、色んな人に覚えてもらいやすいし、テストもタイムロスにならないから助かっていた。でも、私もたまに考えるんだけど、私の名前の由来ってなんだろう。
私の下の名前は「ゆう」響もなかなか良いし、困ってない。
そして私は昨日聞いてみた。晩御飯の私が作った麻婆豆腐を食べながら、私の名前の由来はなに?と聞いてみた。平仮名だから分かりにくい。勇とも優ともかんじる。
お母さんは答えた。夕方に生まれたからゆう。そのまま過ぎて泣いた。前授業で由来を聞いてくるようにと言われた時、聞きそびれて一人だけ由来言えなかったけど、それでよかった。こんなんじゃ馬鹿にされる。
私はひどいと思いながらも、お姉ちゃんの名前の由来を聞いてみた。お姉ちゃんは極極普通の由来だった。
私は辛くなった。私は末っ子だからお母さんも名前つけるのがめんどくさくなって、適当につけたんだ。
私が生まれて良いことってなかったんだ。
そう思った時だった。お母さんは私を見て察したように言った。
「ただの夕方じゃなくてね、あなたが生まれた時、私が人生で見た夕日の中で、断トツで綺麗だったのよ。夕陽にさらされた貴方は薄い皮膚が透けて、小さい血管が巡っていて、とても感動したわ。その時私とお父さんは貴方を絶対に幸せにするって決めたのよ。」
「だから「ゆう」あの夕日のような世界一綺麗で、静かなのに存在感のある光った子になって欲しいっていう想いが込められているのよ。でも、もし貴方がこの名前が嫌だって思ったなら、ごめんなさい。貴方がどう思うのかもしっかり考えた方がよかったかもしれないね。」
私はそれを聞いて危うく泣きそうになった。目尻が熱くなってあと何秒かその場にいたら声をあげて泣き出してしまったと思う。
それから私は自分の名前に誇りを持つようになった。
変なやつに揶揄われても気にしなかった。ゆうと呼ばれるたび自信をもって手を挙げた。
お題「私の名前」
【私の名前】
小さな頃は、自分と似たような名前が周りには居なくて、仲間はずれのように感じてしまい、いつも両親に向かって泣いて怒っていた。
だけれど成長した今はこの名前でよかったな、この名前で嬉しいな、などの気持ちが湧き上がってくる。
きっと、生まれて最初にもらった自分だけのものだからだね。
私の名前
私の名前は特別
私のお気に入り
この名前にしてくれてありがとう。
私の名前
自分の本当の名の意味を書いてみたいとも思うが、さすがに本名バレは不味いだろう。
だから、『roa』の名前の由来、それを書いてみようと思う。
改めて自己紹介のような事をするが、僕の名前はroa、読み方はそのままにロアだ。
深い意味はない。ただ、ポケモンのゾロア、からきている事は知っている。
知っている、と言うのは、この名前は僕が僕自身につけた名前ではないからだ。
この名前は、大切なネット友達が付けてくれた、大切な名前。
『ゾロア好きー?じゃあニックネームはロア、ろあ!』と、付けてくれた。
それ以来、ネットの中での僕は、roaだ。
本名なんて知らない。僕はroa。
大切なあの子が付けてくれたこの名前を、僕はきっと、これからも名乗り続ける。
私の名前は
ある有名人の一文字を頂いたもの。
母が大ファンだったらしい。
当然ながら私の産まれる前からの話しで
あるが、私としてはこどもの名前に付けるほど
ミーファーな母には見えず不思議な気持ちである。
当然ながら母にも出産前の自分のストーリーがある。
知りたいような知りたくないような
ちょっと複雑な気持ちである。
みんなみんなマイストーリがある
私のマイストーリはそんな母の思いから始まっている
私の名前は中身はまだない。
自己紹介がてら、名前の由来でも言おうか。
中身は、人間の性格や人生などをまとめたもので
まだないはそれが定まっていないから、
この名前にした。
派生も居るのだ。
良いでしょ?
私は私に自信があると思うかい。
そんなん、ないよ。
そこへ道端にたまたま歩いていた人や
とある人が言った。
"性根が腐ってるな、コイツ。やばぁ。"
同類だよ?
早く気付いてよ。自分も惨めで可哀相な事を。
あは。あはは。あの声も、雑音も嫌悪も何もかも
気持ち悪い。感情、五感、無くなってよ。ねぇ。
もう嫌だ、思い出したくない。
吹っ切れて何処かに消えていきたいな。
はぁ、どーでも良いからさっさと居なくなって。
"虚言と真言を間違えたら行けないよ?"
"ちゃんと言葉を確認して読み返してね。"
"中身は虚空だよ、だって人間じゃないもの。"
なんてね。
私の名前
姓も名もあまりない名前
同姓同名はもちろん出会ったことがない
字面だけ見ると
とても堅苦しい感じがする角張った字
でも名の響きは
爽やかさがある
と私は思っている
名付けは母
姓はそのうち変わるかもしれないけれど
爽やかに軽やかに生きていきたい
「私の名前」
母の名は、母を取り上げたお産婆さんの名であるらしい。
母はもう亡いが、私がもちろん母の名を覚えている。
法事などお寺に提出する書類にその名を書くと、懐かしくなる。
2人分の名でもあったなと、時に思う。
父の名はとある有名な軍人さんと同姓同名で、
私はその人のエピソードすらあまり知らないけれど、勝手に親近感を抱いている。遠い遠い透明な糸のような縁、だなと思う。
そんな縁が美しく、この世を駆け巡っているのは、
なかなか、悪くないと思う。
私の名は、もし母がつけていたら「エセル」になっていたらしい。
でも、父がつけたので平凡なよくある名前だ。
母の趣味は可愛いし、父の趣味は…もしかしたら好きだった誰かの名前?…と思ったりして興味深い。
この私の本当の名前の由来は、よく考えたら全然わからない。
もしも生まれる前の私がこの名前を決めたなら、
好きも嫌いもなく、果てしなくフラットなこの感じは、絶妙だなと褒めてあげてもいい。
私の名前
未穂も水野も書くために着けた名前のはずだけど由来がちゃんとあるんよね
私は実際の友達をともにしてるから、友達の性格から表した子がほとんどだと思う!
未穂…ふわって感じの穏やかな子で、未知の世界とかを信じているから。
稔美乃…容姿が可愛くモテる子だけど、性格が悪くはないけど、一部から嫌われているから。
水野…何処にいても面倒くさそうにしていて、いやなことも水に流して切り替えられるから。
私は華乃だけど、周りから「華やかで優しい子!」だけど「テンションが乃みたいにガタガタしてるから!」って偽名決めました!
名前の理由聞くと泣くんだよね、
7月20日ってきりがよく感じるの!
20だから?
7月20日お誕生日の方おめでとうございます!名前の理由聞いてみては?
私の名前は、
鎌倉の有名な神社の神主様が
考えられて頂いたもの。
名前負けしてるけど
結構気に入っている。
けど、貴方が私の本名を知る事はないだろうな。
貴方が知っている私の名前も
私が知る貴方の名前も
この関係性で作られた偽物の名前
けど、名前に拘ってないから
いいよ
貴方は貴方だもん
そこにいてくれるだけで、
私は貴男の名前を呼ぶし
貴方も私の名前を呼んでくれる
会いたくなるなぁ
そんな貴方に。
私の名前は、柚に帆でゆずほ。
一度では覚えてもらえないし一発で読んでももらえなくて嫌だなって思うこと何度もあるけど、お母さんとお父さんから、ゆずほって呼んでもらえるとこの名前でよかったなって思うよ。
私の名前
わたしは自分の名前が大嫌いだった。
中学時代の同級生にわたしと同じ名前の子が2人いた。
1人は美人で、勉強ができて、絵が上手で、運動もできる。完璧な子だった。
もう1人は真面目で、勉強ができて、運動ができて、先生から頼られて、お友達からも愛されてる。優等生という言葉が似合う子だった。
わたしはそんな子たちと名前が一緒のことを何度恨んだことか。わたしの努力不足ってことは知ってる。その子たちが努力してることも知ってる。でも生まれ持ったものが違いすぎる。どうして。何回も名前を変えたいって思った。
そんなことをだいすきな人に話した。そんなことで、みたいな表情をされてしまったが、中学生の頃のわたしにとっては、そんなことが全てだった。
今では自分の名前を少しはすきになれたと思う。
同じ名前の人がクラスにいないから、みんな下の名前で呼んでくれる。何だかなれない感じがするけど、すごくうれしい。今まで苗字で呼ばれていたから、名前で呼ばれるってこんなにうれしいことなんだなってはじめて思った。名前で呼ばれる度に、「そっか、わたしのことか」って思ってる。
それに、だいすきな人が名前で呼んでくれるようになった。優しい声で呼ばれる度になんだかくすぐったい感じがする。うれしい。LINEではじめてあなたがわたしの名前を書いてくれたとき、すごくうれしかった。
自分の名前なのに自分の名前じゃない気がした。今でも見返しちゃう。
わたしは、中学を卒業して出会えた大切な人たちと、だいすきな人のおかげで自分の名前が少しすきになれた。些細なことかも知れないけれど、ありがとうって伝えさせて。
このアプリでは、ペンネーム的な物がある。僕は設定していないので、NoNameと表示されるのだが、なんか、名前がないって嫌だなぁ。なにか、設定しようか。
なんで名前がないのが嫌なのか。それはやはり、自分を表すものだからではないか。それがないと、存在価値を見出すのが難しくなるからではないか。ただ、名前など、自分を表す記号に過ぎないのではないか。真鍋利香という名前だからといって、理科の教師になれということではない(意味が分からない人は『N』、読んでみて)。でも、その記号を生涯大切にする人が多いのは、そこに思いがこもっているからだと思う。
僕のペンネーム、何がいいかなぁ。さすがに本名は嫌だし、、、うぅん、まぁ、1週間以内に考えます。
私の名前は富です
読みはふです
全部此位の画数です
名前は書くのが一苦労です
でも大人になっていい名前を貰ったと思っています
よく言い間違いや書き間違われます
自分の名前を探すのは好きです
一周年記念日おめでとう
空の雲顔いつぱいの白雨美つ
この間フラッペ食べた
アロエヨーグルト
私の名前78
ありがとう嬉しいです
私の名前
昔から、物心付く前から、実は嫌い。
動揺とか、歌謡曲等で歌われる名前。
古臭い。いじられて嫌。挙げ句、漢字では
必ず読み間違えられる。
読み間違えられた名前の方がずっと良かった。
今もそう思う。
でも、ある職場で名前呼びされるようになった時、「‥いいかも」と感じるようになった。
その職場から離れて二十年経った今、あの頃のように名前で呼ばれる事はなくなった。
たまに、本当にたまに、あの頃の名前呼びが
恋しくなる。
自分の環境も随分と変わり、守るべきものが
でき、一般的には大人で初老。
だけど、この不意に恋しくなる感情は、
自分の為だけに生きて、好きなことだけしてきたあの頃には戻れない、という現実があるからかもしれない。