『神様へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
神様へ
ある日嬉しい出来事がありました
事態はどんどん進んで
これからしんどい生活から
抜け出して行けそうです
神様、と手を合わせて祈るのは
日々の感謝と敬うこと、
と習った通りに祈ると
心がすっとして
ありがとうございます
素直に感謝できた
このときも
下さった時間なのですね
神様へ
どうか1秒でも長く私を
好きなままいてくれますように
どうかこの大切な日々が
気まぐれじゃありませんように
菫/Chevonより
神様へ
神様ってなんだろうってずっと考えてきた。
きっと自分等よりはるかに大きな存在なのだろう。
そんな存在が、わざわざ人間のことなんて気にかけるとは思えない。
願ったって叶いやしない。
そう思っているから、何を願っても叶わない。
神様なんていない。
全ては自分のせい。
テーマ : 神様へ
神様へ
とにかく感謝です。何もかもに対して。我々、良くも悪くも色々なことやらかしながら、少しずつ前には進めてると思います。どうか退屈せず、これからも見守って下さると幸いです。
大変恐縮ですが、よろしくお願い致します。
憶村 燎
消えゆくものよ、消えゆくものよ。
どうしてあなたは消えたのですか。
どうして去らねばならぬのですか。
雲一つない。ああ、何ら一つもない。
広大な海。ああ、何て広いのだろう。
果てしない。ああ、何て果てしない。
何も感じない。何も感じない。
空虚に思うことすらも。
分からない。何も分からない。
どうして、私はここに。
生けるものよ、生けるものよ。
さらば。永遠に、おさらば。
ご無事で。永遠に、ご無事で。
私は独りだ。ああ、私は独りだ。
好い天気だ。ああ、何て好い天気だ。
【逃げ道無しの神様道】
捧げます。我らが神に。
愚かにも、単独で邂逅しようとした、貴方の信者を名乗る偽物を。
貴方が欲されたので、捧げます。
我らの神よ、貴方は知っている筈だ。
我々の神様への、捧げ物は貴方であることを。
逃げようだなんて、思わないで下さいね。
貴方は我らの神なのですから。
書く習慣:本日のお題「神様へ」
【注意】ゲーム『SIREN: New Translation』のネタバレ及び宗教に関する内容を含みます。
神様へ
いつもお世話になっております。
今日も生きて家に帰れましたこと、感謝いたします。
願わくは、明日も苦痛少なく過ごせますように。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
神頼みをすると、願いが叶わなかった時の精神が非常によろしくなくなるため、困った時はなるべく神様に頼らないようにしている。
その代わり、なんてことのない時に、いつもつつがなく暮らせていることに感謝して「今後ともよろしく」と祈っている。
「神様へ」の3文字から連想する神様は何だろう。
神社に祀られている神様か、教会で祈りを捧げる神様か。
それとも、もっとざっくりと「空にいるイメージのある何らかの神様」なのか。
『SIREN:NT』というゲームがある。もう20年近く前に発売された作品だが、YouTubeには昨年にも「ストーリーの一気見動画」などがアップされており、根強い人気がある。
ゲーム内の重要キャラクターとして神様が出てくる。ゲームの設定だから何でもアリではあるのだが、しかしSIREN:NTの舞台・羽生蛇村の神様の扱いには唸らされるものがある。
ここから先はネタバレ注意だ。
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羽生蛇村独自の宗教・眞魚教(まなきょう)は、ストーリーを知らない状態で見ると、「江戸時代の隠れキリシタンの影響を受けているなあ」という感じである。
しかし、ゲームを進めてアーカイブを取得したり、ストーリーを最後まで見たりすると、江戸時代の隠れキリシタンよりもっと前からキリスト教の影響を受けていたことがわかる。
ゲーム内アーカイブのNo.047『羽生蛇村民話集』で、「ある人物が飢饉の際に空から降ってきた神様を食べた」ことが明かされる。
私はキリスト教をふんわりとしか知らないが、聖体拝領っぽい発想だなあと思う。
眞魚教のシンボルである「マナ字架」(生の字を逆さにしたデザイン)は、「生(ナマ)」を逆から読んで「マナ」だ。
私にSIREN:NTを布教した友人の考察によると、眞魚教の「マナ」は「生」の逆(生きない→死)であると同時に、旧約聖書に出てくる食べ物「マナ」ともダブルミーニングになっているのではないかということだ。
7世紀末、飢饉に見舞われた羽生蛇村で神様を食べちゃった人は、おそらくもともとはキリスト教徒だった。彼女の背景を踏まえると、空から降ってきた神様を旧約聖書のマナに見立てる発想はごく自然なものに思われる。
ゲーム内アーカイブのNo.001は『天地救之伝』、眞魚教の聖典だ。その最終巻部分に、このような記載がある。
"優しい神様は彼女に永遠の命を与えました。
私はアルファであり、オメガであり、初めであり、終わりであり、聖なるミートローフである!"
食べた側の主観では「優しい神様が永遠の命を与えた」認識になっている。神に呪われて不死にされてしまったという認識よりはマシになるし、私が彼女でもそのように言い換えると思う。仲間意識を感じる。
「アルファであり、オメガであり、初めであり、終わりであ」るというのは、新約聖書に登場する言葉だ。聖書でその言葉の続きを読むと、「わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる」と書いてあった。というか聖書から神様の台詞を引用してくる10歳、すごいな……。
ところで、最近のX(旧Twitter)では第二次バベルの塔とも言うべき事態が起きた。日本語に翻訳された海外のツイートが、おすすめ欄に流れてくるようになったのだ。
私にとってはタイムリーなことに、フランス語から翻訳されたポストが流れ着いた。
"ねえ、日本人のみんな、神道では神様が何百万もいるって聞いたんだけど、どうやってどの神様に祈ればいいか分かるの? 😅 西洋では一つの神様に祈るのに慣れてるから、こんな質問になっちゃうんだよね。"
このポストを引用した日本語のポストが秀逸だった。
"分からない
俺達は雰囲気で神道をやっている"
一部の日本人には見慣れたネットミームだが、海外勢に通じるだろうか。
もしかしたら、SIREN:NTの「アルファであり、オメガであり」の一節も、我々にとってのミームのように馴染み深い文言なのかもしれない。
神様へ
いつも見守ってくださって
願いを聞き届けてくださって
危ない時必ず助けてくれて
全てを最善に運んでくださってありがとうございます
ここでの暮らしも穏やかに過ごすことができています
子どもたちのこと守ってくださって本当にありがとうございます
これからも
彼らが彼らの道を彼らの足で歩いていけるように守ってください
おかげさまでここに来てからも色んなことを経験し
自分の心と合流できたように思います
ここに至るまでの全てに感謝します
共にテントを張る仲間たちと笑い転げ遊び倒す
生み出し笑い遊ぶ眠ってまた笑って
そういうことで過ぎていく
6月ごろからですか?
そんな感じ楽しみにしています
#神様へ
かみさまへ
ぼくいがいのだれかが
しなないようにしてください
すくなくとも
ぼくよりさきにしなせないでください
みんながんばってます
ぼくよりがんばってます
そんななさけないぼくが
みんなよりながいきするのは
よくないことだと
おもうのです
『神様へ』
神様へ、
いつもありがとうございます。
願わくば、
二度寝する権利をください。
おやすみなさい。
今世に送り出していただき
ありがとうございます♪
今日まであなたに導かれ
見守られてきました。
でもずっとあなた頼みだけできた
わけではないとも思っています
今後も怠らず生きて行きます
すべてはあなたの手のひらにあると
わかっていても
1個だけ、わがままを聞いてくれませんか
どうしても声を聞きたいと望んだこと
どうしても忘れられない日々のこと
どうしても思い出してしまうこと
どうか、私の中にいる大切な人たちが
幸せでいてくれますように。
お題「神様へ」(雑記・途中投稿)
神なんていない。いたらあんなゴミクズが生まれるはずも生きているはずもない。
神様へ
『ほら神様が見てるよ』
鳥居に向かって指を指すその先、境内の向こうその先にある社には天神様がいらっしゃる。
祖母は深々と頭を下げ、を手を合わせては何処にも見えない『神様』に日々の感謝を伝える。
その尊さは、私が祖母の年齢を超えた今になってわかるようになった。
かつての自分と同じ年の孫は不思議そうに境内を歩く。キョロキョロとしながら社の前に立つ小さな手を自分の皺が刻み込まれた手で包み込んだ。
『ほら、神様にお願いしようね』
最近関節が少し痛む膝を気にしながら屈むとキョトンとした大きな瞳が困ったような色をした。
『お婆ちゃん、神様は何処にいるの?』
幼児らしい困惑に懐かしさと愛おしさが胸を焦がす。祖母もまた、当時はそう思ったかもしれない。思っていたらいいと思う。
『神様はね、目に見えないけれどちゃんと心の中に居るんだよ。』
『そうなの』
『神様は目に見えないからこうやって目を閉じるの。』
二礼一拍
立ち上がって見本を見せるとおずおずと小さな手が真似をする。
『そうするとね、心の中に大切な人が見えるでしょう。神様がその人の姿を借りて見にきてくれるんだよ。だからその人にありがとうって伝えようね』
深々と頭を下げてみせる。
孫はこちらを見ると意気揚々と頭を下げた。
『神様ありがとうございました!』
その姿に自分はもちろん、後ろに並んだ人たちもが笑顔になった。
帰り道、手を繋いで境内を出る。
嬉しそうにブンブンと小さな手が振られている。
懐かしさが胸に満ちては、戻らない時間を愛しさと違う痛みが宿った。
『そういえば神様は何で言っていた?』
祖母は私によくそう言った。
懐かしい日々を重ねたただの気まぐれにすぎない。祖母と同じように⛩️の先の社を指差す。
孫は小さな手を大きく掲げて手を振った。
まるで社の向こうに誰かいるかのように。
そして笑ってこう言った。
『またおいでね。いつも見てるよって』
ばあちゃんに似たお婆ちゃんだったよ。
幼い目に誰が映ったのかはわからない。
けれど鳥居の向こうのその先に
優しく微笑みながら立つ祖母の姿が見えた気がして私は社に向かって感謝を込めて深々と頭を下げた
お題[神様へ]
あなたは、どんな気持ちで世界を眺めていますか?
人々の願いを聞いてどう感じますか?
あるいは聞いてなどいないのでしょうか。
それでも私はこう問いたい。
どうしてこんな辛い世にしたのですか?
誰もが下を向き、現実から目を背けてしまうほどの辛い世に。
それはまるで終わりの見えないじめじめとしたトンネルを、光もなく歩いているかのよう。
長く果てもなく辛い…
ああ、神様。
あなたにまだ願いを聞き届ける気があるのなら、少しでいい、明るい光を見せて欲しい。
そう願わずには居られないのです。
目に見えない理不尽さ
優しきひとが損をする悔しさ
代わってあげたい、それが叶わぬ歯痒さ
私はそれらを神様のせいにする
どうにもならない現実を叫んでも
ただ悲しくなるぐらいなら
怒りをちからにかえて動いたほうがいい
私のことはもういいのだ
先立っていった仲良しの皆んなは
当たり前に私より先であってはいけない
存在だった
泣いても笑っても受け入れ難い気持ちを
神様のせいにしたとき少し楽になれた
生身の人間に不条理さをこじ付けたり
怒りを撒き散らかすより
見えない神様に不満をぶつける事で
どうにかなっている
生きてる限り周りに自分以外の
何者かがいるから
いつ傷つけてしまってもおかしくない
だから神様のせいにする
私が死んで、神様にお会い出来たその時には罰を受けるつもり。
いつかきちんと謝ります…心から。
でも今は全部押し付けて
ずるく生きる他に生き方がわからないんです。致し方ないんです。
神様へ
世界中 どこにいっても笑顔が溢れていますように…
神様へ
神様。いつもありがとうございます。
ピンチのときにも最後は助け舟だして頂いてますよね。
ときに、いろいろあって失敗しても、結局は・・ですね。
こんなにいろんな経験ができていること、
楽しんだり、悲しんだり、頑張ったり、ダラダラしたり、
イヤイヤ・・何もしなかったり、ラジバンダリ(笑)
振り返ると恵まれた日々で御座います。
今、この時、神様にお伝えしておきます。
本当にありがとうございます。ココロからお伝えシマス。
ただ、怖いのは
ボクはとても弱い人間なので、この"感謝"を、
いつ、何時、翻すかもわからんのです。
先に言わせて下さい。ごめんなさい。
出来ることなら、この感謝を忘れたくない。
でも、ホンの些細な痛みでも
自分で招いた不都合でも
最初からわかっている結末でも
貴方のせいにしかねないのがボクなのです。
貴方のせいにして
貴方のお陰にして
これからもしあわせに生きて行きます。
神様へ
拝啓 神様へ
フランクにお伝えしますと
お洗濯物、外のベランダに干してきちゃったよ
午後から雨降るらしい
『やってしまったな……』と思いつつ駅の改札に入り通勤電車に乗る
昨夜は遅くて結構お疲れなまま朝、洗濯機を回したのにな……昨夜だって会社のお達しの飲み会なので仕事なのですよ
お洗濯物は雨に濡れたら洗い直しだな……
神様、世の中にはもっと大変な人がいます
これくらいで助けて!とは言いません
ただ聞いて欲しかったんです
結構 頑張っては失敗している私もキツいです
貴方が
幸せなのならば
それでいい
そんなに
私は強くない
貴方と私
一緒に
幸せになりたい
by『神様へ』