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書く習慣:本日のお題「神様へ」

【注意】ゲーム『SIREN: New Translation』のネタバレ及び宗教に関する内容を含みます。

神様へ

いつもお世話になっております。
今日も生きて家に帰れましたこと、感謝いたします。
願わくは、明日も苦痛少なく過ごせますように。
今後ともどうぞよろしくお願いします。

神頼みをすると、願いが叶わなかった時の精神が非常によろしくなくなるため、困った時はなるべく神様に頼らないようにしている。

その代わり、なんてことのない時に、いつもつつがなく暮らせていることに感謝して「今後ともよろしく」と祈っている。

「神様へ」の3文字から連想する神様は何だろう。
神社に祀られている神様か、教会で祈りを捧げる神様か。
それとも、もっとざっくりと「空にいるイメージのある何らかの神様」なのか。

『SIREN:NT』というゲームがある。もう20年近く前に発売された作品だが、YouTubeには昨年にも「ストーリーの一気見動画」などがアップされており、根強い人気がある。
ゲーム内の重要キャラクターとして神様が出てくる。ゲームの設定だから何でもアリではあるのだが、しかしSIREN:NTの舞台・羽生蛇村の神様の扱いには唸らされるものがある。

ここから先はネタバレ注意だ。









羽生蛇村独自の宗教・眞魚教(まなきょう)は、ストーリーを知らない状態で見ると、「江戸時代の隠れキリシタンの影響を受けているなあ」という感じである。

しかし、ゲームを進めてアーカイブを取得したり、ストーリーを最後まで見たりすると、江戸時代の隠れキリシタンよりもっと前からキリスト教の影響を受けていたことがわかる。

ゲーム内アーカイブのNo.047『羽生蛇村民話集』で、「ある人物が飢饉の際に空から降ってきた神様を食べた」ことが明かされる。

私はキリスト教をふんわりとしか知らないが、聖体拝領っぽい発想だなあと思う。

眞魚教のシンボルである「マナ字架」(生の字を逆さにしたデザイン)は、「生(ナマ)」を逆から読んで「マナ」だ。

私にSIREN:NTを布教した友人の考察によると、眞魚教の「マナ」は「生」の逆(生きない→死)であると同時に、旧約聖書に出てくる食べ物「マナ」ともダブルミーニングになっているのではないかということだ。

7世紀末、飢饉に見舞われた羽生蛇村で神様を食べちゃった人は、おそらくもともとはキリスト教徒だった。彼女の背景を踏まえると、空から降ってきた神様を旧約聖書のマナに見立てる発想はごく自然なものに思われる。

ゲーム内アーカイブのNo.001は『天地救之伝』、眞魚教の聖典だ。その最終巻部分に、このような記載がある。

"優しい神様は彼女に永遠の命を与えました。
私はアルファであり、オメガであり、初めであり、終わりであり、聖なるミートローフである!"

食べた側の主観では「優しい神様が永遠の命を与えた」認識になっている。神に呪われて不死にされてしまったという認識よりはマシになるし、私が彼女でもそのように言い換えると思う。仲間意識を感じる。

「アルファであり、オメガであり、初めであり、終わりであ」るというのは、新約聖書に登場する言葉だ。聖書でその言葉の続きを読むと、「わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる」と書いてあった。というか聖書から神様の台詞を引用してくる10歳、すごいな……。

ところで、最近のX(旧Twitter)では第二次バベルの塔とも言うべき事態が起きた。日本語に翻訳された海外のツイートが、おすすめ欄に流れてくるようになったのだ。

私にとってはタイムリーなことに、フランス語から翻訳されたポストが流れ着いた。

"ねえ、日本人のみんな、神道では神様が何百万もいるって聞いたんだけど、どうやってどの神様に祈ればいいか分かるの? 😅 西洋では一つの神様に祈るのに慣れてるから、こんな質問になっちゃうんだよね。"

このポストを引用した日本語のポストが秀逸だった。

"分からない
俺達は雰囲気で神道をやっている"

一部の日本人には見慣れたネットミームだが、海外勢に通じるだろうか。

もしかしたら、SIREN:NTの「アルファであり、オメガであり」の一節も、我々にとってのミームのように馴染み深い文言なのかもしれない。

4/15/2026, 12:46:02 AM