『神様へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
神様へ、
どうか幸せにしてください。
#『神様へ』
No.91
しあわせ苦しく
悲しみで笑う
----- 神様へ
かみさまへ。かみさまはほんとうにいるのですか?わたしは、まいにちかみさまにおいのりをささげています。あめのひも、かぜのひも、きょうかいにいっていのっています。でも、がっこうではいじわるばかりされます。くつをかくされたり、ものにらくがきされたり、たたかれたり。わたしはこれがとてもいやです。これはかみさまがわたしにくれたしれんなのですか?それとも、ほんとうはかみさまなんかいなくて、わたしはまいにちそんざいしないものにいのっているのですか?
つらいです。かみさま、ほんとうにいるのならわたしをたすけてください。
────これは、数年前に十字架を胸に突き刺して自殺をした少女が書いた最期の日記である。
神様に聞きたいこと
神様はなぜ悪魔を作ったんですか?
人間は試されているんですか?と私は問いたいですね。
あと感謝の気持ちを伝えたいですね
作品No.15【2024/04/15 テーマ:神様へ】
読みたい本がいっぱいあるんだ
だから 神様
私にもう少し
時間と 気力と お金と
本をたくさん置けるスペースをください
【神様へ】
どうか。
どうか。
自分以外の全ての人が、悩まず病まず、いつも幸せに過ごせます様に。
その対価に、自分を捧げるから、どうか。
ぼんやりとした、眠りという休息を不快感なく取るにはどうにも淀みすぎていて、あっても吐き気がするだけな眠気と疲労感、嫌悪感がずっとある。
自分は何かをするにしても、何を見聞きするにしても、いつも何か恐れている。自分のしていることは本当にしていて良いことなのか、目の前の相手が本当に何の打算も悪意もなく自分と接しているのか、自分の考えがそう考えていて良いものなのか、自分の見て聞いているものは本当に幻ではないのか。自分の存在、心の確実性なんていうのは考えるだけ無駄だと強く思ってから見えなくなった。おそらく未だ抱えている他のこともそのうち同じようになるのだろうが、まだ遠い話のような気がする。少なくとも今は何の疑問もなく自らの全てを信頼できるほど物を解ってはいない。
自分は殺されるのが怖い。ただ物理的に殺されるだけならば、死ぬまでの痛覚をある程度恐れはしても死ぬことそのものにはそれほど怖さはない。自分は死ねない殺され方が怖い。全て踏み躙られ貶められるのが、自分の無力が。それ以外の選べた筈の択を取らなかった自分が嫌いで、意思も力も無くその程度でしかない無価値。そうではないのはわかっていてもそう思ってしまう。
長く蹲っていた所から上半身を上げる。己が下敷きにしている、自分の片割れである白服は暫く前から微動だにせず、ただ自分を見ている。その目にはいつものような焼けるが如くの明るさはない。先に自分が絞めた白服の首には痕の一つも残っていなかった。ここでは事象それそのものを個々がそれぞれ自身に反映しようとしなければ何の影響も現さないので当然だった。自分の首には痕がある。
自身の行動の根本的な決定権は自身以外持ち得ないと考るのなら、神とは他ならぬ自分自身なのかもしれない。己が望みそのように動かなければ救いも無い。だからこそ、昔まだ神に祈ることをしていた頃、救われるなぞということも、安らぎを得られることも、一度たりとてなかったのだ。
目尻が妙に冷たい。自分はただ顔を覆う、この己を見られたくなかった。
「君は穢くないし醜くもない。でも真面目が過ぎる。君はほんの小さな子供だった。殺すのはだめだ」
白服がそう言った。自分は何を言えるわけでもなく黙る。
神様へなんていう言葉も祈りも疾うの昔に失くした。母とともに祈る己も死んだ。
「まだ何も信じられなくてもいい。気が済むまで泣こう。ここなら誰も君が泣くのを止めないから」
ただ黒いのだと思った己は黒くしただけだった。ただ白いのだと思った片割れは白いのではなかった。
神様へ
わたしたちをおつくりに
なられた あなた様は
わたしたちをどのように
導かれますか?
2025年にこの国は…
そんな都市伝説(いや、
本当かもしれないけど)
ばかりです。
その答えを知るであろう
あなた様は 鼻で笑って
いらっしゃるのでしょうか?
…ただの無宗教者より。
#10 【神様へ】
この世に神様はいるのだろうか
もしいるとしたら何を願う?
健康か恋愛か
それとも別な何か
『神様へ
願いを叶えてくれるなら
一つだけ叶えてほしい』
その答えは『〇〇〇〇』
【神様へ】
『あそこの教会のシスターさん、信仰心が厚いのよ。』
近所のパン屋さんの口癖はいつも教会に住んでいるシスターの話題だった。
この国は神を第一とし、人々は神の下に皆平等であり、神から生まれた使徒なのだと説いた。
数々の色とりどりの家が並ぶ中、唯一共通していたのは十字架を壁に貼り付けること。
彼らは幼少時代より神を崇め称え、神こそ至高とした。
そんな国にある最大の教会。
マリア様の優美な像と、艶やかなステンドグラスが輝く神聖な場で、神の前に跪き祈りを捧げる1人の娘。
『シルウァ。今日も熱いお祈りだね。どうか彼女が救われますように。』
祈りが終わり、ロザリオを握ったまま目を開けた彼女に、黒服を着た神父が激励の言葉を捧げる。
『ありがとうございます。神父様。神様が皆を天国へ誘いてくれることを望んでおります。』
ブロンドのちゅるちゅるとした髪、宝石よりも輝かしいサファイアの瞳。
彼女はシルウァ。この教会きっての信仰心が厚い信者である。
『もうすぐ、、ですね。』
彼女は美しい金のまつ毛を伏せる。
それは何かを恐れているような、悲しんでいるような顔だった。
神父も居た堪れなくなったのか、彼女の肩に腕を回し、ここにいるというように支える。
『神が定められたものなんだ。』
『だからと言ってこんな、、』
シスターは遂に泣き出してしまった。
この国には、神の預言を聞くものが存在する。
選ばれ者としてその者も神同然のように扱われる。
その者が遂先週ほど、この国は隣国から攻め入られて戦争になるだろうと預言を出した。
そしてそれに勇敢に立ち向かうようにもと。
今まで何気ない日常を送っていた人々は混乱し、どうしていいかわからず涙した。
『神父様。私はその日まで此処で祈ります。皆が救われるように。』
『ああ、、貴方も救われますように。』
2人はお互いに十字架を切った。
ーーー
ドオォォン
ドオォォン
爆撃音と悲鳴が交差する深夜。
地響きが鳴り教会が軋みを上げる中、月夜に照らされた金髪が輝く。
『皆様が救われますように。』
彼女は誰もいなくなった教会で尚も祈り続けていた。
バタン!
『いたぞ!』
低く鋭い声に刺された彼女だが、祈るのをやめない。
隣国の兵士は武装したまま内部に入って行き、次々に破壊した。
『おい。』
兵士が隣にいた兵士に話しかけ、祈り続ける女の元へ視線を向ける。
『おい女。祈りをやめろ。』
銃口を向け、冷酷な目で彼女を見つめる。
『いえ。私は此処にいる皆様の救いをお祈りしています。祈りはやめません。』
凛とした声で言い放った女はまた祈りに向かった。
パァン!
背を向けた女を躊躇もなく撃った兵士。
確かな憎悪と、軽蔑の念を込めていた。
『そんなもの祈っても何もならない。』
ドガアアアアアン
彼はそう言いながらマリア像を破壊した。
『ぁ、、、あ、、』
女は息ができないのか、水に打ち上げられた魚のようにはくはくとしながら壊れ落ちていくマリア像を見つめた。
『か、、みさま、、へ、、届きますように、、』
彼女の瞳は輝きを失い、やがて深海を写した。
だが、彼女は手に持ったロザリオを離さなかった。
これは、戦争により壊滅した国の、狂信的なシスターの話。
「神様へ」
頼ってばかりのこの人生
神頼みは数多あれど
神助けは皆無
神を親と考えるなら
努力している様を見せるのが
報いることになるのかと
思いながら今日も頼む
【題:神様へ】
神様へ
うちなるあなたは
いつでも私を助けてくれます
本当に感謝しています
自分ではないのです
神様がいてくださるからなのです
前向きに生きて行けます
色んなことがあったけど
生きていることに喜びを感じられる
そのことに最大の賛辞を!
心の弱い私には歯止めが利きません。
今日もあなたのお力が必要です。
後悔に滲む視線の先に神々しく光輝く
緑と黄色のボーダー、私の拠り所。
荒ぶる胃をたちどころに鎮めてくれる
「キャベ大明神!!」
成人は1回2錠、1日3回。
高温、直射日光を避け
小児の手の届かない所に保管して下さい。
(神様へ)
【神様(読んでくださる方)へ】
このアプリを初めて早1ヶ月。
どうやら少しだけ息切れをし始めました。。
私の言葉は果たしてどのくらい届いているのか。
「読んでるよ」
という方、どうかハートをくださいな。
神様へ
いつもいつも
優しくもあり
厳しくもあり
私のことを
見守って下さり
ありがとうございます。
色んな神様に
見守られて
愛されて
わたしは
なんとか
生きていられる。
そんな
気が致します。
今まで
沢山のこと
頑張って
参りました。
神様が
かたときも
わたしから
離れず
見守り続けて
下さったからだと
思っております。
これからは
楽しく
自分らしく
生きてよいとのこと。
やっと
そんなときが
わたしにも
巡ってきたんですね。
そのことを
知らされたとき
わたしは
思わず
泣いてしまいました。
いつも
頑張ることしか
頭になくて
いつも
乗り越えることしか
考えられなくて
がむしゃらで
ひたむきな
私がいました。
あなたがたが
いなければ
今日の私は
おりません。
わたしは
死後の世界も
信じております。
どうか
この
1度しかない
人生を
無事に
全う
出来ますように
お導き
下さいませ。
よろしく
お願い致します。
あの世で
笑顔で
お会いしたいです。
天は二物を与えずというが、与える人には三物も四物も与えるし、逆に一物もくれないこともある。
禍福はあざなえる縄のごとしというが、人生の大半ついている人もいれば、全くついていない人もいる。
因果応報というが、悪いことをしてのうのうと生きている人はそこらじゅうにいるし、優しい人が報われない例も山ほどある。
人生はままならない。神様に祈っても通じるとは限らないことは重々承知している。
不安なことが続くと示唆が欲しくて、神様や精神世界など見えざるものを求めたくなるけれど、どうも自分は深遠なことを考えるのは苦手なようだ。
というわけで、神様へ言いたいことは特段ない。
ラッキーなことがあったらなんとなく感謝して、悪いことがあったらマジかーと溜め息をつく。
『神様へ』
どうしてテストの点数が上がらないのでしょうか?
もう死にたいです。助けてください。
『神様へ』
あの日、神様へお頼み申し上げましたが願いは届きませんでした。
だからこそ、人として成長できることも多くありました。
『神様なんて信じない』と思ってしまった浅はかな自分をお許しください。時に試練を与え、幸福の尊さを教えてくださった神様へ感謝いたします。
千秋より
神様へ。
毎日が辛いというおもいだけをさせないでくれてありがとう。
時々すごく幸せな日をくれてありがとう。
これからどんな未来が待っているか自分にはわからないけどそういうのを楽しみながら生きていく。
お題:神様へ
タイトル:神様と運命についての考察
今日のお題はなんだかスピリチュアル。
せっかくなので今日は私の哲学、もとい神様に対する考察を披露しようと思う。
読み始める前に注意点が二つ。
一つは、だらだらと書き続けるので長い上に内容も薄っぺらいものになるということ。
もう一つは、ここに書くのはあくまで私の妄想であり、科学的根拠もないので信じすぎるのは避けること(共感してもらえると泣いて喜びます)。
それでも私の話が気になるというなら、私の自己満足に付き合ってもらいたい。
まず、この世界の仕組みについて。
例えば、「ある少年が膝を擦りむいた」とする。
それは一見すると単純な出来事のようだが、その裏には
「道の上に段差があり」、「段差の上を少年が通り」、「少年が段差に躓き倒れ」、「膝を地面に強くこすった」
というようないくつかの事象が偶然重なり合っている。
これらの事象をここでは仮に「原因」と呼ぶ。
「原因」がいくつか重なり合うと一つの事象(この場合は「少年が膝を擦りむいた」こと)が起こる。
この事象を「結果」とする。
「原因」と「結果」の関係はどんな事象に対しても存在する。
「冷蔵庫に人参とじゃがいもと玉ねぎがあった」から「夕食にカレーを作った」。
「右足と左足を交互に出した」から「歩いた」。
こんな風に一見独立して起こる事象でも、「原因」と「結果」という関係で繋がっている。
また、「結果」はまた別の「結果」を生む「原因」にもなりうる。
「朝寝坊した」から「乗るはずの電車を逃し」、「代わりにバスに乗り」、「素敵な人が隣に座ってきた」
というように、
「原因」→「結果」→「原因」→「結果」→…と事象は連鎖しているのである。
ということは、全ての事象は何らかの「原因」が生み出した「結果」であるといえる。
では一番最初の「原因」とは何だろうか。
生命が地球上に誕生したこと?
いや、それは「地球が生命誕生に適した環境だった」結果である。
では地球が誕生したこと?
いや、それも研究によって地球の成り立ちがわかってきている時点で「結果」なのだ(宇宙に漂っていた塵が集まって〜とかいう話らしいが、詳しくないので割愛する)。
色々考えるうちにたどり着くのは「宇宙が誕生したこと」。
有力な説では、宇宙の始まりはとてつもなく大きな爆発「ビッグバン」だといわれている。
しかしそれすらも「結果」だったとしたら?
ビッグバンを起こした引き金のようなものがあったとしたら?
私はそれが人々が神様と崇める存在なのではないかと考えている。
それが果たして神様なのか、全く別のものなのかは私にも、多分誰にも見当がつかない。
でも、何か超常的で、とても大きな存在だということは分かる。
ここでは分かりやすくするために、神様が全ての「原因」ということにしておく。
次に、運命について。
私たちの「今」は神様が「宇宙、始めよう」と思ったという「原因」が生んだ「結果」である。
つまり、その時既に「今」は決定されていると私は思うのである。
今、私がこの文章を書いていることも、この文章をあなたが読んでいることも、宇宙が始まった時点で決まっていたことなのだ。
時々漫画の主人公が「運命を変える!!」とか言うことがあるが、それも私からしてみればそう発言することは決まっていて、その後ピンチから逆転することも決まっていることだと、そう思うのだ。
全ての出来事が決まっていること、それに名前をつけるとしたら、「運命」になるのだと思う。
私はこれらのことをドミノ倒しのようだと思っている。
私たちは整列したドミノ一つ一つである。
その端っこのドミノをちょんと神様が押す。
それが「原因」となり次々にドミノが倒れるという「結果」が現れる。
あるいは、作品を制作する漫画家のようなものだとも思う。
シナリオ中にばらまく伏線はまさに「原因」である。
伏線を回収していくとエンディングという「結果」が生まれる。
私たちが住む世界は何かの物語の舞台なのか、あるいは神様にも何が起こるかわからない実験室なのか、そんなことはわからない。
しかし私は既に敷かれたレールの上を走らされているだけなのだと思うと悩みなんてちっぽけなものだと感じられる。
面白いことに最近の研究によると、ビッグバンが起こった際に宇宙が複数個生まれた可能性があるという。
もしかしたらもう一つの宇宙はこの世界とは全く様子が違うのかもしれない。
それを想像するのもまた一興、というやつだろうか。