『病室』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
病室にお見舞いで行くことはよくあった。
数日で何年分かを過ごしたようになる。
その度に覚悟をしなくてはと暗い布団に潜っていた。
窓の外には葉が沢山の桜の木がある。あの葉が落ちたら私、死ぬんだなんて在り来りのセリフも言えないくらいに。隣のベットに眠っていた女の子は集中治療室に行ったっきり。懐いてくれてたんだけどなぁ。部屋が広く感じて心細い。隣にいる子達はどんどん変わっていくのに私はずっと同じ場所。早く葉っぱ、全部落ちたらいいのに。
「えっ…?」
深夜、病室の窓から女の子が入ってきた。
ここは4階。
さっきまで、明日の手術が怖くて眠れない時間を過ごしていたのに、それよりも怖い出来事が起きてしまった。
パニックを起こしても無理はないだろう。
ところが、
「あ、こんばんは。私、エミリって言います。初めまして」
なんて、可愛く微笑みながら言うもんだから、もはや怖さよりも不思議の方が勝ってきてる。
「こんばんは…って、なんで窓から?ここ4階だよ?」
「ああ、夜は病院の入口が閉まってるから。」
「いや、答えになってないよ。どうやって上がってきたの?」
「え?見て分かるでしょ。私、幽霊だよ。高さなんて関係ないから」
…そーゆーもんなの?じゃあ、入口が閉まってたって通り抜けられるんじゃ…という言葉を飲み込む。
「そーなんだ。ごめんね、私、幽霊って詳しくなくて」
「なんで謝るの?ところでおねーさん、明日手術なんでしょ?」
「そうだけど…なんで知ってるの?」
「んー、幽霊だから」
…答えになってないって。
「そんなことよりさ、手術、怖い?どんな気持ち?」
「そりゃ怖いよ。逃げ出したくて仕方がない」
「そっか。そー思ってね、私が出てきたの」
「…どーゆーこと?」
「あんまり時間がなくてさ。手短に言うね」
彼女の身の上話だった。
以前、この病院に入院していたこと。
手術が必要だったが、ある理由から輸血が許されず、手術を受けられないままに亡くなってしまったこと。
あとは…何故かどこへも行けず、ずっとこの病院の周りを彷徨っていること。
「たぶん、この世界にサヨナラする気持ちが出来上がってなかったからだろーね、って、あのおじいさんが」
「おじいさん?」
「うん。あなたのおじいさんだって。二ヶ月前に死んじゃったって」
「え…?会ったの?」
「会ったってゆーか、最近ずっと一緒にいる。なんかね、自分が死ぬ直前に突然おねーさんがこれから入院ってなって、心配しながら死んだせいか、うまく成仏出来ないんだって」
「…罪悪感でいっぱいになりそうなこと、さらっと言うね」
「だからね、見守ってるから大丈夫だって」
「…ここには来れないの?」
「来てるよ。窓の外にいるんだけど…見えないんだね」
窓の外には夜の闇。人の姿はない。
「あなたは、こんなにはっきり見えるのに」
「私はね、手術がしたかったんだ。そしてもっと生きたかった。だから、おねーさんが羨ましいの。はっきり見えてても、私はもうこの世にはいないからね」
少しだけ、病室の窓が揺れて音を立てる。
「おじいさんが、頑張れって。まだこっちに来るなって。心配してくれる人がいるのも、羨ましいよ」
少女が目を伏せて、悲しそうな表情を見せる。
彼女の両親のことを聞こうとしたが、聞けなかった。
「だからね、もう心配しないで。今夜はゆっくり休んで、明日のために」
「…そーだね。生きるために、頑張んなきゃね」
あなたの分も…生きるよ。これは言葉に出来ない。
「あ、それと、これ」
蝶々の髪飾り。ローマ字で「Emilie」とある。
「私の名前入っちゃっててゴメンだけど、良かったら使って。ベットの下に落としたまま、誰も気付いてくれなくて」
「ありがとう。大事にするね」
「うん。それで、私の分も生きてね」
…さらっと言われた。
「じゃあ、行くね。あ、看護師の相田さんに、お世話になりましたってお礼言っといて」
「びっくりしちゃうだろうけど、言っとくよ」
「じゃあ、バイバイ。おじいさんも手を振ってる」
「うん。バイバイ。おじいちゃん、見守っててくれてありがとう」
「あー、おじいさん、泣いてる。大人も泣くん…」
気付いたら、私以外、誰もいない病室。
いつのまにか、窓の外には雨が降っていた。
おじいちゃん、あの子をよろしくね。
暗い窓の向こうにささやいた。
次の日、ナースステーションに向かう途中で、相田さんに会った。
私の髪を見て、足を止める。
「それ…どこにあったんですか?」
蝶々の髪飾り。気付いてくれた。
「私のベッドの下に。エミリちゃんのですよね」
「え…?どうして笑里ちゃんのこと…会ったことないですよね?」
「会いました。可愛い子でした」
「そんな訳ないですよ。亡くなったの、もう何年も前ですよ?」
廊下で二人、少し涙ぐんで。
相田さんは私の話を信じてくれた。
エミリちゃん、私よりお姉さんだったのかもしれないな。
白い部屋 クリーム色のカーテン
天井は 誰かが歩いた足跡
ボタンひとつで 彼らはやってくるし
何もしなくても 定期的にやってくる
景色のいい場所もあれば
景色なんぞ見えない場所もある
静かな個室
賑やかな大部屋
時折聞こえる機械の音
脈打つ彼ら
すすり泣く音
誰かが去ったあの部屋
白い部屋
クリーム色のカーテン
時折香る 季節の香り
不味いご飯
窓から見える青い空と、はしゃぎ回る子供たちの声
手を繋いでさっていくカップル
楽しそうに歩く高校生
私に嫌がらせをしているかのよう。
この狭い窓から見える景色
この狭い面積だけでこんなにもの幸せが見れる
ここから出たらどのくらいの幸せが見れるのだろうか。
果たして私は幸せと言っていいのだろうか。
病室の
ベッドの上に
眠るのは
傷だらけの
ポジティブな気持ち
病室。入る前から身構える私。幼い私には、おじいちゃんの腕に点滴の管が刺さっている、それだけで怖くて仕方なかった。家族でお見舞いに行ったくせに、怖くて逃げ出した。あの頃から、点滴は苦手。
もちろん病院独特の匂い、空気感。苦手。
だけど、身内が入院となると逃げ出したりは出来ない。
今夜が山場かも?というのを何度も繰り返しその度に家族は連携してお泊りになる。そうすると、不思議な事に長椅子で寝てたりも出来る。
けど、やはり長くはいたくないな。
人生の最期が病室である人の割合ってどれくらいなんだろう。
最期を前にして人は、みんな口を揃えて「家に帰りたい」と言う。家に帰るっていう事実より、家で普通に生活していた元気な頃に戻りたいっていう意味なんだろうなって何時も思う。
退屈な日常の価値を教えてくれるのが病室なのかな。
病室
「あぁ、いつかいなくなってしまうんだ」
初めて湧いた気持ちだった
中2の頃母が腎臓を悪くして入院・手術をした
手術後病室に様子をに行くと弱々しく横たわる母がいた
冒頭の気持ちはその時に湧いた
心のどこかでずっと元気でいてくれると思ってた母の
初めて見る弱ってる姿だった
その後通院しつつも元気に過ごす母を見て安心している
病室で君は言った
「1年後、また会おう」
その時の小指の温かさは、今でも忘れないよ
君に手作りのお守りを渡した
その中身、今日開けてくれたかな...
私は公園を歩きながら思った
「蒼空くん...」
「あ、由紀〜」
え、この声...
「お待たせ由紀、行こっか」
「ま、待ってっ!」
その男の子は...
ー約束だよー
ーうん!ー
「...誰、お前」
...え
「知らない人に声掛けられんの好きじゃない。やめな。そういうの」
「蒼空...くん」
「...は?」
「ねぇ、誰?あの人」
「...知らない。行こう」
蒼空......くん
「......ね、(え)なん(で)」
恩恵
2024/08/02㈮日記
固形石鹸が小さくなるのが
早すぎる夏。
夏フェスの招待状が来たけど
家電量販店から。
僕の夏はこんなもの。
夏の世界はコントラストが
バキバキしているってXで
表現していた人、上手いなあ。
よく伝わる。
定額減税の恩恵が少しあった。
自治体のホームぺージを見て
わかった気になっているだけの人。
先月の大量のポイントの恩恵は
3回も買い物出来た。
最近、スーパーで電卓を叩いている人、メモを見て買い物をしている人が増えていると思う。
それで…トイレットペーパーの前で
電卓叩いている人と同じ物を購入したりなんかして。
今日は昨日買った国産ウナギを
ついに食べました。
ずっと頭の中がウナギだった。
柔らかくて美味しかった!
日本に生まれた恩恵。
昨夜は浮かれました。
おやすみね。
キミの病室に入るとき
とてもドキドキしたよ
僕はどんな顔して目を合わせればいいのか
キミはどんな様子で僕の顔を見るのか
明るい窓際で笑顔のキミを見たときは
何だか許された気すらしたんだ
退院したら、今夏新作の映画を観に行こうね
早く良くなりますように。また来るよ
洗いたての色を忘れた清潔なシーツ
その上を這う点滴や呼吸器の管
鎮静剤が余程効いているのか
身動ぎもしない私の娘は
浅い呼吸だけを繰り返している。
穏やかに閉じられた瞼は震えることも無く
呼吸器で覆われた口が動くことも無い
娘はベットの上で過ぎた時間も知らず
夢すら見れずに、それでも生きていた。
貴女を追い詰めたのは私だ。
産めない身体だとは知っていても
子供がどうしても欲しかった。
子供を抱いて愛してみたかった。
だから、貴女を引き取った。
血の繋がりなんてなくても
こんなにも笑顔の可愛い貴女なら
生涯、娘として愛せるって思ったから…
現に私達は紛れもない家族だった。
だから、慌てて…
そう、無理に話す事なんてない
あの子がせめて言葉を話せる時までは…
いや、あの子が話を理解出来る歳になるまでは…
いや、いや、あの子が娘を持てる歳までは…
猶予なんて、本当はなかった。
あの日、貴女が取り乱し目前に突き出したのは
私が隠し通してきた養子縁組の用紙で
貴女は私を嘘吐きだと裏切り者だと蔑み
何も言い返せない私を後目に
自室へと駆け出した。
そして、登りきる筈の階段を
踏み 外したんだ。
……………ーーーーー
私が、黙っていたから。
私が、貴女を産めなかったから。
私が、あの時に抱き留められなかったから。
私が、私は、私…。
わたし、ね。
他の誰でもない貴女に
“お母さん”ってもう一度
呼んで欲しいだけなのよ…。
けど、まだ貴女は許せないのよね。
大丈夫よ、ずっと待ってるから
この病室から出られなくなっても
目を覚ました貴女を
今度は、抱き留められるように。
ー 病室 ー
窓越しに見える桜の木の下に埋まる夢から逃れて朝日
病室
病室
人によって、それぞれなんだろうな。
たくさんの人に支えてもらったな、一期一会の出会いがあったな。そう思える人もいれば、思い出したくもない人もいるんだろうな。
自分が病室にいた人も、付き添いでいた人も、お見舞いでいた人も、仕事としていた人も。ほんとに人によってそれぞれの場所なのかな。
最後に病室を見たのは5年前の夏。祖父が体調を崩し急遽入院して数カ月たった頃だった。祖父とは全く別の地域に住んでいて、頻繁には会いに行ける程の距離ではなかったが、どれだけ遠くに住んでいようと心配なのは変わらない。だから父と一緒に、祖父の居る病院に行くことにした。あの頃の祖父は、とても元気で「今年で何歳になったの?」と聞いてきて、「今年で10歳になったよ!」と言うと、「大きくなったねぇ」と皆で他愛のない話をした。だけどその日以来からは祖父の病院へ行けなくなった。両親もやはり仕事などで忙しくて、休みの日が合わなかったらしい。そのまま数年近く経った。父がこんな事を言い出した。ある写真を私に見せて、「これ、現在の祖父らしい。」その写真は祖父の写真だったが、体調が急変し、顔がパンパンに腫れ上がっている。とても心配だ。今すぐにでも祖父の病院へ行きたい。でも自分一人で行けるような距離ではない。行けずのまま写真が忘れられず一年が経った。父が仕事から帰ると、「祖父が亡くなった。」そう言いうと時間が止まったかのように家族皆が静まり返った。父は、「大きいお葬式じゃないから家族代表誰か一人連れてきて。」そう言うと父は切ない顔で祖父の元へ行く準備をした。自分も支度をし、祖父の元へ向かった。
祖父の居る斎場へ着き、部屋へ案内され、小さい部屋の奥には棺桶と、祭壇があった。祖父の顔を覗いてみると、
あの時見た写真とは全く別人のように腫れは治まっていた。それに、なんだかほっと安心しているような顔をしているように見えた。勝手な自分の解釈だが、きっと最期には病気が治ったのだろうと思った。あの祖父の顔を忘れない。そして、ありがとうを言えなかった事を今でも後悔している。これは自分の思い出話にすぎないが、ここまで読んでくれてありがとう。
そして、貴方も悔いのない人生を。
【手紙】
山本幸一郎様
拝啓
本年も山茶花がいっせいに咲きだす季節が巡ってまいりました。
先生がお亡くなりになられて約半年が経ちました。
天国ではいかがお過ごしでしょうか。
私は、この手紙を病室で書いています。
というのも、虫垂炎になってしまったのです。
数日前までは酷く痛んでいましたがも、今は少しだけ楽になりました。
心配しないでください。
病室で何日も過ごすのは、やはり慣れないものですね。
毎日同じ景色で、非常に退屈です。
先生は、長くこの景色を見ていたのですね。
私には今、先生の苦しみが少しだけ分かるような気がします。
私にとって唯一の楽しみは、窓越しの外の景色を見ることです。
窓から見える秋の空虚な空が、私は好きです。
淋しいものですが、この人肌の恋しさが堪らなく愛おしいのです。
私も大人になってしまったのでしょうか。
大人は秋が好きですから。
先生が病室から見ていた景色も教えて欲しいです。
他愛もない話になってしまいましたが、これからも私は先生の教えを胸に頑張ります。
そんな私を、どうか天国から見守ってほしいです。
先生のご多幸をお祈り申し上げます。
敬具
11月11日
山本鞠子
#12 病室
[病棟内の世界]
おはようございます。
入院生活は、今日も看護師の挨拶から始まる。
清々しい朝だ。
点滴の時間だ。
点滴の針が刺さっているか確認し、
新しいものに取り替える。
点滴から液体が落ちるたびに、
針がズレて痛い。
まぁ、慣れだと思い込んで過ごしたら
何とかなる。
お次は、大変困った。
苦しい朝食の時間が来てしまった。
ここ何日かは絶食中で、点滴で過ごしていた。
だから、食事はまだ離乳食レベル。
今日のメニューは、
出汁スープに重湯、梅肉チューブとお茶。
一口、重湯を食べる。
うん、食べたくない。
食べても気持ちが悪くなる。
もう早くも絶食期間に戻りたい。
点滴の方が楽だ。
でも、点滴生活に戻って、
もっと痛い目に遭うよりは良いだろう。
仕方がないから、もう一口。
苦しみながら、また挑戦。
案の定、食事は進まない。
結局、ほとんど残してしまった。
重湯を1〜2割くらい、
梅肉チューブの助けを借りて
ギリギリ食べられた。
下膳する際、残してしまって
申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
その後、朝礼中のナースステーションから、
担当看護師の
「全然食べてくれなかった〜😞」
と嘆く声が聞こえたが、
「あら、昨夜はもっと食べてなかったわよ?」
と別の看護師が伝えている声が聞こえて、
担当看護師の
「そう。そうなんだ。」
という声に、若干焦りつつホッとした。
昨晩、この担当看護師にお世話になったから、
あまり悲しむような夜勤明けでなくて良かった。
この後は、バイタルチェックと、
日によっては、採血。
痛みに敏感な私は、顔をしかめている。
悲鳴を上げる寸前みたいな顔だ。
といっても、
所詮は点滴の針と同レベルの痛みのはずだが。
検査に呼ばれた。
体力が無いので、車椅子で1階に向かう。
病棟と違い、外来の1階は寒いので
上着は必須だ。
検査に戻ってくると、担当医が来られた。
どうやら私を探していたようだ。
検査技師も医師も看護師も時間がなく、
患者をよくこんな感じで探し回っている。
今日の体調を聞かれて、今日の検査の話と
今後の方針をテンポよく話されて、
足早に立ち去っていく。
ふー、ようやく一息。
次は入浴。
朝食の前後の時間にナースステーションへ行き、
予約済みだ。
最初の頃は、予約?何のこと?どうやって?
と困って看護師に聞いても
「そんなこともできないの?」
「入院時に説明されましたよね?」
という眼差しで、簡易な説明だけされて放置。
私は、入院時夜なので、
何も説明する余裕もなく病棟へ運ばれた。
救急車で搬送されて、
いきなり入院が決まったので、
(私を見てたほとんどの人が、入院になると
思ってなかった)
病床を確保するだけでも一苦労だった。
加えて、昨夜まではベッドから出るのは
トイレの時だけ。他はナースコールするよう
言われて、何も自分でできない生活をしていた。
そんな事情だったのだが、
この看護師の目には、この年になって
何もできない甘やかされた子供、と書いてある。
放置された私は
「どーしよう、どーしよう💦」
一日中焦りっぱなし。
何とか予約場所を見つけて予約するも、
ドライヤーの場所はわからない、
洗濯済みのタオルや入院着の場所も、
使用済みのタオルや入院着の場所も、
あまつさえ汚物入れもどこなのかわからない。
質問したくても担当看護師はいない。
他の看護師も質問出来なさそうなくらい、
忙しい。
半泣きしながら、全力で探していたおかげで、
何とか数日かけて学習した。
となりの病室の高齢者は、看護師に丁寧な対応を
されていた。
あまりの差に泣きそうになった。
当の患者が文句を言っていた姿を見て、
涙も吹っ飛んだが😅
私は、基本的な社会常識を知らない。
物事は全て暴力で親に支配されていたから。
指示待ち人形に、普通の大人の振る舞いを
求められてもどうやったら良いかわからない。
必死に繕っている大人の皮を被った子供に
入院生活は、世間の私を見る目を
改めて認識する時間だった。
でも、社会には一定数優しい人がいる。
私は、優しい人達に見守られて、
一つ一つ社会常識を学んでいるから
ここまで生きて来られた。
入院中も同じこと。
どんなに誹謗中傷の声が聞こえても、
私が落ち込んで優しい人の心を痛めたり
しなくないから、
一々傷ついてなどいられないのだ。
まあ、この日は心無い言葉に傷ついて、
優しい人の心を痛めてしまったが、仕方ない。
そう言う時もある。
入浴の話から脱線したが、
まとめると、
とにかく病室の1日は厳しいので、
健康がどれだけ幸せか、と言う話だ。
特に、若者は健康だと思われているから、
病棟にいると「あなた何でここにいるの?」
という目線に耐えることになる。
笑顔で接してくれる看護師は貴重だ。
ちょうどこの前のテーマ「澄んだ瞳」そのもので
看てくれる瞬間、不安もたちまち消えていく。
社会の縮図の反映。
それが、私から見た病室というものだった。
【シングのチカラ】
無気力ウイルスで満ちてしまって、
僕の部屋はすっかり病んでいます。
特に寝具はウイルスの温床で、
僕の生気を奪っては、
眠れない夜を与えてくるので、
そんな夜は歌って朝が来るのを待つんです。
僕は難病にかかった。
今の季節は春。
病室からは綺麗な桜が咲いている。
この桜が散る頃には僕も散っているだろう。