『生きる意味』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
会うたびに「いつか絵で食っていく」と言った友人が、絵では食えぬまま死んだ。
名前も治療法も難しい病だった。
大学時代の同級生で友人だった私たちは、今年四十になったばかりだ。
彼の奥さんとご両親が、生前の彼の作品を飾ったささやかな個展を開いたので、招待された私は都内の小さなアートギャラリーへと赴いた。
個展には葬儀でも見かけた顔が来場していて、こじんまりとした画廊はそこそこ満員といった様子だ。
私はお焼香をあげるような足取りで人の間をぬっていった。
友人の作品は、すべて水墨画だ。
テーマは様々で、花や景色を描いたものもあれば、流行したアニメのキャラが短いスカートをヒラつかせているものもあった。
どの作品も初めて見た気はしない。実際、友人はよく作品をSNSに投稿していたので、彼をフォローしていた私にとって目に新しいものではなかった。
『シスター服で散弾銃を構えた美少女』の絵の前で解説文を読んでいると、主催者である奥さんが挨拶にやってきた。
「本日も遠くから足を運んでいただきまして……」
「いえいえ、こちらこそご招待いただいて」
彼の生前に奥さんと会ったのは二、三回ほどだったが、病室や葬儀でも言葉を交わしたせいか古い知人に会ったような心地だった。
奥さんは私の前の絵を見て、やわらかく笑った。
「この絵の子、気になります?」
「いやぁ、誰だったっけなーと思って」
「ね、誰なんでしょうね。私もよく分からなくて、解説文も適当なんです」
「流行ってたアニメ映画のキャラかもですね。あいつ多趣味だったから……」
「ほんとに、色んなところで色んなコトをしてた人でしたよ。よくSNSで絵の投稿もしてたんでしょ? 私には教えてくれなかったんですよ、アカウント」
「まあ、ほとんど仲間内との繋がりでしたからね。あと、奥さんに堂々と見せるにはちょっとスカートの丈が短かったのかも」
奥さんは吐息だけで笑って、「個展に出しちゃって悪かったかな」と絵を見やった。
「……私が言うことじゃないんですけど、あの人の絵を見てくださってありがとうございます。今も、生きてた時も」
「いやいや。見せてもらってるだけで、別になんにもしてないですよ」
「それが生き甲斐だったと思いますよ。私なんて『へー、よく描くねー』って流すことも多くて……ちゃんと感想言ってあげれば良かったな」
私もマメに感想を言っていたわけではない。そもそも彼の絵のタッチは私の好みとは違うものだった。
それでも『生き甲斐』など思い当たらない私にとって、彼の創作意欲はずっと眩しく、羨ましく、どこかとても遠かった。それを「悔しい」と思う熱量すら、私にはなかった。
そんなちっぽけな私だからこそ、彼の絵が果てしなく素晴らしいものに感じたのかも--なんて思うのは、あまりに失礼すぎるか。
「……生き甲斐って言ったら、それこそ奥さんそのものだったと思いますよ。入口近くにあった奥さんの絵、いちばん好きでした。『好きだから、どうしても描きたくなった』ってのがよく伝わりました」
奥さんは否定こそしなかったが、照れて気まずそうに口をもごもごと動かした。挙動が素朴で、好感が持てる人だ。いつも妙に気取っていた友人とは正反対な夫婦だったようだ。
「あはは……、まあでも、好きじゃなかったら絵に描かないのかな。このシスター服の女の子とかもね?」
「いや、あいつは絵を描くこと自体が好きだっただけで、対象物にあんまり思い入れが無いことも多かったですよ。……そうだ、若い頃に『この絵の街並み、なんの魅力も感じずにただ描いたって感じする』ってあいつに言ったら一週間怒ってたっけ」
堪らず吹き出した奥さんに来場者たちの目が向く。周りに軽く会釈しながら、奥さんの視線が私に戻る。
「あの人の友だちって感じ、するなぁ……」
「えっ、そうですか?」
「考え方が似てますよ。なんとなく」
「それは嬉しいかも。正直、あいつとはぜんぜん違う生き方してるなーって思ってたから……」
「『嬉しい』ってちゃんと言ってくれるところも、あぁーあの人と仲良くしてくれてた人だなーって思います」
ギャラリーのスタッフらしい人から奥さんに声がかかる。奥さんは私にもう一度お礼を言ってこの場から離れた。すると思い出したかのように、こちらを振り返って悪戯っぽく笑った。
「ぜひ奥まで見ていってくださいね、絶対。あとで感想も聞きたいので」
そんな奥さんの言葉の意図を探りながら、私は広くないギャラリーの奥--パネルで仕切られて奥ばっていた場所にまで足を踏み入れた。
そこにも絵が飾られていて、こちらは私が見た事ない絵も多くあった。解説文を読むと、晩年に病室や一時帰宅の際に描いたものらしい。
病にたおれても、あいつは絵を描いていたのだ。
生きることそのものと言って差し支えないものを早々に見つけていた友人を、まだ生きているはずの自分とどうしても比べてしまい、やはり遠い存在に感じずにはいられなかった。
それに、こんなふうに時系列を追って作品を見ているとまるで著名な画家の展覧会にでも来たかのようだ。
最奥には、額入りの絵がわざわざイーゼルに置かれていた。他より低い位置にあるその絵を覗き込むと、それは私の絵だった。
彼の文字で書かれたタイトルには『学生時代』とあった。思わずその絵の前で座り込んだ。頬に手をついて、その絵を見つめる。
絵の中の私は、見知った大学のベンチに座り、困ったように--あるいは小馬鹿にしたような笑顔でこちらを見ていた。
あいつから見た私はこんなに気取った表情をしていたのか? それに、なにも肌の荒れまで描きこまなくてもいいのに……。
いろんなことに思い巡らせながら、私は『学生時代』にぽつりと呟いた。
「……感謝しろよー。あのシスター服の散弾銃、お前がハマってたエロゲーのキャラだって奥さんには内緒にしといてやったぞー……」
ついでに、礼はいらないぞー、と心でつけ加えた。
お前みたいな生き甲斐なんてなければ、意味もなくただ過ごしてきた人生だと思ってきたが、友人の『学生時代』そのものになれていたのなら、なんだかもう上々だと。
そう思えたから、一応はそれで十分だ。
絵の中の私が満足そうに笑うので、私もなんだかおかしくなって、声を抑えてくすくすと笑った。
目尻にたまった涙をすくっては、『学生時代』と笑いあう時間がしばらく続いた。
𑁍・「生きる意味」・𑁍
「生きる意味」
私にとっての生きる意味は推しのため。
大好きな推しの声を聞くため、ライブに行く為に努力は惜しまない。
推しの為なら限界を超えてでも頑張れる。
推しのためなら可愛くなれる。
市内にアニメイトもない田舎民のくせに量産型の服を着て、厚底靴を履き、悪目立ちするような大きい痛バを肩に下げて、ショートの髪を無理矢理ハーフツインにする。
それだけの感情、努力する力を引き出してくれる推しには感謝しかない。
グッズを買ってもらう為にテストを頑張り、ライブに行く為に大会で一位に輝く。
喋ったことも無い人を好きになり、死ぬときに隣に居るかと言われたら居ない。
そんな人を好きになってしまった。
私にとって推しとは生きる意味であり、頑張るための目標となってくれる、世界一大切な人。
ソフトクリームだ~( ´∀`)ははは
違うわ~ってかあε=(ノ・∀・)ツ
もっと真剣に考えろ~ってかあε=(ノ・∀・)ツ
お題は👉️生きる意味👈️
じゃあ~ってかあε=(ノ・∀・)ツ
ってかあε=(ノ・∀・)ツ
テカァε=(ノ・∀・)ツ
「生きる意味」
生きる意味について、「進撃の巨人」という作品から考えたいと思います。
「進撃の巨人」は今や有名な作品ですが、その中にアルミンというキャラクターがいます。
作品の終盤で、アルミンはジークというキャラクターから、「生まれてくる意味」について問われ、こう答えました。
「三人で駆けっこをするために生まれてきたんじゃないか」と。
「ただ、雨の日に本を読むために」、「皆で市場を歩くために」、このなんでもないただの一瞬が、大切なんじゃないかと答えました。
僕も、時折生きる意味を考えます。
早くとも遅くとも、いずれ最後は死んでしまうのに、なんで僕は生きるのに必死になっているのだろうと。
この、アルミンの言葉を聞いて府に落ちました。
ただ、お腹がすいたら美味しいものを食べたいと思う瞬間。
今日はちょっと出掛けたいなと外に出た瞬間。
今、「書いて」というアプリに投稿するこの瞬間に。
何でもない些細な一瞬一瞬のために僕たちは生きているのだと。
だから辛いときは、取り合えず何かをしよう。
大声で叫んでみたり。
ただ、ぶらぶら歩いてみたり。
何かすれば気が紛れるかもしれないし、新しい発見があるかもしれない。
些細な所から「生きる意味」が生まれてくるのだと思います。
生きる意味
終わりを見つめて理解することが生きる意味。
your my sunshine my only sunshine
貴方の事を。心から愛して居ます。
生きる意味を他人に求めるな。
誰かのために、とかやめたほうがいいよ。
意味なんてないんだよ。
ただ、ぼーっと息してそこに立ってるだけでいいよ。
寝て、起きて、笑って、泣いて。
それだけで、周りで勝手に救われる人もいるんだから。
自分から意味を探そうとしなくたって、いいんだよ。
生きる意味を考えている時は
人生に迷っている時
人生が定まると
そんなことは考えない
“生きる意味”
君に会ったのは5年前
社会に出て6年目の夏だったね
毎日同じ日常に飽き飽きしていた時
君は突然私の前に現れた
私は一人旅の途中だった
何かを探しにあの島にやってきた
海岸を一人で散歩中に突然の大雨にあった
私は近くの洞窟に雨宿りに入った
そこには先客がいた。それが君
君は笑顔で挨拶をして話しかけてくれたね
仲良くなった私達は
雨がやんでも話していたね
“君が最後の友達かもね”
と笑いながら言っていた
冗談だと思っていたが1年後
それは冗談じゃない事を知った
君は最後まで笑顔でいてくれたし
君と話しをするのが好きだった
毎日に嫌気がさしてた私に光をくれた
大好きだった
私は君の事も、君の言葉も忘れないよ
君がくれた最後の言葉
”それぞれ人が生きる意味は
生きてるうちはわからない
きっと最後の最後に
その意味はわかると思う
僕も最後の最後に少しわかった気がする
それは最後に君と友達になった事
僕がきっとまた生まれ変わる為に
Continueを神様がくれたんだと思う
君に出会う為に生きていたんだ
生まれ変わったら僕が君を見つけるから
Continueの続きを始めようね“
君とContinueの続きを始める為に
準備して待ってるね
いろんな経験をして
君にたくさん話しが出来るように
それが私の生きる意味なのかもしれないね
すべてのものが生きているなら
時計は時を告げるために生きている
スプーンは食べ物を運ぶために生きている
くつは歩くために生きている
そうやってなにかのために存在していることに
意味を見出せたら
それだけかもしれないけど
みんなみんなそのための
生きる意味で正解なんだろう
ナイフはたべものを切るため生きているけれど
時に人をも傷つけてしまう
本来目的としたことから外れてしまうものに
生きる意味になるのか
生きる意味
生きる意味。
生きる意味は
ない?
訳がない.
なんて
後悔する
時には。
《生きる理由》
「来週に楽しみにしていた祭りが始まる」
「明日映画でも見に行こう」
「今年の夏は海に行きたいな」
「推しのCD発売日まであと3日!」
生きる理由なんてこんなもんでいいんじゃない?
生きる意味なんてないと思う。
私たちはこの世に生まれてきた以上、死ぬまで生きるしかないのだから意味なんてないのだと思う。
でも私たちが生きていく中で、生きていよう、生きていこうと思えるためには、幸せになりたいという目的であり、最終願望が必要だと思う。幸せになりたいとみんな思うからみんな生きていける。
幸せをもう自分では求められないと思う時人は自ら死を選んでしまうのだと思う。
生きることに意味を求めるのって、なんというか、すごい、人間だなって、感じがして、なんか、やだ、
そんなもの無いよ。
ケラケラと楽しそうに男は言った。
意味だの価値だの、そんなもの無くたって人は生きているし生きていける。意味の無い生は許されないというなら、それはとんだ傲慢だよ。
男の言葉は真理を突いている。
そんなものを声高に求めたり、したり顔で語れるのは恵まれている証拠だ。
生きる意味なんてものはね、死んだ後に誰かが勝手に見つけるものなんだよ。
それはそうなのかもしれない。
ただ、自分の生に意味や価値が見い出せないと、人は不安になるのだろうね。
男の声には微かな憐憫が滲んでいる。
その声を聞きながら私は、死ねない男の生に意味を見い出す誰かはいるのだろうかと、そんな事を思った。
END
「生きる意味」
生きる意味
自分の趣味や楽しみなことを見つけるために人や動物は生きるんだと思う。
それまでに辛いことは沢山あると思うけど
きっといつかは「生きててよかった」って思える日が来るから
その快感を求めて今日も頑張ろうと思えるんだと思う。
出会いあれば別れあり
その経験をすればとても辛かったり嬉しかったりすることがあると思う
だけど誰がどう言おうと自分の人生は自分だけのものだ、他の誰のものでもない。自分で探すんだ、生きる意味を。
生きる意味とは
本来の自分を生きることだの
どーのこーのと
持論を展開させ
そのために必要なことを
結構な長文でいい感じにまとめようと頑張ってたのだけど
2回もその長文が断たれたので
もうそれについて書くのはやめます。
1回目は途中ラインをしてしまったこと、
2回目は電源が落ちました…
生きる意味
毎日毎日作品を読み続ける。誰かの人生のかけらを。誰かの心のかけらを。それらが私の頭の中にあって私が生きている限りそのかけらは生き続ける。
私は読み続ける。
「生きる意味」
生きることに意義や理由なんてない。のに、どうして今日まで地球上の生命の営みが途切れずに紡がれてきたかというと、みんなが幸せを求めているからだと思う。幸福が動機になって、まるで雨露の表面張力のように私たち生命のかたちを弾けてしまわぬように維持させている。それは意味になるかもしれない。
そういう「生」や「死」といった原始的な部分から遠のいた現代社会は、必要以上に効率や能率を気にしすぎている。生産性という言葉も極限まで辿れば行きつく先は消費者ひとりひとりの幸せだ。そこにはもちろん本人だってはいっている。それを忘れて日々に忙殺されては元も子もない。学歴に固執する風潮も嫌いだ。教養は人生を豊かにするスパイスであって、それだけで食べるものじゃない。もちろん世の中に必要のない知識なんてものはほとんど存在しないけど、知識を頭の中で腐らせてしまうことが純粋な幸福に繋がるとはわたしにはあまり想像できない。
話を少し変えるが、最近息が詰まるほど考えていたことがある。どうしてわたしは毎日必死に勉強をしているのか。それまで「将来のため」の一言に縛られて曖昧なままでいたが、これもまた「人生全体の幸福の総量を大きくするため」なんだと解釈すると腑に落ちる。
努力をするという苦痛は幸福に貢献している。だから辛くても続けられる。生きる意味になる。
これを読んでいる皆様もいまいちど、現在やっていることがちゃんと自分の幸せに繋がっているのか、生物として原点に立って考えてみてほしい。根本からはっきりさせればモチベーションも上がるしね。もし違うなら少し休息が必要かもしれない。
なぜなら、それこそが生きる意味だから!