『日常』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
私は私が嫌いだ
それが日常
それが日々
もう、疲れた
独りに してくれ。
_ ₇₈
大好きなスーパースター様の日常は毎日がジェットコースターに乗ってるみたいに目まぐるしかった。
常に他人の目に晒され続ける彼の一挙手一投足はセンセーショナルに連日テレビで報道されていた。
プライバシーやプライベートの侵害甚だしい日常。
人はそれを有名税だから仕方ないと言う。
宿命みたいなもんだって。
話題になって有難いことだと簡単に言う。
嫌なら辞めたらいーじゃんって。
所詮、他人事。
辞めたらって、○ねって言ってるのと同じことでは?
息をするように歌う人でした。
歌でしか会話を許されてないような人でした。
その人からそれを取り上げたら終わりだよ。
そして終わりは突然やって来た。
彼は50歳で天に召されました。
薬の過剰投与による心臓発作と報道されていたっけ。
薬飲まないとやってらんない日常だったのでしょう。
青天の霹靂だと思った。
人間五十年という敦盛のフレーズが同時に頭の中に流れた。
生命を燃やし尽くしてしまう程の激情の中で生きていたスーパースター様らしい最期ともいえるが、あまりにも、あんまりだと思った、短すぎた。
私は今ものらりくらり生きている。
なんてことない日常を細く長く生きるであろう一般人だもの。
この前の健康診断では超健康ですねって言われました。何かの数値が人より高くて長生きするねって。
そういや祖母は100歳まで生きて天寿をまっとうしたっけな。
【日常】#9
ルーティン化できれば楽なのにと思うけど、そのルーティンに飽きてきて結局ちょっとずつは変化させざるのは致し方ないと思っている。
日常は、意外とすぐに壊されてしまうもの。
大事に生きて、なんて言わない。
けど、もう少し、生きてみない?
「日常」
私は日常という日常が無かった。
私の普通は普通じゃなくて。
私の友達は友達じゃない。
私の朝ご飯は朝ご飯じゃなくて。
いつからか、私の日常や普通はなんだっけ…と思うようになっていた。
私は…日常を忘れかけていた。
全てを捨てて毎日生きていた。
別に日常がなくったって、生きてればそれでいいよね?許されるよね?
きっと
~終わり~
突然ですが、みなさまは「アンチパイラシースクリーン」というのを聞いたことがございますでしょうか。
アンチパイラシースクリーンとは、ゲームの違法コピーが検出された時に出てくる画面のことで、
「もうこれ以上先へは進むことができません」
という警告のようなものです。
違法行為を咎める、というものなので、ホラーチックに仕上げられているものが多いのが特徴です。
さて、このアンチパイラシースクリーンですが、ゲームの中にだけ存在すると思っていませんか?
ゲームの中の普通の日常が、突然出てきた警告のせいで豹変する。
豹変したら、二度と戻れない。
これって、現実世界にもありませんか?
今のところ、現実世界には、人生の「違法コピー」というものはありません。
ですが、「違法行為」はありますよね。
それを咎められる...誰に?
警察に。
咎められたら...どうなる?
日常が豹変する。
なんだか似ているな、と思っていただけましたでしょうか?
アンチパイラシースクリーンは何をしても消えることはありません。
日常は、二度と戻ってこないんだよ。
今回のテーマは日常ということで、日常の儚さ、そしてアンチパイラシースクリーンの怖さ(現実世界Ver.も)についての僕なりの意見を書かせて頂きました。
強引に話を繋げてしまったところもあります。
そこはご了承ください🥺
いってきます
いってらっしゃい
おはよう
ただいま
おかえり
おやすみ
僕はこの言葉を発する事が無い
施設の子供は皆微妙に尖ってるからね
でも、言わないんだったら此方から言おうと思った
言われる立場
言う立場
僕はその言う立場になりたいと思った
皆と同じ日常を手に入れるために
# 41
【日常】
日常は人それぞれだ。彼女にキスするのが日常な人からしたら私と人生入れ替えたらリップは買わなくて済むだろう。十人十色の日常は、常に誰かの非日常である。
日常という言葉で片付けるから、日々の煌めきが欠けるのかもしれない。
日常を楽しく過ごそうとすると、出かけすぎて
体力が追いつかないことが多い。
出かけすぎてるというよりかは、人の気をたくさん受けるから疲れるのであって、特にその人が持ってるネガティヴや固執してる人に対する違和感はものすごい。
それを最近見ただけでわかるから、説明できるようになったけど、ある意味透視を感覚的にしているからかなりの直感力が優れすぎている。
ここ1ヶ月は持った方かもしれないが、2ヶ月でいうと、3回目ぐらいに風邪をぶり返してる。でもだんだん症状は軽くなっているけども。
基本的に出かけた次の日は、予定なしの、週3ぐらいにしたほうが良い気がした。
毎日のように出かけるのはちょっと体力が追いつかない気がする。体力というより気力も含めて。
まだまだネガティヴ波動が漂ってるからこそ、クソ真面目に話を聞くよりも、話をしない勇気も持つべき。
直感力に優れてるのであれば、感覚で瞬発的に壁を張るということもする技を身につけようかな。
まともに壁なしに会話しなくてもいいと思うから。
ベールを張るとか。
ホワイトセージを炊いて、寝る時間に浄化。
そして断捨離して、物からの影響を極力減らす。
これがサイクルにきっと必要なんだと思う。
日常
日常系に憧れるのは、なぜでしょうか。
日常系が楽しいのは非日常だからです。
他人の日常は自分の非日常というわけです。
人生の主役を降りると日常は楽しくなります。
物語の登場人物でいては、日常から逃れられません。
私はもう随分と前に、日常を手放しました。
物語を書くことを人生の最大目標に据えると、人生の主役を辞めることができます。
仮にあなたが今、人生を執筆に捧げると決意したとしましょう。
物語のネタにするため、あなたは世界をつぶさに観察するでしょう。駅の雑踏、食堂の会話、風に揺れる街路樹の葉のひらめき。それらのひとつひとつに対する、あなたの感情の機微。あらゆる記述可能な物事は、物語の肥やしになりえます。物語の肥やしにするために、あなたは人生のすべてに記述の機会をうかがうのです。記述の機会を作るために、あなたはあなたを操縦するのです。
一挙手一投足を、物語のために制御する。
これはまさに、元あった自分の人生の上に、新たな主人公を立て、ラジコン操作するようなもの。つまり、人生の主役を降り、人生を物語化する行為にほかなりません。
かくして私の日常は、日常系化したわけです。
アイデアノートが埋まるたびに、私はホクホクします。
日記帳は、加工した日常で毎日賑やかです。
不幸はあっても無駄はありません。成功も失敗も、すべて愛おしい物語のサンプルです。
眠る前に、私はふと、心細くなります。
私は果たして、生きていると言えるのでしょうか。私は本来、どういう人間だったのでしょうか。私は、なんのために物語を書くのでしょうか。
2023/06/23
いつもと何も変わらない、深夜1時を回った頃。きみは仕事から帰ってきて、寝る支度をする。
きみは、ぼくはもう寝ていると思っているから、「ただいま」のひと言も言ってくれない。けれど、それはきみなりの優しさなんだろう。
シャワーの音、ドアが開く音、ドライヤーの音、足音。
ちょっとずつ近づくきみの生活音を聴いていると、いつもぼくは気づけば深い深い眠りについてしまう。
きみは朝も早いから、結局ぼくらが目を合わせられるのは偶然会ったものの数秒とか、そこらだ。
それでも、きみがいつも寝る支度を終えて布団に入ったら、寝ているぼくに「おやすみ」を言ってくれていることを、ぼくは知っている。その言葉でぼくはいつも目が覚めるけれど、返事をしたらきみは照れて言わなくなってしまうだろうから、きみだけの秘密にしているよ。
日常
日常
幼なじみとアイスを食べベンチでだらだらするこの時間があずっと続けばいいと思う。
『クロール』
日常に溺れかけたから 背中に背負ってるものは全て捨てた置いてきた まだおぼつかないけど 泳ぎ方がわかってきたよ この泳ぎはクロールというらしい
私にとっては新発見だ大発明だ 延々と続く25mプール 生命(いのち)を感じる 余裕ができたら水の中で クマノミに目配するよ そうね、必ず
#日常
毎日繰り返す"いつもの日常"が好き
毎日が崩れて壊れるのが苦手
「こさめ、誕生日おめでと」
でも、1年に1度しかない今日だけなら、
"毎日"が崩れてもいいのかも
「皆んな、ありがとっ」
メンバーが好きで大好きで、こうやって祝ってくれる事が嬉しくて
リスナーさんがいっぱいおめでとうって、こさめへの愛を伝えてくれるのが嬉しくて
こさめ、こんなに愛されてるんだって思える事が幸せで
全部全部、こさめへの想いなんだって
全部受け止めて、全部大事にしたい
6人で、1番の景色を見れるように
6人で、幸せを掴めるように
その景色も、それまでの道のりも、全部が宝物
全部が、幸せになるんだろうな
そう思うと、笑みが止まらない
だって、6人で逢えたことがもう幸せだから
当たり前、が崩れるのか苦手だ。
例えば、朝一番に薬缶に水を入れて、お湯を沸かすこと。そして珈琲を入れること。
時間通りに家を出ること。
向かう先があること。
帰るための場所があること。
踏みしめる足があること。
空を見上げることの出来る、瞳があること。
どれも失うことが恐ろしすぎて。
今日も、ちっぽけな自分を抱きしめて、「幸せなんだ」と言い聞かせている。
最近の日常はとてもと言っていいほどに忙しい。
それはそれはとてもだ。
どれほどかといえば睡眠をまともに取ることができないほどだ。それはそれは忙しい。
地球は一日かけて呑気に一周ぐるりとしているというのに、自分の日常といえば目的地から家までを何往復もしている。
つらいぜでも頑張るぜ、彼女のために
いや、日常が忙しすぎて彼女なんていなかったぜ
人に期待してないはずだった。
だからこそ人付き合いは得意だった。
けど、自分が作ってしまったあの子の理想から外れた時、そこには拒絶しか待っていなかった。
人を信じるのが苦手になった。
人は裏でなにをいうか分からないことを学んだ。
同時に、今までの環境が良すぎたことに気付かされた。
ふとした何気ない瞬間が、
当たり前を過ごせる今が、
平穏な日常が、
自分の中で一番の宝物であり、幸せだと思っている。
〜日時〜
『やっぱり味噌汁は前の女のが美味かった。』
『お前の作る味噌汁は不味い。』
もう、飽き飽きだ。
どうでもいい。どうとでもなれ。
『ぁ、今日の味噌汁は前の女と同じ味がする!
美味いな!最高だ!』
あぁ、そっか。
前の人も飽き飽きしてたのね。
今日の味噌汁に私は、
そしてこれから私は、
味噌汁に少量のヒ素を入れる。
#日常