天津

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日常

日常系に憧れるのは、なぜでしょうか。

日常系が楽しいのは非日常だからです。
他人の日常は自分の非日常というわけです。
人生の主役を降りると日常は楽しくなります。
物語の登場人物でいては、日常から逃れられません。

私はもう随分と前に、日常を手放しました。

物語を書くことを人生の最大目標に据えると、人生の主役を辞めることができます。
仮にあなたが今、人生を執筆に捧げると決意したとしましょう。
物語のネタにするため、あなたは世界をつぶさに観察するでしょう。駅の雑踏、食堂の会話、風に揺れる街路樹の葉のひらめき。それらのひとつひとつに対する、あなたの感情の機微。あらゆる記述可能な物事は、物語の肥やしになりえます。物語の肥やしにするために、あなたは人生のすべてに記述の機会をうかがうのです。記述の機会を作るために、あなたはあなたを操縦するのです。
一挙手一投足を、物語のために制御する。
これはまさに、元あった自分の人生の上に、新たな主人公を立て、ラジコン操作するようなもの。つまり、人生の主役を降り、人生を物語化する行為にほかなりません。

かくして私の日常は、日常系化したわけです。

アイデアノートが埋まるたびに、私はホクホクします。
日記帳は、加工した日常で毎日賑やかです。
不幸はあっても無駄はありません。成功も失敗も、すべて愛おしい物語のサンプルです。

眠る前に、私はふと、心細くなります。
私は果たして、生きていると言えるのでしょうか。私は本来、どういう人間だったのでしょうか。私は、なんのために物語を書くのでしょうか。

2023/06/23

6/22/2023, 6:42:35 PM